見出し画像

NISA貧乏について思うこと。

「NISA貧乏」という言葉が話題になっているらしい。お作法通りの秀逸なネーミングだと思う。カラクリは単純で、"NISA"のような、マネーリテラシーが一定ありそうに聞こえる「プラスの言葉」と、"貧乏"のような「マイナスの言葉」を合わせて言い得て妙にする、みたいなやつ。考えてみれば、高学歴ニートとか、マイルドヤンキーもそうか。


NISA貧乏とは


NISA貧乏とは、ざっくり言えば生活費や手元の現金をギリギリまで削って、そのぶんをNISAでの投資に回している状態のことだ。中には、銀行口座にはほとんど現金を残さず余剰資金のほぼすべてを投資に回している人もいるらしい。


そもそもNISAは、ざっくり言えば投資で得た利益に税金がかからなくなる制度のこと。なので厳密にはNISAそのものに投資しているわけではない。NISAという「箱」の中で株や投資信託を買う。で、いわゆる「NISA貧乏」と自らのことを自虐的に呼んだりそう呼ばれている人たちの内実は、おそらくその大半がオルカンやS&P500に連動するインデックスファンドへの積立をしているのだろう。


だとすれば、本当は「オルカン貧乏」とか「S&P500貧乏」と呼んだほうが実態には近い。でも、それではたぶん話題にならない。だから「NISA貧乏」という言葉を使って実態よりも話題性を作ることに重きが置かれていて、つくづくこういうメディアが作った言葉には気をつけないといけないよなあとは思う。まあ本筋とはあまり関係がない話だけれど。


正解らしきもの V.S. おれ


NISA貧乏という生き方は、この先どうなるかわからない世の中でたしかに合理的で再現性の高い生き方のひとつだと思う。生活費を削る。毎月できるだけ投資する。資産を積み上げて、いつかFIREする。やることが明確でわかりやすい。でもだからこそ、僕からするとその生き方を選択するには最大限の注意を払うべきだと考えている。


エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』で、人は自由であることに耐えられない、と言った。自由とは、自分で決められるということだ。でもそれは同時に、自分で決めなければならないということでもある。そしてその "自分で決めなければいけない自由" は、多くの人にとって不自由よりもシンドイことなのだ。だから人は、ときに妙な説得力を持って「これが正解です」と言い切ってくれるものに身を委ねたくなる。


NISA貧乏という言葉にも、そうした匂いを感じる。本当は欲しいものがある。やってみたいことがある気がするし、今しかできない経験もあると薄々感じている。それでも「投資に回すのが正解だから」と意固地になる。そうして、当初は自分で決めた自由のはずなのにいつしか不自由になる。つまり、「NISA貧乏」という生き方以外の選択肢を考える自由を持つことがどんどん怖くなって、不自由に逃げてしまう。


とまあいろいろ書いてしまったけど、僕が言いたいのはシンプルだ。自分で考えて、決めようぜ。ということ。NISA貧乏になるのもいいし、ならないのもいい。でも、「これが正解らしいから」ではなく「自分はこう生きたいから」と、"自由であることの痛み"を乗り越えて選べているか。NISA貧乏という言葉は、お金の話というより、そんな自分の生き方を考え直す触媒なのかもしれない。


━━━━━━━━━━━━━━━

今日の話は、ラジオでも話しています。聞いてみてね↓

↓他メディアからも同じエピソードが聴けます。

📍Spotify

📍Apple Podcast

📍Amazon Music

━━━━━━━━━━━━━━━

【特別音声講義『ライフコーチになるための5ステップ』をプレゼント中🎁】

個人で仕事を作っていきたい方や、ライフコーチという生き方に興味がある方はぜひ受け取ってください。

▼特典を受け取る🎁
https://lin.ee/AoMhZTj

※特典内容は予告なく変更・終了する場合があります。

━━━━━━━━━━━━━━━

【お問い合わせ】





いいなと思ったら応援しよう!

ぶち 〜 ライフコーチ作家 ありがとおうっ!