白居易家族 白宇経の子孫 受難編②
違法逮捕と罷免
白居易の堂兄(白宇経)の子孫は、新羅、高麗、李氏朝鮮と政軍の高位高官の職にありましたが、それぞれの時代において受難した者もいました。
高麗時代
21世白文節
16世白吉の弟白卓の子孫は、思淸、光宇、汝舟、景瑄、文節と続きます。
『高麗史列伝第百六』現代語訳
白文節、字は彬然。藍浦郡の人で、新羅の諫官・仲鶴の子孫である。高宗の時代に科挙に合格し翰林院に入り、中書舎人・吏部侍郎・国子祭酒等の要職を歴任した。忠烈王の治世で司議大夫に任命された当時、功績もないのに家柄だけで官職を得る者たちが多数登用されていたが、郎舎(官吏)たちは任命状への署名を拒否した。王が再三催促しても応じないため、恨みを持った者が王の側近を通じて王を挑発した。
折しも承旨の李尊庇が監察司の上奏文を準備していたところ、王はこれを僉議府の上奏と誤解して激怒し、李尊庇を叱責して退けた。続いて王は忽赤(侍衛官)の崔崇に命じ、白文節をはじめ司議の金㥠、給事中の金之瑞、典書の崔守璜、中舎郎の李益培、司諫の李行儉と李仁挺、正言の鄭文と張碩らを逮捕させた。李尊庇が弁明しようと再び進言すると、王は郎舎たちの取り成しをしていると疑い、彼を叱って制止し白文節らを罷免した。李尊庇は声を荒げて言った。「王よ、臣の心を察していただけないなら、どうして再び政務を預かることができましょうか。どうか臣を免職として故郷に帰らせてください」。すると李之氐が進言した。「李尊庇が上奏したのは監察司の文書であり、僉議府のものではありません。陛下はよく確かめもせず郎舎たちを罰し、さらに李尊庇を責められた。そもそも僉議府は百官の長であるのに、一介の忽赤に命じて深夜に郎舎たちを逮捕させるとは、国体を損なう所業です」。王が文書を取って確認すると自らの誤りを悟り、彼らを釈放した。
その後、白文節は国学大司成・宝文閣学士に昇進し、8年後に死去した。文才に優れ文章は流麗で、当時の人々から高く評価されたが、決して才能を誇ることはなかった。元宗が復位した際、権臣の林衍が息子の林惟幹と腹心を同行させ「廃立事件には触れるな」と強く迫った。王が病を理由に退位すると偽る上奏文の作成を命じると、白文節は筆を置いて涙ながらに諫めた。王はその言葉に感じ入り、真実を伝える上奏を行った。普段は不精に見えた白文節だったが、この事件で人々は彼が節義の士であることを知った。息子に白頤正と白孝珠がいる。
白頤正は朝鮮の朱子学の祖。
『高麗史』の列伝で取り上げられているということは歴史に名を残したということです。
今でいうところの、讒訴による違法逮捕(適正手続を欠く逮捕)でした。エピソードを見ると正しいことを実践する真っ直ぐな性格が現れています。
国学大司成(正三品)は最高教育機関の長官、宝文閣学士(正三品)は国王の側近で、詔勅の起草、王室文書の管理を行いました。
