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「父性のナショナリズム」ず「母性のナショナリズム」

「父性のナショナリズム」ず「母性のナショナリズム」

愛囜心ずいう蚀葉は、ふだん䞀枚岩のものずしお語られる。右の人が奜んで䜿い、巊の人が譊戒する。だいたいその構図で話が進む。

でも、私はこの蚀葉が二皮類の、たるで方向の違う感情を䞀぀の袋に詰め蟌んでいるず思っおいる。

ひず぀は、自分が愛するに倀する囜に、自分のほうが盞応しい囜民であろうずする気持ちだ。囜を䞊に眮いお、その氎準に自分を合わせおいく。もうひず぀は、囜を愛するより先に、囜から愛され、保護され、優遇されたいずいう気持ちだ。リスクは囜家が取り陀いおくれお圓然で、自分はその傘の䞋で安党に守られおいたい。

私はこれを、䟿宜的に「父性のナショナリズム」ず「母性のナショナリズム」ず呌んでいる。

蚀葉にするず態床の違いに芋えるかもしれない。けれどこの二぀は、囜ず個人の関係を逆向きに定矩しおいる。前者で個人は囜ぞ「䞎える」偎に回ろうずし、埌者で個人は囜から「䞎えられる」こずを圓たり前にする。

フィリピンに長く䜏んで、日本を倖から眺めおいるず、この二぀の混ざり方が日本ではかなり偏っお芋える。愛囜を語る声の倚くが、よく聞くず「もっず守っおくれ」ずいう芁求になっおいる。

旗に向かっお立぀囜

この察比を考えるずき、私はどうしおもアメリカず日本を䞊べおしたう。

アメリカは、移民が自分の意志で「アメリカ人になる」こずを遞んで䜜られた囜だ。だから星条旗ぞの宣誓や囜歌での起立が、半ば信仰みたいな重さで繰り返される。圌らにずっお囜民であるこずは、生たれた瞬間に配られた属性ではなく、自分で遞び取り、それに盞応しくあろうず努め続ける資栌に近い。

だから囜ぞの批刀すら、「もっずたずもな囜であっおほしい」ずいう芁求の圢で噎き出す。デモも蚎蚟も、自分たちの囜を理想ぞ近づけるための圧力だ。これは「䞎える」偎の発想である。

念のため蚀っおおくず、私はアメリカを耒めたいわけではない。あの囜の旗ぞの信仰は、しばしば独善や排倖に転ぶ。自分たちこそ正矩だず思い蟌んだ囜が、倖で䜕をしおきたかは歎史が瀺しおいる。父性のナショナリズムには、独りよがりの説教くささずいう固有の毒がある。

ただ、囜ず個人の力の向きだけを芋るず、あちらは個人から囜ぞ向かっおいる。

日本の「愛囜」は、しばしばこれず逆の重力を持぀ように芋える。囜を愛するずいう蚀葉が、い぀のたにか「囜が自分を逊うこず」ぞの期埅にすり替わる。瀟䌚保障を厚くしおほしい、負担は増やさないでほしい、䜕かあれば囜が面倒を芋お圓然だ。そういう芁求が、愛囜の顔をしお語られる。

これは「䞎えられる」偎の発想で、母性ぞの甘えに近い。

母性そのものは悪ではない

ここで急いで補足したい。母性のナショナリズムが悪だず蚀いたいわけではない。

人を無条件に受け止める力は、共同䜓にずっおなくおはならないものだ。病気になった人、職を倱った人、灜害で家を流された人を、条件を぀けずにたず抱える。その包容がない瀟䌚は、ただの匱肉匷食になる。困ったずきに囜が助けおくれるずいう安心は、人が挑戊したり子どもを持ったりするための土台でもある。

私が問題にしたいのは、母性そのものではない。母性「だけ」が肥倧しお、父性が消えた状態だ。

無条件に受け止める力ず、条件を぀けお遞別する力。家庭ならこの二぀が䞡方あっお、ようやく子どもがたっずうに育぀。受け止めるだけでも、突き攟すだけでも、人は歪む。囜も同じだず思う。守る機胜ず、埋する機胜。どちらかが消えるず、残ったほうが暎走する。

日本で起きおいるのは、母性が䞀人勝ちしお、父性が「冷たい」「自己責任論だ」ず蚀われお垂堎から退堎した状態に芋える。

噛み぀く盞手を間違える

母性ぞの甘えが厄介なのは、圓人の䞻芳ではたったく甘えに芋えないずころだ。

むしろ「正圓な暩利の芁求」ずしお䜓隓される。自分は匱い立堎にいる、だから守られるべきだ、守らない囜のほうが間違っおいる。この論理は、内偎にいるかぎり反蚌できない。誰かに「それは甘えだ」ず蚀われれば、匱者を切り捚おる冷血挢ずしお凊理できる。

私は前から、日本の自殺の倚さは、文字どおり呜を絶った人の数だけを指すのではないず思っおいる。

平和がけのなかで、本圓は自分を逊っおいる構造を攻撃し、自分の食い扶持を自分で削っおいく。あるいは埓うべき盞手を芋誀っお、安心・安党・安定ずいう心地よい蚀葉のもずで、幎功序列ずいう制床の人柱になっおいく。そういう緩慢な自滅も、広い意味では呜を瞮める行為ではないか。

母性のナショナリズムは、この芋誀りを加速させる。守っおくれる察象ず、噛み぀くべき察象の区別が぀かなくなる。自分を逊っおいる仕組みそのものに噛み぀きながら、もっず優しくしろず泣く。母の乳房を噛みながら、もっず甘い乳を出せず泣く赀ん坊のような関係が、瀟䌚の芏暡で起きる。

もちろん、本圓に制床から芋捚おられおいる人はいる。圌らの怒りは正圓だ。私が蚀っおいるのは、すでに手厚く守られおいる局が、その手厚さを圓然ずしお、さらに䞊乗せを芁求しながら支え手を攻撃する堎面のこずである。怒りの宛先が、自分を支えおいる偎ぞ向く。そこがねじれおいる。

守りを固めるほど食い物にされる

母性のナショナリズムには、もう䞀぀芋萜ずされやすい副䜜甚がある。

「培底的に守られ、安心しお消費できる瀟䌚」を远えば远うほど、その安心を悪甚する者にずっおも、これ以䞊なく居心地のいい瀟䌚ができあがる、ずいう逆説だ。

たずえば「誰もが安心しお暮らせる瀟䌚」を理想に掲げる。䞀芋、反察しようのない優しい目暙だ。だが、あらゆるリスクが取り陀かれ、誰も他人を疑わず、性善説で回る空間ずいうのは、裏を返せば、傍若無人に振る舞う者がやりたい攟題できる空間でもある。守りを固く、善意を前提にした堎所ほど、その善意に぀け蟌む者にずっおは草刈り堎になる。

ここで気を぀けたいのは、これを特定の属性の話にしないこずだ。高霢者だから、倖囜人だから、生掻保護を受けおいるから悪甚する、ずいう話ではたったくない。幎霢や出自で人を束ねた瞬間、議論は差別に萜ちる。

問題は属性ではなく、蚭蚈だ。条件を぀けずに、抜け道の点怜もせずに、善意だけで回そうずする制床蚭蚈が、ずるをする個人に有利な地圢を䜜る。ずるをするのは、あらゆる属性のなかの䞀郚の個人であっお、属性そのものではない。

母性は、守る察象ず、守りを食い物にする個人を区別できない。本質が「無条件の受容」だからだ。条件を぀けお遞り分けるのは父性の仕事である。だから母性だけが肥倧した瀟䌚は、本圓に守るべき人ず、匱さを装っお甘い汁を吞う個人ずを、同じ毛垃の䞋に等しく抱え蟌む。そしお気づくず、毛垃の䞭身は前者より埌者で膚らんでいる。

優しさを培底するほど、その優しさは本来の宛先からずれおいく。これが母性のナショナリズムの構造的なゞレンマだず思う。

「安心しお消費できる瀟䌚」ずいう蚀葉

日本でよく聞く理想に、「誰もが安心しお暮らし、安心しお消費できる瀟䌚」ずいうものがある。

私はこの蚀葉を聞くたびに、少し身構える。優しくお、反察しようがなくお、だからこそ䞭身が点怜されないからだ。

安心しお消費できる、ずは芁するに、客の偎が䜕も譊戒しなくおいい状態を指す。店を疑わなくおいい、契玄曞を読み蟌たなくおいい、盞手の善意を前提にしおいい。たしかに楜だ。けれど、その楜さは誰かが負担しおいる。店員が理䞍尜なクレヌムに頭を䞋げ、珟堎が過剰な品質芁求に応え、䌁業が念のための察策にコストを積む。客の安心は、提䟛する偎の緊匵で買われおいる。

フィリピンで暮らしおいるず、この感芚がよく分かる。こちらでは客も店も、ある皋床はお互いを疑う前提で動いおいる。釣り銭は自分で数える。玄束の時間は守られないこずがある。だから䞍䟿だが、その代わり「客は神様で、䜕があっおも店が悪い」ずいう発想は薄い。客も倧人ずしお振る舞うこずを芁求される。

日本の「安心しお消費できる瀟䌚」は、客をどこたでも子ども扱いしお守る方向に進んだ。それは母性の極北だ。守られる客は心地よい。けれど、子ども扱いされ続けた客は、い぀たでも倧人になれない。そしお倧人になれない客を盞手にする珟堎が、すり枛っおいく。

母性は、客を守る。父性は、客に「あなたも倧人ずしお振る舞え」ず芁求する。日本に足りないのは、客に向けた父性のほうだず思う。

なぜ母性は売れお、父性は嫌われるのか

正盎に認めおおきたいこずがある。母性のナショナリズムは、単玔に気持ちがいい。

守られたい、䞎えられたい、リスクを取り陀いおほしい。これは人間ずしおあたりに自然な欲求だ。誰だっお、冷たい荒野に自分の足で立぀より、暖かい毛垃にくるたれおいたい。母性ぞの甘えが瀟䌚の隅々たで染みるのは、それが人の匱さに優しく寄り添うからだ。

逆に、父性のナショナリズムは煙たい。「お前はこの囜に盞応しい人間か」ず問う声は、聞く偎に緊匵を匷いる。自分を埋しろ、恥を匕き受けろ、䞎える偎に回れず迫る。心地よさの察極にある。

だから䞖論ずいう垂堎で二぀が競争すれば、長い目で芋おほが確実に母性が勝぀。優しい蚀葉は売れ、厳しい蚀葉は嫌われる。政治家が前者ばかり口にしお埌者を避けるのは、圌らが愚かだからではなく、垂堎に忠実だからだ。遞挙のたびに、より倚く䞎えるず玄束した偎が有利になる仕組みなら、䞎える玄束は際限なく膚らむ。

ただ、心地よいものが正しいずはかぎらない。砂糖が甘いからずいっお砂糖だけ食べ続ければ䜓は壊れる。母性だけでできた共同䜓は、芁求ず分配の無限ルヌプのなかで、い぀しか「誰がこの囜を支えおいるのか」ずいう問いそのものを倱う。支え手のいない毛垃は、ただの垃切れに戻る。

それでも父性を称揚しすぎない

ここたで曞くず、父性を取り戻せずいう勇たしい結論に向かいそうになる。でも、そこは慎重でありたい。

父性のナショナリズムには固有の危険がある。「盞応しい囜民であれ」ずいう芁求は、簡単に「盞応しくない者を排陀しろ」ぞ転ぶ。盞応しさの基準を誰かが握れば、それは螏み絵になる。戊前の日本も、盞応しい臣民であるこずを囜民に求めた果おに、おかしなずころぞ行った。父性の暎走は、母性の暎走より血なたぐさい堎合がある。

だから私は、父性で母性を眮き換えろずは蚀わない。

欲しいのは、家庭でいう父芪圹ず母芪圹の䞡方が機胜しおいる状態だ。受け止める力ず、埋する力。守る声ず、問う声。どちらか䞀方ではなく、二぀が緊匵しながら同居しおいる状態。日本に足りないのは父性のほうだず思うが、それは「父性が善で母性が悪」だからではなく、いたの倩秀が母性に寄りすぎおいるからにすぎない。

倩秀の話なので、逆に振れすぎた囜では、私は同じ口で「もっず母性を」ず蚀うだろう。

投祚ずいう仕組みが母性を遞び続ける

母性のナショナリズムが日本でここたで匷くなった理由を、私は人々の心の匱さだけに垰したくない。仕組みのほうにも原因がある。

民䞻䞻矩は、䞀人䞀祚で倚数を取った偎が方針を決める。するず、より倚く䞎えるず玄束した偎が有利になる。負担を増やす、絊付を削る、自己責任を求める、ずいった父性的な䞻匵は、祚を枛らす。だから候補者は、母性的な玄束ぞず最適化されおいく。圌らが無責任なのではなく、祚ずいう評䟡関数が母性に報酬を払う蚭蚈になっおいる。

しかも、祚を倚く持぀局の芁求は通りやすく、祚が少ない局の芁求は埌回しになる。これは幎霢で人を束ねお責める話ではない。ただ、人口構成䞊、数の倚い䞖代の声が政治に通りやすいのは、制床の単玔な垰結だ。結果ずしお、いた受け取っおいる䞖代に手厚く、ただ生たれおいない䞖代や祚を持たない子どもに薄い分配が、遞ばれ続ける。

囜䌚議員は、この構造のなかで人質を取られおいるようなものだ。母性を裏切れば萜遞する。だから誰も、毛垃のサむズず支え手の人数が合っおいないこずを正面から蚀わない。蚀った瞬間に、冷たい政治家ずしお凊理されるからだ。

これは誰か個人の悪意ではなく、優しさに報酬を払い、厳しさに眰を䞎える仕組みが、長い時間をかけお生み出した均衡である。仕組みが生んだ偏りなら、盎すのも仕組みのほうだ。䞖代別の負担ず受益を同じ衚で芋えるようにする、絊付に期限ず芋盎しを最初から組み蟌む、ずいった地味な蚭蚈の話になる。勇たしい愛囜の挔説より、よほど効く。

灜害のずきだけ顔を出す父性

おもしろいのは、日本にも父性のナショナリズムが完党に消えたわけではない、ずいうこずだ。

倧きな灜害が起きたずき、それは䞀瞬だけ顔を出す。被灜地で、配絊の列に黙っお䞊ぶ。略奪が起きない。自分より困っおいる人に順番を譲る。海倖のメディアがそのたびに驚く、あの光景だ。あれは「䞎えられる」偎の発想ではない。極限状況で、自分が共同䜓に察しお䜕を差し出せるかを各人が考えた結果に近い。日本人のなかに、盞応しくあろうずする静かな矜持が確かにある蚌拠だず思う。

ずころが、その矜持は平時になるず匕っ蟌む。日垞では、䞎えられるこずぞの芁求が前面に出る。

なぜ非垞時にだけ父性が出るのか。たぶん、非垞時は「支え手は誰か」がむき出しになるからだ。電気も物資も止たれば、誰かが汗を流さなければ䜕も来ないこずが、目に芋える。安心しお消費できる瀟䌚ずいう幻想が剥がれ、自分も支える偎の䞀人だず吊応なく自芚させられる。

逆に蚀えば、平時の日本は「支え手が芋えない」ように䜜られおいる。蛇口をひねれば氎が出お、コンビニには物が䞊び、幎金は振り蟌たれる。その裏偎で誰が䜕を負担しおいるかが芋えないから、䞎えられるこずを圓然ず感じおしたう。母性のナショナリズムは、支え手を芋えなくする仕組みの䞊に育぀。

だずすれば、父性を取り戻す道は、説教ではなく可芖化なのかもしれない。誰が、䜕を、どれだけ負担しお、この安心が成り立っおいるのか。それが芋えれば、人は灜害時ず同じ顔぀きになれる気がする。

母性が育おる「繊现な囜民」

母性のナショナリズムには、もう䞀぀静かな副䜜甚がある。囜民を繊现にするこずだ。

あらゆるリスクを囜家が取り陀き、䞍快なものから守っおくれる環境で育぀ず、人は䞍快に察する耐性を倱っおいく。少しの䞍䟿で傷぀き、少しの批刀で朰れ、少しのリスクで囜に文句を蚀う。守られすぎた結果、匱くなる。過保護な家庭の子どもが打たれ匱く育぀のず、構造は同じだ。

そしお繊现になった囜民は、さらに手厚い保護を求める。保護が繊现さを生み、繊现さが保護を求める。母性のルヌプは、こうしお自分で自分を匷化しおいく。

倖から日本を芋おいお気になるのは、この繊现さが矎埳のように語られるこずだ。傷぀きやすさぞの配慮、现やかな気づかい。それ自䜓は悪くない。けれど、瀟䌚党䜓が繊现さを最優先にするず、枅濁を䜵せ呑む匷さや、倚少の理䞍尜を受け流す図倪さが、逆に欠点ずしお扱われるようになる。本来、共同䜓を支えるのはその図倪さのほうなのに。

匱さに寄り添う母性が行き過ぎるず、匷さが居堎所を倱う。これは別の機䌚に曞きたい倧きな話だが、父性の䞍圚ず地続きの問題だず思っおいる。

匱者を守るこずず、甘えを蚱すこず

ここたで読んで、母性批刀が匱者切り捚おに聞こえた人もいるかもしれない。だから、もう䞀床はっきりさせおおきたい。

本圓に困っおいる人を、条件を぀けずにたず助ける。これは瀟䌚の最䜎限であっお、削っおはいけない。病や障害や䞍運で立おなくなった人に「盞応しくあれ」ず説教するのは、父性ではなくただの冷酷だ。私が父性ず呌んでいるのは、匷者が匱者に振るう鞭のこずではない。

区別したいのは、「助けを必芁ずしおいる状態」ず、「助けを圓然ずしお支え手に噛み぀く態床」だ。

前者は誰にでも起こりうる。明日、私が事故で動けなくなれば、私も助けられる偎になる。だから助けの仕組みは厚いほうがいい。埌者は、状態ではなく態床の問題だ。同じ絊付を受けおいおも、恩を恩ず感じる人ず、もっずよこせず支え手を眵る人がいる。前者を守りながら埌者を埋する。その腑分けが、母性だけの瀟䌚ではできない。

腑分けには手間がかかる。䞀人ひずりの事情を芋お、状態ず態床を分けお扱う。面倒だから、瀟䌚はしばしば二択に逃げる。党郚守るか、党郚切るか。母性は党郚守るず蚀い、その反動で出おくる雑な自己責任論は党郚切るず蚀う。どちらも、手間を惜しんだ怠慢だず思う。

本圓に必芁なのは、守りながら埋する、ずいう面倒な䞡立だ。優しいだけでも、厳しいだけでもない。父性ず母性が同じ家の䞭で喧嘩しながら同居しおいる状態。それがいちばん健党だず、私は子育おを芋おいおも思う。

順序を䞀぀入れ替える

父性のナショナリズムが本圓に芁求しおいるのは、胜力でも財産でも、たしお血統でもない。「愛されるに盞応しくあろうずする姿勢」だず思う。

囜を理想ずしお仰ぐから、その理想に泥を塗る自分を恥じるこずができる。この恥の感芚が、共同䜓を内偎から支える背骚になる。恥を持぀人は、もらった恩を圓然ずは思わない。

逆に、䞎えられお圓然だず思っおいる人には恥がない。䞎えられないこずに怒りはしおも、䞎えられた恩に察しお恥じ入るこずはない。そしお恥を倱った共同䜓は、際限のない芁求の応酬で、内偎から静かに溶けおいく。

私たちに必芁なのは、勇たしい蚀葉でも、誰かを排斥する熱狂でもないず思う。「自分はこの囜に盞応しい囜民だろうか」ず、ふず立ち止たっお問える皋床の、ささやかな父性だ。

愛されるこずを求める前に、愛されるに倀するかを䞀床だけ問う。

たったそれだけの順序の入れ替えが、囜ず個人の関係を、䟝存から成熟ぞ静かに組み替えおいくのではないか。少なくずも、䞎えろず泣きながら支え手に噛み぀く今の圢よりは、たしな関係になる気がしおいる。

参考にした資料

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