【類友】変態が変態を呼んでしまうのはなんでなん?という話。
noteをご覧の皆さん。
ご機嫌よう。
札幌でゆる〜くお芝居させていただいております。 田中巧貴 と申します。
今回は変態みたいな人の周りには変態が集まるよねというハナシを深堀っていきたいと思います。
ちょっと人間の内面深いところというか、
人によっては「(´;ω;`)ウッ…(瀕死)」となりやすい話題かも知れないので無理そうな方は今回はここでブラウザバッグ推奨です。
後普通にセンシティブな内容かも知れませんがいつも通りフザけて書くと思います。
よしなに。
類は友を呼ぶ という諺。
皆さん生きている中でSNSだとか、ちょっとクチの上手い小学校の同級生の口走ったその言葉であるとか、どっかのタイミングでこの「類友」という言葉に出会う訳ですけれども、この言葉の起源とやらは一体いつまで遡ることになるんでしょうか。
気になったのでGoogle先生の力をお借りして調べてみました。
するとなんとWikipedia先生が上位にヒットしてくるではありませんか!!
まさかこんなところでもwiki先生に出会えるとは…!
ありがたやありがたや、
頁を覗いてみると…( ・ω・)フムフム
この言葉は、紀元前の周の時代の中国で書かれた『易経』という書物が由来であるとされる。この書物には、人間というのは類をもって集まり、物は集まったことをもって分けられるというようなことが書かれている。
Wikipedia抜粋
なんと紀元前からの出自が示されているではありませか…!!
こりゃビッくらポンですよビッくらポン。
ちょっと話は逸れるのですがこの易経という書物。
何やら一説には紀元前1100年頃から存在していたらしく、以後数百年かけて徐々に今伝えられている形になったのだとか。
はえ〜流石中国!って感じですよね。
で、話を戻すとこの類は友を呼ぶなんて言葉、
大昔から使われているんだからきっと人間の普遍的な性質を現しているに違いないとワタクシは睨んだ訳でして。
ワタクシ個人の体感、所感としても、やっぱり人は面白いくらいに類友な訳で。
特に変態はそうなんですよ何故か。
じゃあ何故そんな変態と呼ばれる人種が突出して「類友」を発動し、人口の割合からいったら少数であろう「変態さん」をいとも容易く寄せ集めてしまうのか。
主にコンカフェの変態こと田中 巧貴が考察していきますよ〜
変態とは何か
先ずはじめに何故変態さんは変態さんを寄せ集めるのかを語る前に、そもそも「変態とは」という部分をある程度固めておきたいと思います。
議論って奴ァ定義が重要ですから。
変態って言葉を辞書(コトバンク)で引くと、
1 形や状態を変えること。また、その形や状態。
2 普通の状態と違うこと。異常な、または病的な状態。
3 《「変態性欲」の略》性的倒錯があって、性行動が普通とは変わっている状態。また、そのような傾向をもつ人。
とまぁ続くんですが上に出てくる項目としてはこんな感じ。
見た感じ2の項目は特に大事だろうなぁと思う訳で、
変態ってとどのつまり他者からみた異常性って事ですよね。
それが性的なカテゴリーになってくると3に該当してくるんだろうし。
普通の人は毎週ノリでコンカフェに行きませんとか、普通の人は週に2回もゲボって彼女にすすきのに迎えに来てもらうまで飲みませんとかそんな感じですよね…
言ってて虚しくなってきました。
ここで諸々の前提を踏まえ、変態の定義を
「過半数の人から異常とみられる特性がある」とでもしておきたいと思います。
アレ、なんか意外と本格的な考察?笑
変態は孤独
変態の定義が定まったZEというところで、
本題の「何故変態は特に類友しちゃうのか」ですが、自称変態のワタシからしてみると真っ先に挙がる理由はコレでしょうってんで大見出しに。
そもそも変態って寂しさを抱えやすいんですよね。
それは何も特段社会に対してツバを吐いて自ら孤立しようなんて企てがなくたって、
自然と人は「珍しいもの」を怖がるように出来てるし、少なくとも警戒し、様子をみる。
…ってなった時に、例えばカラオケに4人で遊びに行きたいな〜あと1人ぐらい欲しいな〜ってなって真っ先に呼ばれるのは
超成績優秀で無口なAさんでも、
家でゴキブリを飼っているらしいBさんでも、
口を開けばコンカフェに在籍している女の子の話しかしない田中君でも無く、
成績は中の上くらいで、温厚そうで怒ったところをあまり見たことがないバトミントン部の中森君なんですよね(誰。)
コレ、敢えて辛(から)いことを言いますと、別にカラオケにみんなで行くことが決まってて、その上で「カラオケをすることに支障が出そうな特性」の子をハジクなら、誤解を恐れずに言うとしゃーないなって思う訳ですよ僕は。
だってカラオケしたいんだもん。
前情報でAさんは歌うのは嫌いって誰かから聞いたとか、
Bさんは聴覚過敏があるから無理そうね、とか。
そういう事前の何かがあって、「今回はごめんね」って言うなら、それでも他の遊びを考えたら良いじゃんって意見をもつ人からしてみたら冷たいかもだけどぶっちゃけしゃーないなと思える。
少なくとも、田中君はそう思えるんですよ。
だけどですよ、ゴキブリ飼ってる事がみんなで歌ったりすることと何の関係がありますかって話で、別にそんなの関係無い筈で。
もしかしたらペットの趣味は少数派だったけど、流行りのJpopとかボカロとか大好きで何ならめっちゃ歌上手い可能性とかもある訳で。
そういう誘う内容と直接関係のない、いち印象で誘われることから遠ざかったりする経験というのが、
先に定義した「過半数の人から異常とみられる特性がある」と自ずと増えがちで、
結果として孤独を感じてしまうんですよね…orz
古いですかねこのAA。
でですね、次の話題の性質上、今この愛すべき変態たちを誘わなかった、カラオケに行きたい人ら側のことを「非変態」とでも名付け、そう呼称していくことにしますヨ。
変態は非変態を避ける。
ここまでの考察で変態というのは構造上非変態のグループから警戒されやすく、従って孤独を抱えやすいということが分かりました。
じゃあそんな寂しき変態たちが次にどんな行動を取るかという事なんですが、
当然、その寂しさを埋めようとするんじゃないでしょうか。
で、ここで単に誰彼構わず、ねぇねぇ構って〜〜!っとなるのではあればタイトル回収は失敗に終わる訳でして。
なるべくロジカルに、「変態は変態を呼ぶ」に帰結する理由を述べていきたいと思います。
そうここが変態の最終ステージ(?)になってくるのですが、自分をカラオケに誘おうともしなかった非変態集団との出会い。
そんな彼ら彼女らとは、もうあまり関わりたくないと変態もまた思うようになるでしょう。
しかし心の中にはその彼ら彼女らに植え付けらたといってもいい寂しさが残っている。
じゃあどうするか。
寂しさを外部にそれとなくアピールしたり、或いは漏れ出させつつも、非変態そうな人を避けて仲間を作るんですね。
これが某、何となく単純な「類友」とは質が違うなぁと思った理由の正体だと思うのです。
そう、普通に『類は友を呼ぶ』であれば、それこそ同じ趣味の仲間とか、似た価値観の人とつるみがちだよねという話になって終わりですよね。
そりゃその方が当人も居心地良いでしょうし、議論の余地も無いアタリマエ体操な話だと思うんですね。
だがしかし、こと「変態」に限っては話がちょっと変わってくる。
変態の定義をおさらいしましょう。
「過半数の人から異常とみられる特性がある」人間です。
過半数の人から異常にみられることって、いかにもネガティブなことだけじゃなくて、
「超絶勉強ができる」だってそうだし、「億万長者」もそれに当たってくるでしょうし、寧ろポジティブが過ぎるぜっていうことにも当てはまるのです。
そして、別にネガティブって訳じゃ決してないんですが例えば犬や猫を飼っている人よりも、ヒルや蟲みたいなものを飼っている人の方がなんだか警戒されてしまったりする。
つまり何が言いたいかって、変態は幅が広いので、別に変態同士をランダムで集めても趣味や価値観が合うとは全然限らない、ということ。
これこそが、非変態たちの「類友」と質的に大きく異なる点であり、ある種変態という人種の懐の広さなんだと思うのですよ。
だからこそ変態というのは最後、
人を「非変態か否か」で自動的にみるようなきらいが有ると思っていて、そうすると該当者もグンと増える。
そしてその一見なんの共通点もない人たちが、
(億万長者と、ゴキブリ大好きな子とか)
何となく世間で肩身が狭い、という内なる共通点で緩く繋がるようになる。
そういう共通の趣味を持っている訳じゃない人たち同士が繋がれた時、意外と同じスポーツやってますよろしくねーっていう関係より強固な絆みたいなものが生まれたりするし、
表面的に共通の何かが無いからこそ、変態たちはより内面で繋がろうとする。
だから、変態さんはちゃんと人を選ぶし、何か過去のトラウマ的エピソードから非変態のことうっすら嫌いな人もいるかもだし、そこには結束力が往々にして生まれたりもする。
そんなこんなで、実は「変態」と呼ばれるグループにはニッチな趣味とか個性ばかりが集まってくる割に、
案外懐が広く、寂しがり屋で繋がりを求めている、という性質の人が大量発生したりするんだと思います。
するとアラ不思議大袈裟なくらい、「類は友を呼ぶ」を体現したりするんじゃないでしょうか。
終わりに
まぁ、色々言いまくりましたが、全部個人の感想で、別にヒルが好きな友達も、億万長者とつるんでるゴキブリ好きマンにも会った事はございません。
これらは全部極端な例かも知れないけど、
人の寂しさとか性質って案外ロジカルに説明できる部分が有ると思うし、変態って別に悪いものじゃないよな〜と思うこの頃です。
変態には変態の居場所がきっとどこかにあって、それで幸せならそれで良いんですよ!
無理にいい感じのオチ付けようとしましたが、何はともあれまた次の記事で!
※最後の最後に補足ですが、今回は議論の都合上もあって変態では無い人のことを「非変態」などと敢えて良からぬ名前を付けてしまいましたが、別に私は非変態に属している方が嫌いとか、ましてや批判してやろうなんて気持ちはありません。
それは「変態」に対しても一緒です。
というか極論、変態、非変態の垣根・境界なんてものは無いと思っています。
記事の中で、「非変態のことうっすら嫌いな人もいるかもだし」という表現を使いましたが、
それはあくまでそういう変態さんもいるかもね、というお話で私個人の感想ではないということは注釈させていただこうと思います。
ではまた👋
