20人のママ。子どもの目から見た私と母が重なる瞬間
昔、父親が仕事に行っている間、母親は私や家族のためにいつもせっせと動き回っていました。
子どもながらに、なぜ母親はいつもあれほど頑張れるのだろうと思っていました。
ある朝、我が子と朝食を食べていると
ふと思い立ったようにこんなことを話し始めました。
「ママが足りない」
「ママがたくさん必要だよ」
顔をまじまじと見て言ってくるのです。
「どうしてそんなことを言うの?」
「なんでそんなにたくさんのママがいるの?」
突然のことだったので、驚きつつ、理由を尋ねました。
すると、我が子はこう言いました。
「それはね…
ママが忙しそうだから」
「まず、お買い物をするママが要る。
次に、買ったものを運んでくれるママ。
料理を作るママ。
片付けをするママ。
幼稚園にお見送りやお迎えに来てくれるママ。
図書館で本と映画を借りるママ。
お風呂に入れてくれるママ。
お風呂とトイレの掃除をするママ。
洗濯をするママ。
部屋の掃除をするママ。
ゴミを捨てるママ。
虫が飛んできたら退治してくれるママ。
足りない物をインターネットで注文するママ。
本を読んでくれるママ。
あっ、働くママがいないとお金がないね。
だから、働くママもいなきゃ困る。
あとは、一緒に遊ぶママ。
寝かしつけをしてくれるママ。
抱きしめてくれるママ。
風邪を引いたら看病してくれるママ。
たくさんのママがいれば
ママは忙しくないでしょ?
そうしたら、ママはゆっくりできる。
本当のママは休んで」
この言葉を聞いた時、私は胸を打たれました。
同時に、次々といろんなママが出てくるので
〈よく見ているなぁ…〉とその観察ぶりに驚きました。
いつも何かと慌ただしくしてしまう自分に反省をしつつ、家事をしている間など、ひとりで遊ばせているので、寂しい思いをさせてないかが、気がかりでした。
我が子が成長するにつれ、赤ちゃんの頃のように、付きっきりではなくなりました。
そうは言っても、目の前のやることに追われて、側にいる時間が少ないことも確かです。
その一方で、人には生活があり、家のことも全自動でできるわけではありません。
発注者、管理者、清掃者など、職業名はありませんが、誰かがやっているから、毎日の生活が回っている。
そんなことも、少しずつ知ってほしい年頃になってきました。
また、ドイツでは、幼稚園でも学校でも清掃の方がいて、自分たちで掃除をする機会はあまりありません。
だからこそ、家では少しずつ、「誰かがやってくれていること」に気づいてほしいと思っています。
きれいな部屋も、食事ができていることも、洗濯された服を着られることも、誰かが手を動かしているからこそ、成り立っている。
そんなことを知ることも、生活を学ぶことのひとつなのかもしれません。
そう思う一方で、最近、あまり一緒にゆっくりしたり、遊べていないのも事実でした。
ワンオペの悩み。
ママはひとり。
他にいないのだから、なんとか回すしかありません。
いつも、私は毎日いったい何人分の仕事をしているのだろうと思います。
買い物をして、食事を作って、片付けて、洗濯をして、掃除をして、送迎をして、必要なものを管理して、子どもの話を聞いて、体調を崩せば看病する。
それぞれを別の仕事として考えたら、一人ではとても抱えきれないほどの役割です。
けれど、家庭の中にあると、それは「仕事」と呼ばれないまま、毎日のこととして過ぎていきます。
そんなことを考えていた時
私が小さい頃、なぜ母親がいつも次から次へと家事をこなし、頑張っていたのかが、少しわかったような気がしました。
そして、どこからそんなエネルギーが湧いていたのかも。
子どもである私の面倒をみるために。
子どもの幸せを願うがために。
多少の無理をしてでも
全身全霊で愛情を注いでくれたのだと。
我が子の目を通して見た私の姿は
昔、私が見ていた母の姿に似ていました。
子どもの何気ない言葉とやさしさ。
その純粋さに胸を打たれながら
遠い日本で暮らす母への思いを募らせた朝でした。

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