恩師と呼べる先生は
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学
習い事や講習やワークショップなど…
生涯で『先生』と呼んで関わった人の中で、『恩師』と呼べる先生は どれだけいるものなのでしょうか。
『友達』と呼ぶ存在の中で 『親友』と呼べる人が ごくごくわずかに限られるのと同じように、そうはいないように思います。
自分の過去を振り返ってみると、お顔や思い出の浮かぶ先生はたくさんいます。それぞれに教えをいただいて お世話にもなったとは思うのだけど、
わたしが『恩師』と呼べる先生は、中学一年生の時に国語科の担当だった 守井先生おひとりのような気がしています。
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2年前、noteで先生のことをエッセイにしました
とてもヤンチャで 自由奔放で 豪快で破天荒なおじさん先生。すごくハチャメチャだけど 大切なことをたくさん教えてくださった先生のことを、わたしはなんとか残しておきたくて 一生懸命に綴りました。
叶うものなら、直接 自分の言葉で感謝の気持ちをお伝えしたいと願っていました。そんな思いで、古い住所に手紙を出してみたのだけれど、先生には届きませんでした。宛先不明で戻ってきたその手紙を、封を解かずに今も大事に持っています。


手紙は届かなかったけれど、同じ空の下のどこかで お元気でいてくださってたらいいなって、いつかもう一度 お話できたらいいなって、心の片隅で願い続けていました。
けれども先生は、空の上にいたことを知りました。
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むかし 実家の並びに住んでいた 同級生で幼馴染のきくちゃんが教えてくれました。
きくちゃんは 小学校・中学校が同じだったけど、一度も同じクラスになったことはなくて、
放課後もほとんど遊んだ覚えはないし、習い事や部活も違ったので それほど接点がなく、登校時にたまたま会えば 学校まで一緒にお喋りして行くくらいでした。
高校からは別々の進学をして、彼女は看護師さんになりました。
互いに実家を出てからは すっかり疎遠になって、
母からは “きくちゃんが店に寄ってくれたよ” とか、 “きくちゃん結婚したって” とか、 “お子さん連れて帰ってきてたわ” なんて話は時々聞いていたのだけれど、連絡先も交わさなければ 帰省のタイミングも合わなくて、なかなか会えてはいませんでした。
現在も 実家の近くには親戚の方がいるらしく、その方伝いに わたしの母が亡くなったことを知って立ち寄ってくれたようで、連絡先を残してくれていました。
そんなこんなで、つい先日 ずいぶん久しぶりに きくちゃんと言葉を交わすことができたのです。
ふと、彼女も 守井先生と年賀状のやりとりをしていたことや、高校生になってから先生の自宅に遊びに行ったという話を聞いたことを思い出しました。
先生からの年賀状にはいつも『一度遊びにきなさい』と書き添えられていました。けれどわたしは なんとなく躊躇って、結局一度も行けませんでした。
きくちゃんに、先生に手紙を出して戻ってきたことを打ち明けて、消息を知っているか尋ねてみました。
わたしが先生への年賀状を控えるようになってからも 彼女は送っていたようで、先生の奥様から “主人は永眠しました” というハガキが届いたそうです。
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“ あんな先生 ほかにいないよね ”
“ ほんまおもしろい先生やったな ”
先生のことを知っていて、覚えてる人がいるなんて、思い出話ができるなんて、とても懐かしくて嬉しかったです。

先生はみんなの心に残る恩師だった
「おまえは笑とけー!」
先生にいただいた数々の言葉は どれだけ支えになってきたかわかりません。
それはどれも「おまえはおまえらしくな」…そういうことだったのかなと受け止めています。
これからも わたしは笑顔でまいります。
だれかを笑顔にできるように。
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新学期のスタートですね。
長い夏休み明けの新学期は、気だるいような 寂しいような… けれど どこかちょっと嬉しいような、そんな感覚が なんだかとても懐かしいです。
どうぞ よい一日を、よい一週間を。
#123. 『 恩師 』
⭐︎猫のような先生の遺す言葉の「猫のように生きていけ」とぞ
⭐︎戻り来る手紙の消印と切手の猫はあるいはピリオドみたいに
ー ちる ー

