読書エッセイ『風立ちぬ』を読む ―風景を読む

はじめに

私の読書方法は、まず点字で数ページほど読み、その後はデイジー図書で全体を聞くというものです。

今回読んだのは、堀辰雄の『風立ちぬ』です。

堀辰雄の作品を読むのは今回が初めてでした。

まずは冒頭を点字で読んでみました。


夏――冒頭を点字で追う

以下、堀辰雄『風立ちぬ』(青空文庫)より引用します。

 それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、縁だけ茜色を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何物かが生れて来つつあるかのように……

 そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木蔭に寝そべって果物を齧じっていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。

以上が冒頭部分です。

草原や白樺、雲、そして突然立つ風。
その情景が、まるで一枚の絵画のように目の前へ広がってきました。
美しい風景描写でありながら、
「風が立った」という一文には、
これから始まる物語を予感させるような響きがあります。


秋――重ね描かれる同じ草原

『風立ちぬ』は、療養のため高原のサナトリウムで過ごす「私」と婚約者・節子の日々を描いた物語です。

しばらく読み進めると、再び草原の情景が描かれます。

 私はそれから十数分後、一つの林の尽きたところ、そこから急に打ちひらけて、遠い地平線までも一帯に眺められる、一面に薄の生い茂った草原の中に、足を踏み入れていた。そして私はその傍らの、既に葉の黄いろくなりかけた一本の白樺の木蔭に身を横たえた。其処は、その夏の日々、お前が絵を描いているのを眺めながら、私がいつも今のように身を横たえていたところだった。
あの時には殆んどいつも入道雲に遮られていた地平線のあたりには、今は、何処か知らない、遠くの山脈までが、真っ白な穂先をなびかせた薄の上を分けながら、その輪廓を一つ一つくっきりと見せていた。

最初は美しい風景として読んでいた草原が、二度目にはまったく違って見えました。
同じ場所なのに、そこに積み重なった時間を知ったあとでは、風景そのものが変わって見えるのです。

まるで画家が同じキャンバスに少しずつ絵の具を重ね、一枚の絵を完成させていくように、同じ風景に新たな意味が加わっていくのです。

私はこれまで、登場人物や物語の展開を中心に読書エッセイを書いてきました。しかし『風立ちぬ』では、初めて「風景を読む」という楽しさを味わいました。

同じ場所が描かれていても、季節や時間、そして「私」の心の変化によって、その風景の意味まで変わって見える。
それは、これまでとは少し違う読書体験でした。


おわりに

点字でゆっくり文章を追い、その後デイジー図書で作品全体を聞くことで、『風立ちぬ』の美しい文章と静かなリズムをより深く味わうことができました。

風景は、ただ物語の背景にあるのではない。そこには、登場人物の心や、言葉にならない時間まで映し出されているのだと思います。

いいなと思ったら応援しよう!