文学フリマ40@東京 に参戦します
先日、Kindleで一冊の本を出版しました。
冷めた夫婦関係が改善し、いまでは夫が親友のような恋人のような存在になった…という体験談です。
ありがたいことに、3つの部門で1位を獲得。
「共感した」「すごくためになった」という声をいただき、
――私の文章が人のためになったんだ
と実感することができました。
さて、ここからが本題。
きたる5/11(日)に、文学フリマに参加します。
今回、小説を発売するのですが、着手するまでにはかーなーり時間がかかりました。ギリギリ族もビックリなタイミング。
というのも、
これは誰のためになるのか?
読んだ人の中に、何を残せるのか?
そんな問いが浮かんできてしまったから。
Kindle本のときは、「夫婦関係に悩む人へ」という明確な届け先がありました。
でも、今回書こうとしている小説には、
実生活で生かせる有益な情報も
今すぐ実践できるワークも載らない。
ともすれば、ただの自己満足でしかない。
そう感じてしまったのです。
自分が成そうとしている行為に意味を見出せなくなっていました。
そんな迷いが吹っ切れるキッカケとなったのが、夫と一緒に観ていたNHKの番組『バタフライエフェクト』でした。
その回の題材は、カラシニコフ銃。
世界で最も多くの命を奪ったとされる武器です。
番組を見終えたあと、夫がふとつぶやいた言葉がありました。
「だから、文学が存在する」
高校時代に読んだ現代文の一節が、彼の記憶に残っていたそうです。
もう20年ほど前のことなので記憶は確かではないけれど、こんなことが書いていたとか。
「科学と文学は相反する」
「科学は世界を進歩させる。けれど、ほんの少しの誤りが人を殺す」
「文学は世界を劇的に変えることはできない。けれど、人が心ある生き物としていられる灯火である」
「だから、文学が存在する」
なんだか私は、このフレーズが気に入ってしまいました。
文学のやさしさ、力強さ、器の大きさが、ぎゅっと詰まっている感じがして。
私の人生をまるごと肯定するような温かさがあったのです。
文学とはなんだろう。
ただ言葉が並んでいるだけなのに、なぜこんなにも人々を魅了し、連綿と紡がれてきたのだろう。
文学フリマって、「自分が文学と信じるもの」なら何でもOKというルールがあるそうです。
それを思い出し、文学の存在意義を見つけたいと心に火が灯りました。
「だから、文学が存在する」
この言葉を出発点に、やっぱり小説を書こう。文学の存在意義を誰かと共有しよう。そう決意しました。
そんなわけで、今回文フリで出版する本には「文学とは何か」「なぜ我々にとって必要なのか」に対する、私なりの答えを5つの物語に託しています。
タイトルはそのまんま。
「だから、文学が存在する。」
あなたにとっての「文学の存在意義」は何でしょうか。
問いながら読んでいただけるとうれしいです!
数がかなり限られているので、気になる方はお早めにお越しくださいませ!
