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ブラッシュアップライフ出来ない前世エジプト人

エジプトのピラミッドを見ると、「へー、これ、こんなふうに出来上がったんだ」と満ち足りた気持ちになる。まるで自分が関わっていたみたいに。そう、私は前世で、あの巨大な石を運んでいたのだ。

そんな前世に関する告白を、ランチへ向かう道中で同僚AとBにした。予想通りAは怪訝な顔をし、Bは「めちゃわかりますー!」とまさかの共感を示した。

Bの告白はこうだった。
「私、イルカのお産を見たときだけ、反射的に涙が出るんです。人間でも猿でもキリンでも、何とも思わないのに。」

「まさに!」とよくわからない相槌を打ち、なぜか握手をするBと私。

Aは「全然わからへん。だって2人ともイルカグッズもピラミッドグッズも持ってへんやん!」と鋭く切り返した。

たしかに、私もBも「前世ゆかりの品」は一つも持っていない。
むしろそれは、距離が近すぎるからではないか。
都道府県のキーホルダーを買うのは地元民ではなく旅行者、というあれだよあれあれ!
という持論を展開するが、Aは「全然わからーん!」と笑っていた。
適当に入った食堂の壁に飾られていたアンディー・◯ォーホルのイルカの絵を見て、3人でさらに爆笑した。明るい職場である。

帰りの電車で、お昼の会話を思い出しながらふと考えた。

なぜ私は、あの石の連なりを「自分の仕事」だと思い込んでいるのだろう。

前世の私は間違いなく男性だった。麻布をまとい、ベアリングの技術を使って重い石を運んでいたのだろう。雨の日も風の日も石と格闘したが、ピラミッドの完成は見届けられなかったようだ。だが、それを恨みに思うこともなく、仕事を誇りに思っていたと推測される。
しかし、そんな彼は今の私とは無関係だ。BC2500年頃、つまり約4500年前の「知らないおじさん」の人生に過ぎないからだ。Bにとってのイルカも同じだろう。イルカが見た海はイルカのものであって、Bのものではない。

そう考えると、Aの「持ってへんやん!」は、かなり的を射ている。私たちは前世から何かを受け継いでいるようでいて、実際にはどこかで完全に切り離されているのだ。
なにも持ってへんのや。せやせや。

前世の私は前世の私で完結していて、今の私はその片鱗を、どこかから流れてくる知らない人の会話のように時折拾い上げているだけだ。
雨の日とか、疲れた帰り道とか、灼熱の夏の日差しを浴びるときとか。予期せぬタイミングで混線してくる。ただそれだけのことなのだ。

そう思うと、妙に気が軽くなった。

「前世であんなに頑張ったんだから、現世くらいは石ひとつ運ばずに生きたいよね〜」
なんて言いたいところだが、やめておこう。

そもそも私は、彼の人生を足掛かりにする権利すら持ちあわせていない。

だって前世の私は、ただの他人なのだから。

だから、私の前にまた巨大な石が現れたら、それはそれとして運ばなければならない。

そして、本日。
週末から体調を崩して熱が下がらない中、これを書いている。Netflixで『ブラッシュアップライフ』を流しながら。そして気がつく。
あれ、私のこのまとめかただと、来世何になれてもブラッシュアップライフできなくない!?

お腹が痛いので今日はここまで。
エジプトでは体調不良のとき、どうやって欠勤していたのだろうか。

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