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祖母の葬儀

6月29日月曜日。
ちょっと昨日は調子に乗ってしまった。朝が早く4時間しか寝られなかった上に、2時間寒い電車に揺られて祖母の葬儀へ向かうことになってしまった。霧雨に濡れたタイツで足がものすごく冷える。おまけに夫とわたしの意思疎通ミスでストールを家に忘れた。辛い。もし今後冬に葬式があったら、冬用の喪服は絶対パンツにしようと心に誓う。

駅で母と落ち合い寺に向かう。祖父の時は暗くて胡散臭い雰囲気の葬儀場だったけど、今回はお寺にしたようだ。こっちの方が、ずっと良かった。葬儀が始まって間もなく外が晴れてきて、風が静かに入り込んできた。
祖母は樺太出身だ。終戦後ソ連が攻め込んできて身を隠していたのだけど、おじいさんと共に水を汲みに行くところでソ連兵と出会してしまった。殺されると思った。けれど、そのソ連兵は手で「行け」と示して見逃してくれたと聞いた。ただ、運が良かっただけだと思う。祖母の年齢を考えると、この時すでに15歳。襲われていてもおかしくなかった。あの時祖母が殺されていたら、わたしはいなかったのだと思うと、不思議な気分だ。あとから聞くと、夫も葬儀中「あの時、ピックのおばあちゃんが殺されてたら俺も今ここにいなかったんだなあ」と考えていたらしい。
大人になってからは、めちゃくちゃな祖父と一緒の人生で大変だっただろうな、と思う。昔、初恋の話を聞いたこともあったっけ。
でもなあ、と思う。もっと沢山話を聞いておけばよかった。20代の時、7年間くらいに会いに行っていない時期があったのが最も悔やまれる。
母は三姉妹の末っ子で、姉2人は結婚していない。1番上の姉が家を買って、2番目の姉と2人で実家の近くに住んでいたけど祖母と晩年はその家で暮らした。その前からずっと、2番目の姉が両親の面倒をみていた。実家に一緒に住んでいた時も、近くに買った家に移った後も、ずっと両親の食事を用意して届けてあげていた。わたしにとっての、その2番目の叔母は、母や1番上の叔母に比べてクヨクヨしていてマイナス思考に感じて、話していてイラっとしてしまうことも多かったけど、振り返ってみて、ずっと両親の為に過ごしてきたことは本当にすごいことだと思う。祖母が苦しいのはわかっていたけど、そのまま家で死なせてしまうことができず最期まで病院での治療を続けさせてしまった、と言っていた。会ってひと息吐いてから「お疲れ様」と声を掛けると「さみしい」と肩を震わせていた。ずっとずっと寂しそうにしていた。

帰りは行きとは違う駅からグリーン車に乗ったので楽チンで、昼寝をしてスッキリした。
先月末に閉店してしまったカフェに立ち寄り、立ち退き作業の傍らで売っているコーヒー豆を買って帰った。早くどこかで再開してくれますように。

ちょうど一週間前はそんな感じです。

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