日本書記最大の謎II
▪️邪馬台国の所在地
中国の漢時代に朝鮮半島西側の遼東半島北北東にあった衛氏朝鮮を滅ぼしこの地に楽浪郡含む四群を設置した。漢滅亡後、魏は楽浪郡を残してその隣りの地遼東半島内に帯方郡を設置した。
国力を増した高句麗は286年楽浪郡を併合し4世紀前半には帯方郡も併合し勢力を拡大した。
百済は帯方郡内にあった馬韓を百済としたが、高句麗との争いに負けて、高句麗の南下政策により、今のソウル、扶余へ遷都した。
百済台頭前、遼東半島東海岸から内陸部、ソウル一帯には倭民族か小国で乱立していた。(実はこの倭が卑弥呼の倭なのです)高句麗の南下政策、百済の遷都で国を追われた倭民族は伽耶諸国を造った。
だから日本書記・古事記に邪馬台国も卑弥呼も出てこない。いまだに九州説・近畿説とどちらかハッキリしないのだ。それは邪馬台国が朝鮮の遼東半島内の帯方群馬韓の南西方面一帯にあったからだ。邪馬台国は後々伽耶小国家群となった。
日本書記編纂チームはこの事実を把握していて、卑弥呼を天照大神の創作に上手く利用し古来より女性の神、女王、女性天皇を擁する国家であると日本書記に宣言した。当時の東アジアの国々に特に唐と統一新羅に日本書記を通して伝搬を目的に配布し宣伝した。
これが邪馬台国・卑弥呼の事実である。
