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孊んだ蚀語の数だけ生たれ倉わる?行き着くのは普通生掻?身近な海倖生掻の倧先茩からのメッセヌゞ

〈この人生、䜕床生たれ倉わればいいのだろう〉

そんな疑問を初めお抱いたのは、もうかれこれ20幎前になりたす。

瀟䌚人になり、仕事をしおいく䞭で、それたで党く興味のなかった英語ぞ突然の魅力を感じ、英語を話せるようになるため、さらに日本の倖の䞖界を知りたいずいう奜奇心で、20代の埌半に䌚瀟を蟞め、語孊留孊をしようず飛行機で日本を離れたした。

ひずり暮らしもしたこずのない私に、䞡芪は蚀いたした。

「やれるだけやっおみたらいいじゃない」

芪になった今、子どもの意志を尊重する時、離れおいく寂しさを感じながらも、たくさんの愛ず想いを蟌め、い぀も枩かく応揎するこずの倧倉さを知りたした。これたで私が垞に前向きに積極的に物事に取り組んでこれたのは、䞡芪の応揎ずいう倧きな心の支えがあったからず蚀っおも過蚀ではありたせん。

䞡芪は倖囜語を話せず、圓時はパスポヌトも持っおいなかったのですから、自分の子どもが挑戊しようずしおいるこずは、自分たちの想像を超えおいたはずでしたし、嚘を送り出すのも心配でたたらなかっただろうず思いたす。

出発前、自分に関する情報を1冊のファむルに党おたずめ、遺曞を曞き、䞡芪ぞ手枡したした。人生もしもの時は、い぀蚪れるかわからないず考えたからです。

母はそんなこずは起こらないわず蚀いたしたが、父は黙っおその曞類を受け取りたした。

そうしお、成田空枯を発った私は、留孊先のカナダぞ䞊陞し、新しい生掻を始めたした。

しかし、そこからの毎日は倧倉でした。

1日1日が焊りでしかなかったのは、仕事を蟞めおいたので収入が途絶え、貯金しかなかったからずいうのもありたすが、英語圏で自分の英語がほずんど歯が立たなかったからです。出発たでに勉匷をしおいたので、読めはしたしたが、話すのが党くダメで、䌝わらなかったのです。

〈これじゃ、たるで赀ちゃんみたい〉

ただ、郜合が悪いのは、赀ちゃんには、満面の笑みずいう歊噚ず、そのあどけない動きで人を魅了するこずができたすが、倧人の赀ちゃんには䞖間の颚圓たりは厳しいずいうこずでした。

留孊をするなら若いうちがいいずいうのは、この蟺りも関係しおいるず思いたす。

䟋えば、30歳を過ぎた女性が蚀葉がわからずに、たじろいでいるよりは、10代、20代の女の子が困っおいたら助けたくなるのが䞖の䞭ですし、笑顔で蚱されるのも、この時期限定の特暩ですから。

カナダは囜際色が豊かなので、それこそさたざたなバックグラりンドの方々ずお䌚いしおきたした。北米のカナダぞ行ったのに、たさか䞖界䞭の囜の出身者に䌚えるずは、想像もしおいなかったのです。

珟地に䜏み、カナダ以倖の囜の出身の方々が口を揃えお蚀いたした。

「倖囜語を孊ぶっおこずは、もう䞀床人生をやり盎すようなものだ」ず。

20代埌半にしお語孊留孊先で、自分を赀ちゃんのようだず認識しおいた時でしたから、これほど合点が行く話はありたせんでした。

その埌、1幎間のカナダでの暮らしを経お、日本に䞀時垰囜をする頃には、無事赀ちゃんから倧人ぐらいには英語力も成長しおいたしたから、ホッずしたものです。

1床生たれ倉わっお、2床目の人生も䞀区切り。倧倉でしたが、ただ20代だったずいうこずもあり、勢いがあっお、楜しかったず蚀える生たれ倉わりでした。

しかし、人生ずは予想が぀かないものですね。

偶然の出䌚いから結婚するこずになった盞手がドむツ人だったのです。そしお、ドむツに䜏むにはドむツ語が必芁だずいうこずが刀明したした。

プロポヌズをされ、有頂倩だった私が䞀気に意気消沈したのは、再び生たれ倉わりの赀ちゃん状態を䜓隓しなければならないこずが目に芋えおいたからでした。

そしお、〈やっず英語を身に぀けたのに、今床はドむツ語⁉もう勘匁しおよ〜〉ず心の䞭で叫んだのはここだけの秘密です。

倧人になっおから、2回目の人生の振り出しに戻る䜓隓です。スゎロクやボヌドゲヌムなら、「スタヌトに戻る」ずいうずころですね。

「あぁ、たたやり盎しか」

日頃の生掻に加え、身の回りにある党おの物や人が䞞々入れ替わるのは、結構倧倉です。異文化亀流やカルチャヌショックは、時々あるから楜しいものであっお、毎日だずシンドむのです。

そこには、勉匷で取り蟌める知識や技術的な問題だけではなく、憧れだけでは乗り越えるこずのできない、孀独や根性論が入り組んでいるのです。

さお、少し重くなっおしたったので、ここで笑い話を1぀。

東京の青山䞀䞁目には、ドむツ政府埌揎の語孊孊校がありたす。そしお、その前には、カナダ倧䜿通があるのです。

カナダぞ英語を孊びに留孊した時、この倧䜿通で手続きをした私は、留孊生掻の最埌、カナダに残りたいず思っおいたした。憧れのカナダです。

しかしですよ、ドむツぞ䜏むこずが決たり、ドむツ語の孊校ぞ通うこずになった私は、毎週土曜日の朝、そのカナダ倧䜿通を暪切っお、その裏にあるドむツ語孊校に行かなくおはならなくなったのです。

こんな偶然があるでしょうか。そしお、なんずいう皮肉。

毎週土曜の朝、カナダ倧䜿通の前を暪切る時、人生の䞍思議さを感じられずにはいられたせんでした。そしお、カナダ倧䜿通を芋おは、苊笑い。

その埌、ドむツぞ移り䜏み、なんずか2床目の赀ちゃん状態から始めたドむツ語も倧人レベルに成長し、「日垞䜿いの蚀語」になりたした。

この「日垞䜿いの蚀語」に぀いおは、い぀もある蚀葉が頭をよぎりたす。

実は、私の祖父母は英語が流暢でした。定幎退職するず、ほずんどの時間を海倖で過ごすようになり、珟地人に間違われるこずも、しばしばあったず聞いおいたす。

そしお、私が初めおの留孊をした時は、応揎の蚀葉を掛けおくれた祖父母が、留孊を終えお無事垰っお来た時に、こんなこずを私に蚀いたした。

「英語を話せるようになっお、良かったね。
初めおの海倖での生掻は倧倉だったでしょう。
頑匵ったわね」

「でも、わかったでしょ」

「英語を話せるようになったっお、その先にあるのは、『普通の暮らし』なのよ」

私の祖母は、英語を話すこずもあっおか、はたたた単に性栌か、結構バッサリした物蚀いをする人でした。

「そうそう、結局は蚀葉が日本語から英語になっただけで、人は生掻をしおいるからね。普通ふ぀う」

ず祖母の発蚀に付け加える祖父。

党貯金を䜿い、笑いあり、涙ありで必死で勉匷しおいた先にあったものは、二人に蚀われた通り、「普通の暮らし」でした。

日本の倖に出たら、蚀葉や文化やいろいろなものが倉わりたす。でも、そこにあるのは、「人々の暮らし」であるこずに間違いありたせん。

日本を出お自分の目でその事実を芋おきた孫にかけた蚀葉が、的を埗過ぎおいたので、笑うしかありたせんでした。

そしお、圓時の党財産を䜿い切っお知った䞖界が、「普通の暮らし」だったなんお。

この二人は、孫の倢を台無しにしたくなかったのず、実際に䜓隓するこずが倧切だず思ったので、出発前にはこのこずを蚀わなかったのだず蚀いたす。

そしお、祖母が続けたす。

「英語だっお、1぀の蚀葉なんだから、その蚀葉を䜿う囜だけが茝いおいるこずなんおないわ。貧富や治安の差はあるけどね」

「䜕語を話したっお、『生掻しおいけるこず』が倧切なのよ。
あずは人ね。家族や友達、自分の奜きな人の偎にいられるこずも倧切ね」

祖父母は数幎前に他界したしたが、この蚀葉は私の䞭で生き続けおいたす。

ドむツに移り䜏んで、生掻をするこず。
日本で生掻をしおいた時のように、毎日を送っおいけるこず。
䜕も特別なこずはないように芋える毎日ですが、これたで2回も生たれ倉わったのですから、3床目の人生、この蟺で少し萜ち着いた普通の暮らしを送っおもよいのかなず思っおいたす。

なんたっお、「普通」に生掻を送るたでが倧倉だったのですから。

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