『机さする』を聴いた。覚えてても忘れそうでさ書いとこ。怖いから。
映画『ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観てからの私は、エンディングテーマ『机さする』を繰り返し聴いている。
映画のストーリーを思いだすからではない。「忘れてしまうことへの怖さ」を歌った歌だったからだ。ちいかわの声を担当している青木遥さんの14歳の澄み切った声にぴったりで、今朝も洗いものをしながらこの曲を聴き、キッチンで大粒の涙を流し、猫たちに不審がられていた。
『机さする』は、考え事をしていたら朝になっていたという描写から始まる。
外を見ると もう
明るいよね
眠れなかった
けどさ 頭冴えてる
2番では、場面は変わりすっかり夜。同じことをぐるぐると考えている主人公の思考の流れが表現されている。
そして、サビではこんな歌詞が繰り返される。
覚えてても
忘れそうでさ
書いとこ こわいから
そして、最後は、
今 机さする
という一節で締めくくられる。
『やさしさに包まれたなら』を彷彿させるイントロに油断していたら、雷に打たれてしまった。何よりも「今、この瞬間の感触を忘れたくない」という気持ちを、「机さする」という一言に置き換えたナガノ先生が怖くなった。ナガノ先生は、やはり、天才だ。
完全に歌詞にくらってしまった私は、一緒に観に行った夫と「世界の山ちゃん」に入り、手羽先と生ビール(大)を注文したが、ほとんど喉を通らず、ずっとこの歌のことを考えていた。
考えてみれば、古来から人間たちは、忘れないために「言葉」や「絵」でいろいろなものを残してきた。日記を書いたり、写真を撮ったり、手紙を書いたり、絵を描いたり。
今日行った場所。
今日食べたもの。
今日着た洋服。
その時の天気、気温。
誰かに言われた言葉。
そのとき自分が感じたこと。
わざわざ形にして、置いておく。
それらは、シンプルに「忘れたくない」という気持ちに動かされたものだったのであろう。
じゃあ、私は?
なんでnoteでエッセイを書いているんだっけ。
エッセイを書き始めたのは、いわゆる大殺界と言われる期間中になにをやってもどうしちゃったのかしらってくらい、どうにもならないことが多くて、それらの日々を残しておくべきだと考えたからだ。
「なにをやってもどうしちゃったのかしら」のシーズンは、一言でいえば、そう表現するのが正しいことにはなるのだが、そこには、はからずとも人との永遠の別れも含まれていたし、それによって自分自身の思考を一度リセットさせて、「働くことはなにか」とか、「生活するとは何か」ということを、見つめ直した出来事も含まれていた。
それなのに、書いていない。
いまだに書くことができていないことの方が、ほとんどなのだ。理由は自分でもわかっている。書くためにもう一度向き合うことが怖い。「忘れたくない」は、「忘れないように向き合うこと」とセットなのだ。
そのせいで、数年たった今は、細かいところをすっかり忘れてしまったような気持ちになっている。それは、とても恐ろしいことだ。手にできなくなってしまったこと、会えなくなってしまった人のこと、忘れたくないのに。
ただ、それをエッセイに書くには、まだ力量が足りていない気がしている。文章力のことだけではなく、自分自身の整理の話だ。
だけど私は、毎週、昔のことから順に、特にこどもの頃の話を中心に、自分の記憶を掘り起こすことにした。
私の良くない癖で、瞬発的に自分の気持ちを分析したり言い表すことができないのだ。だから、はるか昔の、ただ「そういうことがあった」という出来事を並べて、順に文章にすることにした。
それに何の意味があるのかと考えたこともあったけれど、その奇妙なしきたりもなかなか意味があって、「あのとき、私は本当はこう思っていたのかもしれない」と、昔の自分の気持ちが、今になってわかることもある。
「書く」という行為は、やはり不思議だ。
ただ、それだけでは、当然、40手前になってくると間に合わないことも多い。
昔の記憶と違って、今起きていることでさするりするりと記憶からこぼれおちていく。当初の通り「大殺界中に起きた、あれやこれ」を書いておこうという決意が果たされる前に、目の前の砂時計の砂が落ちきってしまいそうだ。
これはまずい。
そう気が付き、苦手だった日記も始めた。
それは、1年半ほど前から、夫がスマホのアプリで毎日日記を書いているのを横でみていたことも、大きく影響している。
彼は、事細かに、どこに行って何をしたのか、見たもの、食べたもの、そして、それにたどり着くまでの手段までも詳細に記している。彼は私より、何千語も言葉を知っていて、話す言葉もシンプルでわかりやすい。そのため、感情にしばられず、あったことを淡々と書くのに向いているのだと思う。
その軽快なテンポの中には、もちろんのこと、家族である私や猫も登場する。誰かの日記に登場する自分を見つめると、「ああ、生きていたのだな」と、なんだか不思議な気持ちになる。逆に、自分気に留めていなかった出来事が、妙に鮮明に描かれていることもある。当然ながら、夫の記憶と私の記憶はイコールではないのだ。
私たち夫婦も、いつかどちらかが先に死んで、そのときに思うのだろう。
忘れるのが怖いな。って。
きっと、『ちいかわ』の映画を観たその日に二人で食べた、手羽先のコショウの味も、今は鮮明に思い出せるけれど、当然、ちょっとずつ忘れてしまうのだろう。
でも、書いておけば、それを防げるかもしれない。
そう考えると、「書いておく」ということは、「記憶を保存すること」だけではないのだと思う。そのときの自分が何を見て、何を感じて、何を大切にしていたのかを、未来の自分や誰かに手渡しておくことなのだ。
「あのとき、私は確かにこう思った」と、今の自分が思い出せるうちに、どこかに置いておく。
そして、いつか読み返したときに、「そうだった。私はこの時、こんなことを大事にしていたんだった」と思えるように準備しておけばいいのだ。
覚えてても
忘れそうでさ
書いとこ こわいから
そうやって、日々、こぼれ落ちそうなものを、出来る限り拾っておきたい。
今はまだ気づいていない「忘れたくないもの」を、あとから見つけるためでもいい。
だから、ナガノ先生がくれた視点を、これからもずっと持っていたい。
そして出来ることなら、夫にもそう思っていてほしい。
私は今、机さする。
夫にも、夫の机をさすっていてほしい。
ー おまけ ー
『机さする』は、この曲!⤵︎
オープニングの『くつずれ』(ハチワレ(CV.田中誠人)もとても良い歌詞だったし、アニメーションも絵本みたいで最高だった。
映画のあらすじには、本編では触れていませんが、『アフター6ジャンクション』の宇多丸さんの考察を繰り返し聴くほど、ずっとちいかわの話をしていたい……うさぎと、島ニ郎と、モモンガが好きです。
あと、今回サムネイルのためにちいかわを初めて書いたけど難しい。ナガノ展で、「ぺんてる慶弔サインペン」をナガノ先生が愛用していると書いているのをみたので、それらしいペンで描いてみたのですが、なかなかうまくいかないよ!
そして、文字もかわいいのよね。
ナガノフォント憧れる。

