ことばにならないきもち
京都では 毎年8月16日に五山の送り火が行われる。お盆に戻ってきた精霊を再びあの世へ送る伝統行事で、京都市を囲む山々で火が焚かれその年の盆を締めくくる。
その日の京都は午後から雨となった。送り火は雨天でも行われるようだけれど、点火までには止んでほしいなと願った。けれどもしだいに雨足は強まり、止む気配もなかったので、バスで出町柳の鴨川デルタまで出る予定を変更して、近くの吉田山から見送ることにした。
大文字山の点火は20時。スマホの道案内を頼りに吉田山へ歩いて向かう。暗がりの坂道をゆっくりと上り、大文字の見えそうな場所を探る。鑑賞スポットとされている場所にはどんどん人が集まってきて、傘のせいもあって落ち着いて眺められそうになかった。来た道を少し戻る。いい具合に見える静かな場所があって、それは公園でも広場でもないただの道端だったけれど、わたしはそこで十分だった。
時間になり少しずつ火が灯されてゆく。
梵鐘の音が響くなか、徐々に山の中腹に大の字が浮かび上がっていく様子はとても厳かで、しみじみと両親やご先祖さまを思って手を合わせた。
鴨川へ出るよりも間近で大きく見ることができたので良かった。雨のおかげ。
しばらく眺めていると、坂を上ってきたひとりの男性が立ち止まり、その場所に同じように佇んで送り火を見つめた。
その佇まいというか、雰囲気が誰かによく似てるなと感じたのだけど、まさかそんなはずはないよなと心の中で軽く笑う。
頭に浮かんだその人は、大阪の同じ高校出身で、いわゆる先輩なのだけど、歳は15も離れているので もちろん在学は重なっていない。わたしもその方も大阪出身、東京在住。卒業後に上京している同窓生が多いせいか、学年を超えた同窓会がなぜか東京でも定期的に行われていて、わたしはその会には一度も参加したことはないのだけれど、友達の友達の友達の……みたいにいつしか繋がって、10年ほど前に知り合った。都内にあるその方の営むお店に何度か伺ったりしたけれど、連絡を取り合うようなこともなく、その後コロナ禍もあったことで疎遠になっていた。
どうしても隣に立つ人がその先輩のような気がしてならない。まっすぐに送り火を見つめる横顔をさりげなく一瞬盗み見る。やっぱり似てる。すごく似てる。でも、こんなところで遭遇するなんてことあるのかな。頭の中でぐるぐると問答を繰り返し、声を掛けるのを躊躇っていた。
送り火は、次第に小さくなっていき、その人は来た道を帰って行く。わたしも同じ帰り道だ。どうしよう……。違っていたら謝ればいいか。小走りで追いかけて思い切って声を掛けた。
先輩だった。
緊張も驚きも喜びもごちゃまぜになったその時の気持ちを、まだうまく言葉に表せないままでいる。
***
ひょんなところで、ひょんな人にバッタリ遭遇して驚くことって、誰しも経験があるとは思うのですけれど、だいぶ想定を超える出来事でした。
初めての送り火の思い出は 一気に大きく膨らんで、忘れることのない夏休みになりました。
ご縁や巡り合わせって、ほんとに不思議だなって感じます。それはあらゆるタイミングの重なりがもたらす奇跡。
出会いにも別れにも意味があって、それは必然なのかもって思うのですけれど、それなら、この再会にはどんな意味があって、どんな未来があるのだろうって。
そんなことを考えながら散歩した哲学の道はとても穏やかで、猛暑を和らげてくれるような豊かな緑の桜葉も、流れる水面の揺らめきも、とても心地良かったです。
再び繋がったご縁、大事にしなきゃと思います。
東京での再会が楽しみです。

