【労働供給制約社会】M&A・事業承継を「成長手段」として使いこなす経営戦略
はじめに
「事業承継」というと、多くの経営者は「後継者探し」や「廃業の回避」という文脈で捉えがちです。また「M&A」も、「会社を売る」あるいは「買収される」という守りの選択肢として語られることが多い。
しかし中小企業庁の「労働供給制約社会における中堅・中小企業の『稼ぐ力』強化戦略」は、M&Aと事業承継を全く異なる視点で位置づけています。「優秀な経営者に資源を集約し、経営改革を実現し、新たな成長につなげていくための手段」というのです。
守りではなく、攻めの経営改革の道具として使う。この発想の転換が、今後の中小企業経営に求められています。この記事では、国の政策が描く「攻めのM&A・事業承継」の全体像を整理します。

100億企業2000社:国が描く成長の絵姿
中小企業の成長目標として国が打ち出したのが、「100億企業の創出」です。100億企業とは、売上高100億円を達成した中小企業を指します。
現状は約4,500社ですが、2030年までに新たに2,000社増加させ、2034年には合計1万社を目指すという目標が設定されました。
この目標達成において、M&Aは重要な手段のひとつです。自社だけでオーガニックな成長を追いかけるより、他社の経営資源を組み合わせることで、成長速度を上げることができます。優秀な経営者のもとに事業・人材・技術・資金を集約する「経営資源の集約」が、中堅・中小企業の成長を加速させます。
「100億企業」という水準は、多くの中小企業経営者にとって「夢物語」に見えるかもしれません。しかし100億に至るまでの道のりには、「売上高1〜10億円を目指す成長志向の中小企業」の支援も設計されています。段階的な成長ステージごとに支援策が組まれており、いきなり大きな目標を掲げる必要はありません。
事業承継は「経営改革の契機」
事業承継の問題は引き続き喫緊の課題です。70代以上の事業者や60代の事業者の中にも、承継の準備が十分でないケースは多く残っています。
ただし国の政策は、事業承継を「後継者難の解消」という課題解決としてだけでなく、「経営者の若返りを通じた経営改革の実現」として捉え直すことを求めています。
実際、経営者が若返ることで新規事業への進出、省力化を高める設備投資、AX・DXの推進など、抜本的な経営改革の取り組みが多く行われるとされています。承継は「維持」ではなく「変革の起点」になり得るのです。
親族内承継(子どもや親族への引き継ぎ)も従業員承継(幹部社員への引き継ぎ)も、今後も重要な選択肢です。第三者へのM&Aだけが選択肢ではありません。大切なのは「どの方法であれ、承継を契機として経営を進化させる」という視点です。
中小M&A支援資格制度(仮称)の創設:何が変わるか
M&Aを活用したいと思っても、「支援機関が信頼できるかどうかわからない」という不安を持つ経営者は少なくありません。実際、M&A支援機関を名乗る事業者は増えていますが、不適切な支援に関する情報提供が継続して寄せられているのが現状です。
こうした状況を踏まえ、国は「中小M&A支援資格制度(仮称)」の早急な創設を目指しています。この制度は、M&A支援に必要な知識・スキルや倫理・行動規範等を問う試験制度と、継続的な登録制度を組み合わせた仕組みです。
事業者(機関)単位での規律遵守に加えて、個人レベルでの資格認定を行うことで、担当者の知識と倫理観をより確実に担保することが狙いです。現行の「M&A支援機関登録制度」(令和3年8月創設)を見直し、資格制度と連携した形で法制化することも検討されています。
中小企業経営者としては、「この制度ができた後は、資格保有者かどうかを確認することがM&A支援機関選びの一つの基準になる」と覚えておいてください。
事業承継税制の現状と今後の議論
M&A・事業承継に関して、税制面でも重要な動きがあります。
現行の法人版事業承継税制の特例措置は、相続税・贈与税の100%を猶予する仕組みです。これを活用することで、後継者への事業承継にかかる税負担を大幅に軽減できます。ただし、「対象となる相続・贈与の期限は2027年12月末」とされており、適用期間が限られています。
令和8年度与党税制改正大綱では、「適用期限到来後のあり方については、世代交代の停滞や地域経済の成長への影響に係る懸念に加えて、本措置の適用状況や課税の公平性等の観点も踏まえて多角的な検討を行い、令和9年度税制改正において結論を得る」とされています。
つまり2027年以降の特例措置のあり方については、現時点では確定していません。期限内に承継を済ませることが有利になる可能性があります。現状の制度を最大限に活用する準備を今から進めておくことが重要です。
ローカル・ゼブラ企業:地域に根ざした成長モデル
M&Aや事業承継の先に目指す企業像のひとつとして、「ローカル・ゼブラ企業」という概念が戦略文書に登場します。
戦略文書の定義は「地域課題解決に資する価値を有し、収益性を高め、かつ、暮らしや事業環境の持続性に貢献し地域へ正の外部性の効果(地域の事業者等の取引費用の削減等)と社会・環境的効果(社会的インパクト)を創出する企業」です。
「ゼブラ」という名称は、白と黒の縞模様を持つシマウマのように、収益性と社会性を両立させる企業を指す言葉として使われています。大都市に本社を置くメガ企業ではなく、地域に根ざしながら収益を高め、地域全体に良い影響を広げていく企業モデルです。
国はこのローカル・ゼブラ企業の育成を、地域未来投資促進法に基づく地域経済牽引事業の一つとして位置づけ、都道府県等の承認スキームを活用しながら、地域のステークホルダーとの連携体制を構築していく方針です。
地方部でのM&A普及:課題と支援の強化
M&Aを活用したい中小企業が地方にあっても、「支援機関が都市部に集中していて、地元に相談できる場所がない」という状況があります。
国はこの点を課題として認識し、「事業承継・引継ぎ支援センター」を中心とした支援体制の強化を進めています。地域金融機関(地銀・信金)との連携も深め、地方部の中小企業でもM&Aや事業承継を活用しやすい環境を整えていきます。
「アトツギ甲子園」(新規事業の提案を通じた後継者の戦略立案能力育成プログラム)に加え、組織経営やリーダーシップ、概念化能力を育てる実践的な後継者育成プログラムの開発も進められています。「承継後に何をするか」を準備している後継者への支援が充実していきます。
事業承継を「計画的に」進めるために
「後継者を探し始めたが、なかなか見つからない」「まだ先の話だと思っていたが、もう65歳になってしまった」。事業承継の問題が表面化するのは、多くの場合タイミングが遅れてからです。
理想的には、承継の5〜10年前から準備を始めることが望ましいとされています。その理由は、3つあります。
第1に、後継者候補の育成に時間がかかるからです。社内の幹部社員を後継者として育てるには、経営判断を任せる機会を積み重ねる期間が必要です。
第2に、会社の整理に時間がかかるからです。承継をスムーズにするには、財務体質の改善、不採算事業の見直し、借入金の整理、属人的な業務の仕組み化など、複数の準備が必要です。これらを一気にやろうとすると、通常業務に支障が出ます。
第3に、M&Aによる相手先探しに時間がかかるからです。第三者へのM&Aを選択する場合、適切な買い手を見つけるまでに平均1〜2年かかることが多いとされています。「来年には決めたい」という状況では、条件面で妥協せざるを得ないケースも出てきます。
地元の商工会・商工会議所、事業承継・引継ぎ支援センターへの相談は、早い段階から行うことが得策です。「まだ決めていないが、将来のために情報を集めたい」という段階から相談に応じてもらえます。
買う側の戦略:中小企業によるM&Aの活用
事業承継の文脈では「売る側」の話になりがちですが、「買う側」の戦略も重要です。
中小企業が別の中小企業をM&Aで買収する。これは決して珍しいことではなく、むしろ成長戦略として有効な選択肢です。
たとえば、以下のような目的でM&Aを活用している中小企業があります。「地元で廃業予定の同業者の顧客基盤を引き継ぐ」
「不足している技術・人材を持つ企業を買収して補完する」
「地理的な商圏を広げるために隣県の同業者を統合する」
「職人的なノウハウを持つ小規模企業を承継して技術を継承する」。
こうした動きを後押しするのが、中小企業投資育成株式会社(中小機構のファンド等)が提供する資金調達の仕組みや、政府系金融機関(日本政策金融公庫)の事業承継・集約化関連融資です。買収資金の調達は以前と比べて選択肢が広がっており、「M&Aをするお金がない」という理由だけで諦める時代ではなくなってきています。
成長したい経営者にとって、「攻めのM&A」は真剣に検討する価値がある選択肢です。
おわりに
M&A・事業承継を「経営改革の手段」として使いこなすには、まず「廃業回避のための手段だ」という固定観念を外すことが必要です。承継は終わりではなく、新しい経営の始まりです。
労働供給制約社会では、限られた人材をいかに有効に集中させるかが鍵になります。M&Aによる経営資源の集約は、その有力な手段のひとつです。制度的な環境も整いつつある今、このタイミングを活かすかどうかは経営者の判断にかかっています。
次回は最終回として、「賃上げを成長戦略の起点に変える」という視点から、人材獲得・経営リテラシー向上・好循環の実現について取り上げます。
参考資料
中小企業庁「労働供給制約社会における中堅・中小企業の『稼ぐ力』強化戦略」(2026年6月)
中小企業庁「中小企業政策の新たなKPIの設定について」(2026年3月)
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