太宰治 評伝⑵ 「待つ」の自己矛盾
太宰と京都
太宰治は「京都に住みたい」
願望はあったようだ。
統制下の文学
作品「待つ」は、
京都帝大新聞から
「時局にふさわしくない」と
返却された。昭和17年のこと。
「時局」に逆行する
「もっとなごやかな、
ぱっと明るい、
素晴らしいもの。」
「麦畑を流れる清水。」と
二十の娘に語らせた太宰は、
時局が求めた「学生の戦意高揚」とは
正反対のベクトルを掲げたのだ。
待ち続ける、なにかを
「誰とも、
わからぬ人をお迎えに参る、」とは
自己矛盾に満ちた行動である。
待つ、とは、
待つ対象の相手が居て
「何時」来るかわからない状態を言う。
「誰が」来るかわからない状態で
「何時」来るかもわからない。
まったく先が見えない闇に居て
ただ、夢を見る。生きる夢を。
戦争が終わるまで
太宰は
繰り返し問い直し、
答えを導き出そうとした。
この姿勢が
後の「斜陽」に
つながっているように読める。
