📚102【憤怒の人】怒りはエネルギー 1483
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憤怒の人
母•佐藤愛子のカケラ
杉山響子(1960年東京生まれ、作家•脚本家、作家佐藤愛子と田畑麦彦の娘、89年結婚、91年出産後も佐藤愛子とは長年ひとつ屋根の下で暮らす)
小学館 335頁
2026.1.20初版
初出「女性セブン」2025.1.2、9日号〜2025.12.4日号
愛子先生のお嬢様、さすがの名文。
喜怒哀楽が胸を打ち、とても楽しく拝読しました。
切なくて、やがて大笑い。
他人事になると、面白いのね。いつでもなぐさめるぞお。
なんと泣きたいほど滑稽で懸命なのだろう。
でも、これが美しき人生なのだ。
佐藤愛子さんの歯に衣着せぬ物言いで憂さが晴れるのか、母には読んでは笑っていた時期があった。
母と私は徹底的に合わない母娘なのだけれど、「佐藤愛子さんが母親よりはマシ」「娘様には私とは別の辛さがあるよなあ」と思って読んだのが、『娘と私と娘のムスメ』だったように記憶している。
その後、遡って直木賞受賞作『戦いすんで日が暮れて』を読んだり、新聞小説『凪の光景』の老夫婦にしみじみしたり、「戦いすんで」の続編?を読んだり。
その結果、私の思う佐藤愛子さんは破茶滅茶と怒りと笑いの人。
『血脈』では佐藤家の荒ぶる血筋を辿り、そうなるのも致し方なしと納得。
エッセイ『九十歳、何がめでたい』の後、何度か「これで最後」と断筆を口にされるも、新刊は出続けていた。
98歳、100歳、101歳……
それって本当?
お元気でおきれいなまま、今も書き続けていらっしゃるの?
と思ったら、認知症になり施設に入所され102歳になられていた。
著者杉山響子さんは、佐藤愛子著『娘と私』シリーズでお馴染みのキョーコさん。
佐藤愛子さんと長く同居し、いちばん身近で接してきた人。
私はキョーコさんのことを以前から「我慢強くてあの母親にも逆らわない人」「聞き分けの良い娘」「私なら到底無理」と思っていた。
いやはやエピソードを読むにつけ、本当に波瀾万丈で荒唐無稽で自由奔放なお母様。
読むには面白いけれど、身内には絶対に要らない。
そんな母が娘に初めて謝る。
「私は自分勝手でわがままな母親だったからね。あんたにはずいぶんかわいそうなことをしたと思って」
そして母は「ごめんね」と言った。
「ごめんね」と母が言うのを初めて聞いた。途端に私の中に後悔と罪悪感が雨雲のように湧いてきて私を責め立てた。正直、内心では、
「このクソババア!」
と思ったりするのだ。けれどそれは、相手が高飛車で自己中だからこちらも心置きなく毒づける(心の中だけだが)のであって、相手が弱ってきたとなると別だ。私は心が痛んだ。
(ああ、わがままでも怒りん坊でもいいから、母らしく元気でいてほしい)
と祈るような気持ちになった。
私の母は佐藤愛子さんより若く、私もキョーコさんより若いのだけれど、母も認知症。
いつだったか何の脈絡もなく
「○○ちゃんには、随分と辛い思いをさせたね」と突然真顔で謝られたことがある。
当時は未だキョーコさんの境地には至らず、「ほんっとーに辛かったわ」「今頃謝られても遅いわ」と笑って言い返したのだけれど、いつか私も心を痛めたりするのだろうか。
しないな、きっと。
それにしても憤怒の人よ。
佐藤愛子さんを語るのにこれほど適した言葉があるだろうか?
笑いの底にも、涙の源にも、怒りのマグマがあった。
怒りのエネルギーが佐藤愛子さんを突き動かし、物言わせ、書かせていた。
母という火山は年がら年中火を噴いていた。
その火の粉はしばしば私の頭に降りかかってきた。煮えたぎる溶岩流がつい足元にまで迫ってくることはしょっちゅうだったし、やけども負った。けれど母が百歳を超え、認知症が始まると火山活動は徐々に衰えていった。今では噴煙を出すこともほとんどない。もう死火山になったのかもしれない。
かなわん人だった。うるさい人だった。何度クソババア、と思ったかわからない。
けれどこうして母との思い出をたどっていくと、冷えて固まった火山岩のところどころにキラキラ瞬いているカケラを見つけるのだ。
怒り成分を取り除いてしまったら、現れるのは恥ずかしがり屋で引っ込み思案の愛子ちゃんなのかもしれない。
周囲に気を使い、ふてぶてしくなく、悪口も言わず……
無責任な一読者にとっては、佐藤愛子さんが憤怒の人で本当に良かった。
2026.4.23.木
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