見出し画像

昭和の満月、平成のシェル

唐突だが、私は子どもの頃、マドレーヌというお菓子があまり得意ではなかった。

昭和の時代、お中元や手土産などでよくいただいた、あの銀色のアルミトレイや薄い敷紙に包まれた、丸くて平べったい満月のようなお菓子。

持ってきてくださる方の気持ちはとても嬉しいのだけれど、一口かじると、容赦なく口の中の水分が奪われていく。

幼い私は、用意されたマドレーヌを食べるたびに、心のなかでこっそり
「私の口の中の水分、返して……」と
呟いていた。

あのちょっぴり喉が詰まるような感覚は、私にとって完全に「昭和の懐かしい記憶」の一部になっていたのだ。

それから長い月日が流れ、私も三人の息子の母になった。

あるとき、息子たちがサイズアウトした服を、知り合いの方にまとめてお譲りしたことがあった。

数日後、「お礼に」と手渡されたのは、なんだかとてもお洒落で美しい箱。

ワクワクしながら蓋を開けると、そこには、私の知っている「あの満月」はいなかった。

きれいに澄んだ、淡い黄金色。
上品な波模様を宿した、
人魚でも出てきそうなシェル(貝殻)型。

なんでも、今をときめく人気店のパティシエが作ったマドレーヌなのだとか。

「う、美しい。でも……マドレーヌだよね?」

昔の記憶が脳裏をよぎり、一瞬身構える。
しかし、せっかくの温かい頂き物。紅茶をたっぷり準備して、少しドキドキしながら一口、口に入れてみた。

……なんということだろう。

私の知っているマドレーヌとは、完全に別次元のお菓子だった。
ふんわりとしているのに、しっとり。
噛むほどに、レモンの爽やかな香りが鼻に抜けていく。

そして何より、口の中で優しくほどけていく、
素晴らしい一体感。

「私が貴方を避けて通ってきた間に
一体どれほどの進化を遂げていたの……!?」

感動のあまり、心の中でパティシエに向かって拍手を送りながら、家族で一つ一つ、宝物のように大切にいただいた。

それでも、根が「食わず嫌い」なものだから、その後も自分から進んでマドレーヌを焼くことはなく、この年齢まで過ごしてきた。

ところが先日、いつも通っているパン教室のメニューに、あの「マドレーヌ」の文字が。

先生の指導のもと、焼き上がったおへそのぷっくりとしたマドレーヌを食べてみて、ハッとした。
「あ、あの時の味に、すごく近い……!」

自分で焼いた出来立てのマドレーヌは、しっとりとして本当に美味しくて、私はこの歳にしてようやく、マドレーヌの本当の魅力に、完全に目覚めてしまったのである。

大人の「小さな冒険」

大人になって、50代も過ぎると、人間どうしても「自分の定番」から外れるのが億劫になる。

「私はこれが好きだから」
「これは昔苦手だったから」
と、無意識に心のシャッターを下ろしてしまう。

自分の「好き」を大切に守ることはもちろん素敵だけれど、
たまには「まぁ、一回試してみるか」と、
小さな冒険をしてみるのも悪くないな、なんて思った。

もしあの時、息子たちの古着が、素敵なマドレーヌとの出会いを運んできてくれなかったら。
もし、パン教室のメニューを「マドレーヌかぁ」とスルーしていたら。

私は今も、懐かしい昭和の思い出の中に、マドレーヌをそっと閉じ込めたままだったかもしれない。

今日焼いたマドレーヌをお気に入りの器に乗せながら、そんなことを思った。

次は、どんな小さな冒険をしようかな。


#創作大賞2026 #エッセイ部門

いいなと思ったら応援しよう!