人間存在原論Ⅳ #9 あんた、変わらないね

序章 一九七九年〜一九九六年

理沙の家

理沙の家は、商店街の角で八十年続く酒屋だった。屋号はマルヨシ酒店。建物と借金と祖母は一体化していて、どれか一つだけを取り出すことはできなかった。家族の誰も「引っ越す」という言葉を使わなかった。禁止されていたわけではない。空気の存在をわざわざ説明する人がいないのと、同じ理屈である。

祖母は仏間と一体化していた。話す内容は三種類しかない。天気と、戦争と、卵の値段である。祖母は卵の相場に六十年分の見識を持っており、特売のチラシを見るたびに「安すぎる。何かある」と言った。

ただし祖母は、何があるのかを、その場では絶対に言わない。言うのは後である。三ヶ月後に商店街の魚屋が潰れると、祖母は「ほらね、あのときの卵だよ」と言った。半年後に隣町で火事があると、「あれも卵が出てた」と言った。祖母の相場観は、予告した内容を事後に決める方式で運用されていた。この方式は、外れることが原理的にない。

理沙が小学四年のとき、一パック九十八円のチラシが出た。祖母は三十分黙り込み、「これは大きいのが来る」と言った。その年、家の裏の空き地に自動販売機が三台置かれた。祖母は「これだね」と言った。町内会の誰も異議を唱えなかった。

理沙は仏間の縁側で、この作業を毎年見ていた。値段は動かない。出来事も動かない。動くのは、両者をつなぐ線だけである。線は後から引ける。しかも、あとから引いた線は、必ず通る。

父には、機嫌に天候があった。理沙は小学三年で、玄関の引き戸の音から父の気圧配置を読めるようになった。戸がすっと一息に開けば晴れ。二度に分けて開けば曇り。鍵穴で三秒以上手間取れば、警報である。

警報の夜、父は必ず瓶を一本割った。二本は割らない。一本である。しかも割るのは決まって、店でいちばん安い甲類焼酎の四合瓶だった。父は荒れながら、在庫管理をしていたのである。理沙は二階の階段の踊り場から、その音を数えた。ガシャン。一回。それで終わり。父の暴力には損益計算書があった。理沙は十歳で、人間は取り乱していても値札を見ている、ということを学んだ。この知見は、のちに理沙の職業選択と、二十三年分の売上に直結する。

なお母は、割れた瓶を毎回「破損」として帳簿につけていた。マルヨシ酒店の棚卸しは、八十年間、一度も数が合わなかったことがない。荒れる父と、記帳する母。この家では、暴力にも伝票が起票された。

母は予報をしなかった。母がやるのは解説だった。

「お父さんは外で嫌なことがあったのよ」

三ヶ月後には、

「お父さんは本当は優しい人なの」

その三ヶ月後には、

「うちには、うちの事情があるから」

母の解説は季節商品だった。棚替えは年に何度もあったが、店そのものは一ミリも動かなかった。割れた瓶の始末をしながら、母は「もったいないわねえ」と言った。もったいないのは瓶なのか父なのか人生なのか、理沙には最後まで判別できなかった。

理沙は子供心に感心していた。母は、何ひとつ動かさずに、すべてを説明し直せる。テーブルの脚一本ずらさずに、家全体を毎回新品にできる。世の中には、そういう技術があるのだ。しかもその技術は、家の中で唯一、追加費用がかからなかった。

直美の家

同じ頃、直美は四つ目の小学校にいた。父が転勤族だったので、直美は転校のプロだった。

母の梱包術には規格があった。ダンボールに油性ペンで「①すぐ開ける」「②いつか開ける」「③開けない」と書く。①は台所と制服。②は季節物。③は、なぜか毎回三箱ある。この三箱は四回の引っ越しを無傷で生き延び、十年後に父が定年退職したとき、中身を確認しないまま処分場に持ち込まれた。開けないと書いてある箱を開ける人間は、この家にはいなかった。直美は中学生になるころ、「持っていくが、開けない」という状態が世の中に存在することを、深く理解していた。

転校初日の運用手順も確立していた。初日は目立たず、二日目に一人だけ選んで消しゴムを貸し、三日目に給食の話題で笑いを一つ取る。この手順で、どの学校でも十日以内に居場所ができた。居場所というものは、探すものではなく、施工するものである。工期は十日。直美は十歳にして、大人が一生かけても覚えない技術を、四回の実地で習得していた。

ただしこの技術には仕様がある。施工した床を、深く掘らないこと。深く掘った床は、出ていくときに剥がすのが大変になる。

お別れ会の寄せ書きは四枚あった。四枚とも「直美ちゃんへ ずっと友達だよ」と書いてあった。直美は「ずっと」の実測値を、経験的に一年半と見積もっていた。四枚は仏壇にも机にも飾られず、母の②の箱に入り、五枚目の色紙をもらった日に③に移った。

小四の春、父がこの町に家を買った。最後の赴任地だった。直美は理沙と同じクラスになったが、仲良くはならなかった。理由は特にない。ただ、母親同士が町内会で知り合ってしまったため、本人たちの意思とは無関係に、縁だけが接続された。この縁は、電源を抜いても切れない種類の家電に似ていて、以後三十年、数年おきに勝手に作動することになる。

中二のとき、直美は女子グループの政治に巻き込まれた。発端は、修学旅行の班分けで直美が友人Aの隣を選んだことである。誰が何を言い、誰が誰の側についたのか。分析しようと思えば材料は揃っていた。しかし直美は分析しなかった。父の家訓である。「ぐちぐち考えるな。動け」。

直美は隣の市の高校を受験して合格し、卒業式の翌日、すべてが解決した。誰とも和解していないのに、すべてが解決した。雨は、降っている地域から出れば止む。

この成功体験を、直美は以後三十年、完全に同じ文型で携行することになる。

一 一九九七年・十八歳

理沙

昼は配達だった。ビールケースを自転車の荷台に縛り、三軒隣のスナックと、二丁目の食堂と、寺に運ぶ。掛け売りの帳簿は父が書き、集金は理沙が行く。払いの悪い客の見分け方を、理沙はこの年に覚えた。玄関に傘立てがない家は、たいてい遅れる。理由は分からないが、当たった。理沙は他にも指標を持っていた。犬を飼っている家は払いが早い。表札が二枚ある家は揉めている。玄関マットが新しい家は、二ヶ月以内に何かある。理沙は十八歳にして、掛け売り回収の分野で地方銀行の与信審査より高い精度を出していたが、この能力に給料はつかなかった。時給は八百五十円のままである。

夜はファミレスだった。時給八百五十円。深夜は千六十円。理沙はレジ締めが速く、店長に重宝された。

進学はしない。店を継ぐのかと聞かれると、理沙は「継ぐっていうか、家だから」と答えた。この答えの文法を聞き返した者は、まだ一人もいない。

その年、商店街のシャッターが三軒増えた。原因は郊外の大型店だ、というのが町内会の総意だった。理沙は違うと思っていた。大型店ができたのは六年前で、シャッターが増え始めたのは去年からである。時期が合わない。理沙が疑っていたのは県道の付け替え工事だった。バイパスができて、商店街を通らずに市役所へ行けるようになった。人が減ったのではない。通らなくなったのである。

理沙はこれを夕食の席で説明した。父は「うるさい」と言った。母は「難しいこと言う子ねえ」と言った。祖母だけが「卵が安かったからね」と言った。

説明は誰にも採用されなかったが、翌年、県道沿いに新しい店が四軒できた。理沙は自分の説明を、心の中で正解にした。この採点は、以後三十年、すべて自己申告で行われることになる。

直美

直美はスーツケースを二つ持っていた。東京の専門学校に行くのだ。自分の意思で行き先を決める引っ越しは、人生でこれが初めてで、直美は前の晩、興奮してよく眠れなかった。

荷造りには三時間しかかからなかった。転校のプロは荷造りもプロである。捨てる判断が速い。基準は四十年後まで変わらない。次の場所で使う想像ができない物は、思い出であっても資材である。寄せ書きは資材。中学の卒業アルバムも資材。高校の合格通知だけが、なぜか資材にならず、スーツケースの内ポケットに入った。

駅前

三月の駅前。改札の横で、進学情報誌の空になったラックが倒れていた。

「専門、行くんだ」
「うん。あんたは店?」
「店。あと夜ファミレス」
「ふーん」
「卒業したらどうすんの、東京で就職?」
「分かんない。合う会社があれば入るし、合わなかったら次探すし」
「ふーん。あんたは、ずっとここ?」
「分かんない。けど、たぶんここ」

どちらの「分かんない」も、本人の中ではとっくに決まっていることの、社交用の包装だった。会話はそこで在庫切れになった。直美のスーツケースの車輪が、点字ブロックの上でガタガタと鳴った。

別れ際、直美が言った。

「あんた、変わんないね」
「あんたもね」

このときの「変わんないね」は、ほんとうにただの挨拶だった。中身は空で、袋だけの言葉だった。この袋に二人がそれぞれ別の中身を詰めて、三十年振り回し合うことになるとは、駅前の誰も知らなかった。

二 二〇〇三年・二十四歳

理沙

二十歳の年、理沙は一度だけ東京に出ている。

きっかけは、ファミレスの同僚だった。二つ上の恵子という女で、恵子は東京に行くと決めており、しかも部屋も仕事も自分が押さえると言った。恵子の姉が向こうで美容室をやっていて、住むところは姉のマンションの空き部屋、仕事は受付。家賃は当面いらない。手続きも恵子がやる。理沙が用意するのは、身一つだった。

理沙はこの条件を三日かけて検討し、行くことにした。決め手は「自分で何も組み立てなくていい」という一点である。理沙は環境というものを一度も自分で組み立てたことがなかったが、組み立て済みのものが目の前に置かれたのなら、乗るのは合理的だった。二十年生きて、そんな条件が提示されたのはこれが初めてで、そして最後になる。

家族は反対しなかった。反対しない、という反対の仕方だった。

三ヶ月後、恵子は客で来ていた男と大阪へ行った。姉のマンションの空き部屋は、姉の彼氏が使うことになった。受付の仕事は姉の店なので、恵子がいなくなった時点で気まずくなり、理沙は自分から辞めた。

組み立ててくれる人間がいなくなると、環境は組み立て済みではなくなる。理沙はそこから五ヶ月、初めて自分で環境を組み立てようとした。

東京で理沙がいちばん驚いたのは、誰も自分の予報を必要としないことだった。アパートの隣人は毎週入れ替わり、挨拶をする前に消えた。バイト先の店長は理沙の名前を三ヶ月覚えず、四ヶ月目に店長のほうが辞めた。理沙は送別会で、その店長の離職を二週間前に予知していたことを誰にも言わなかった。言っても、店長がいないので確認できない。コンビニのレジで前に並んだ男の機嫌を読んでも、その男とは二度と会わない。半径五メートルに、観測すべき対象がいない。理沙のセンサーは高性能のまま、入力だけが消えた。二十年かけて調律した楽器を持って、無音の部屋に入ったようなものである。

八ヶ月で、職と住まいと体調が順番に倒れた。ドミノの最後の一枚は実家の玄関の引き戸で、理沙はそれを一息に開けた。晴れの開け方だった。誰も何も言わなかった。母だけが言った。「あんたには、うちが合ってるのよ」。棚替えの早い店である。

ちなみにこの八ヶ月、直美も同じ東京にいた。専門学校の二年目である。二人は同じ路線を使い、おそらく何度か同じ車両に乗ったが、一度も会わなかった。母親たちの家電も、さすがに電波が届かなかったのである。理沙は帰り、直美は残った。同じ街が、片方には試験で、片方には廊下だった。

帰郷した理沙は、半年かけて調査をした。これは家出の反省ではない。単価の調査である。

理沙は町にある稼ぎ口を全部書き出し、時給に換算した。ファミレス八百五十円。パチンコ店の景品交換千百円。介護施設の夜勤は時給に直すと千二百円だが、腰が二年で終わると先輩が言っていた。駅前のスナックは時給二千円だが、ボトルを入れさせないと三ヶ月で切られる。事務職の求人は月十四万で、賞与は「業績による」と書いてあった。業績によるという日本語は、ないという意味であることを、理沙は掛け売りの帳簿で学習済みだった。

そして、駅裏の雑居ビルの二階。

理沙は求人誌の隅の広告を、三日かけて読んだ。四十分の一セットで総額七千円。女性の取り分は二千五百円。単価は安い。ソープの広告も同じ号に出ていて、そちらは一本九千円だった。

普通の人間なら、ここで九千円を選ぶ。理沙は選ばなかった。理沙が見たのは一本の値段ではなく、何年それを続けられるかという欄だった。この欄は、どの広告にも書かれていない。

理沙は三日かけて、書かれていない欄を自分で埋めた。

まず本数。四十分で回すのなら、一日十本は入る。二千五百円かける十で二万五千円。月に二十二日出れば五十五万円。ファミレスの深夜が丸一年働いて稼ぐ額を、二ヶ月で追い越す。

次に消耗。本番がない。これは倫理の話ではなく、部品の寿命の話である。理沙は介護の夜勤の先輩が「腰が二年で終わる」と言ったのを覚えていた。人間には稼働時間の上限があり、上限を先に使い切った者から退場する。単価の高い仕事は、たいてい上限を早く食う。

最後に照度。理沙は面接前に一度、客として入れないので、店の裏口の前で二時間立っていた。出てくる女の子を数え、年齢を見た。四十代が三人いた。この店は暗い。暗い店は、顔ではなく回転で売る。ということは、顔が落ちても切られない。

理沙は電卓を叩いた。単価九千円を五年やる人生と、単価二千五百円を二十五年やる人生では、後者が三倍以上勝つ。しかも後者は、腰も心も残る。

理沙はノートに二本線を引いた。

この計算を、理沙は誰にも相談しなかった。相談する相手がいないからではない。相談すると、計算ではなく気持ちの話になるからである。

面接の日、店長が「なんでうちなの? ソープのほうが稼げるよ」と聞いた。理沙は答えた。

「時給がいちばん高くて、いちばん長くやれるからです」

店長は少し黙って、「珍しいね」と言った。店長がそれまでに聞いた志望動機の第一位は「借金」、第二位は「男」、第三位は「なんとなく」である。生涯収入という概念が出てきたのは初めてだった。理沙は翌週から出た。

店の名は「ラ・フルール」。駅裏のピンサロである。中は暗い。ソファはビロード張りで、隣の席との仕切りは胸の高さしかない。四十分でボーイがコールを入れる。理沙は時計を見ないが、誤差は二分以内だった。

理沙は仕事が速かった。速いというのは雑という意味ではない。無駄がないという意味である。入店から着席までの導線、おしぼりを渡す角度、最初に言う一言。客の靴と時計と敬語の崩れ方から、支払い能力と地雷の位置を読む。玄関の引き戸で鍛えたセンサーは、そのまま業務用に転用できた。

理沙の商売道具は三つだった。うがい薬と、のど飴と、ハンドクリームである。一日十本を回す仕事で最初に壊れるのは喉だ、と理沙は入店三ヶ月で結論を出した。以後、理沙は自分の喉を在庫として管理した。のど飴の年間消費は、多い年で一千二百個。理沙はこれを箱で買い、待機所の自分のロッカーに積んだ。同僚は理沙のロッカーを「備蓄庫」と呼んだ。

三ヶ月で指名がつき、半年で店の五位以内に入った。理沙は指名客のノートをつけた。名前、職業、地雷、前回の話題、次に効きそうな話題。地雷欄にはこう書かれている。「昇進」「息子の受験」「兄」「愛媛」。愛媛が地雷の男については、理沙は八年通われても理由を突き止められなかった。理沙の観測記録において、唯一の未解決事案である。四十分のうち、十分は喋る時間である。喋る時間を制する者が指名を制する。ノートは業務日誌であり、同時に観測記録だった。

理沙は生まれて初めて、自分の観察力に値段がつく場所に立っていた。時給に直すと、三千円ちょっとだった。この町の他のどの仕事よりも高く、そして、この町のどの仕事よりも長く続けられる予定だった。

待機所での理沙は、よく喋る女として知られていた。喋る内容は男の話でも金の話でもない。仕組みの話である。

なぜ火曜は暇で木曜は混むのか。理沙の説では、給料日ではなく市の可燃ゴミの日が効いている。なぜ隣の店の値下げが効かないのか。理沙の説では、値下げは客数ではなく客層を変えるので、既存客の平均滞在が落ちて総額は減る。なぜ最近、三十代の客が減って五十代が増えたのか。理沙の説では、下の世代は金がないのではなく、金の使い先の順位が変わった。

若い子は理沙の話を半分聞いて、半分聞かなかった。「理沙さんって、大学とか行ってればよかったのに」と言った子がいた。理沙は「行っても、こういうことは教えてくれないでしょ」と答えた。この返答は、ある意味では完全に正しい。理沙が本当に必要としていたのは、教える人ではなく、採点する人のほうだった。

一年目の暮れ、理沙はノートを二冊目に分けた。一冊は客のノート。もう一冊は、仕組みのノートである。二冊目は誰にも見せなかった。

直美

直美は卒業後に事務で就職し、二年で退職し、現在二社目にいた。引っ越しは通算四回、彼氏は四人目である。

引っ越しの理由は順に、職場に近いから、隣人が変だったから、彼氏の家に近いから、彼氏と別れたから。すべて合理的だった。直美は家具を育てない。冷蔵庫を一人用より大きくしたことは一度もない。冷蔵庫が大きくなると、人生の小回りが利かなくなるからである。

一社目を辞めた理由は上司だった。上司を説明する直美の語彙は一つしかない。「クソ」である。語彙は増えないが、職場は増える。

彼氏の選定基準にも一貫性があった。初回のデートで会計を割ろうとした男は、二回目がない。三人目の男は初回で割ろうとしたが顔が良かったので継続され、四回目で割ったので終了になった。直美はこれを「価値観が違った」と表現した。四人目は年収を先に言ってくれたので話が早かった。

二社目の同僚とのLINEグループには、直美が作った名前がついていた。「社畜脱出委員会」。直美は毎日そこに上司の悪口を投げた。既読が二時間つかないと、直美は「みんな冷たい」と思った。三ヶ月後、直美はそのグループを退会した。理由は、メンバーの一人が上司と仲良くしているのを見たからである。誰にも相談せず、退会だけした。「社畜脱出委員会」は、直美が抜けたあとも十四年間存続し、メンバーは全員その会社に残った。委員会は目的を達成しないまま、忘年会の連絡網として機能し続けている。

同窓会

会場は居酒屋の二階、会費五千円。幹事がビンゴ大会を仕切り、理沙はカタログギフトを当てた。理沙がカタログから選んだのはタオルのセットだった。タオルは長持ちする。

「え、もう会社替えたの」と誰かが言うと、直美は心外そうな顔をした。

「合わない場所に我慢して居続けるのって、人生の無駄じゃない? 人生、一回しかないんだよ」

それから付け加えた。

「私、中二で女子と揉めたとき、高校変えたら全部解決したの」

誰かが夜の景気の話を振ると、理沙は「客の質が変わった」と言った。

「景気でしょ」と誰かが言った。
「最初は私もそう思ってた」と理沙は言った。「でも景気だけじゃ説明がつかない。おかしくなり方に型があるの。景気なら、型は出ない」

「型って?」と誰かが聞いた。聞いてしまったのが運の尽きで、理沙は八分喋った。

まず、値段の確認から入る客が増えた。席に着いて最初の一言が「これ、追加料金かかりますか」である。昔の客は最初に天気か仕事の話をした。次に、レビューという単語を使う客が増えた。終わってから「書いときますね」と言う。頼んでいない。それから、怒り方が変わった。昔の客は自分の言葉で怒った。最近の客は、どこかで見た文章で怒る。三人が同じ言い回しで怒った週があった。三人は互いに知り合いではない。

そして最大の変化は、話が続かないことである。四十分のうち、喋る時間は十分ある。昔はその十分で、客は自分の会社の悪口を言ったり、娘の受験の話をしたり、飼っている亀の話をしたりした。亀の話を四十分した男もいた。いまは、十分がもたない。何を振っても三往復で止まる。かわりに出てくるのが、ネットで見た話である。しかも、複数の客から同じ話が出てくる。

「昔はさ」と理沙は言った。「変な奴が、変な方向に変だったの。今は、全員が同じ方向に変なの。これ、劣化じゃないよ。揃ってるの。揃うには、揃える何かがいるでしょ」

テーブルは静かになった。理沙は「だからSNSだと思う」と締めた。

理沙は空論を言っているのではない。彼女は毎晩、標本を十本前後、四十分刻みで観察している。二十四歳の時点で、理沙が至近距離で観測した成人男性の総数は、すでに大学の研究室の被験者数を超えていた。おかしくなり方に型がある、というのは観察としては正確だった。型の原因がSNSかどうかはまだ誰も測っていなかったが、少なくとも理沙は、測ろうとしている側の人間だった。

テーブルの端で誰かが「理沙、頭いいよね」と言い、誰かが「理沙、あの仕事だもんね」と言った。どちらも本人に届かない音量だった。

「理沙はさ、この町出ないの?」と幹事が聞いた。
「なんで?」と理沙は聞き返した。「仕事あるし、家あるし、単価もいいし。出る理由なくない?」

理路整然としていたので、幹事は「たしかに」と言った。理沙の側から見れば、動く理由のない人間に動けと言うほうが、よほど非合理なのである。

帰り際、階段の下で二人になった。

「あんた、まだあの店にいるの?」と直美が聞いた。
「あんた、もう会社替えたの?」と理沙が聞いた。

二人は同時に「うん」と答えた。同時に答えたので、二人とも相手の返事を聞いていなかった。

質問はどちらも、答えを必要としていなかった。

(この子は、嫌なことから逃げてるだけ)と理沙は思った。
(この子は、嫌なことの言い訳を作ってるだけ)と直美は思った。

二人とも相手についての診断を五秒で完了し、自分についての診断は受付を開始しなかった。

三 二〇一〇年・三十一歳

理沙

三十一歳、理沙は店の二位にいた。出勤は月二十二日。回転は一日十二本から十四本。指名率は七割。手取りは月に六十五万から七十五万のあいだで動いた。

七年目にして、理沙の喉はまだ一度も潰れていない。同期の五人はすでに全員いなくなっていた。二人は結婚、一人はソープに移り、一人は昼職に戻り、一人は連絡がつかない。ソープに移った子は月に百万稼いだと聞いたが、三年後に腰と膝をやってどこにもいなくなった。理沙はその報せを聞いたとき、悲しむより先に、七年前のノートの二本線を思い出した。

貯まった。これは節約の結果ではない。理沙は使い道を持たなかったのである。

ホストには行かなかった。一度だけ同僚に連れられて行き、二十分で計算を終えた。単価一万円の男が、単価二千五百円の自分から、一晩で十万取る構造である。理沙は「これ、私が四十本回した分が、あの人の二時間なんだけど」と言い、同僚に「そういう店じゃないから」と言われた。理沙は二度と行かなかった。

パチンコにも行かなかった。理沙はパチンコ店の景品交換所でバイトの面接を受けたことがあり、そのとき店の一日の粗利をだいたい聞いていた。あの数字を負担しているのが台の前の人間である、というのは、観察というより算数だった。

ブランドの鞄は三つ持っていたが、全部客からの貰い物だった。旅行にも行かない。理沙は「知らない土地に行くと、何も読めなくて疲れる」と言った。二十歳の東京で、それを一度実測している。

というわけで、金は口座に積み上がった。三十一歳の時点で、千八百万円。理沙はこの数字を誰にも言わなかった。母にも言わなかった。母は理沙の仕事を知っていたが、知っていることについての解説をまだ作っていなかったので、二人ともその話題を避けていた。

理沙のもう一つの蓄積は、ノートだった。指名客の観測記録から派生して、理沙は世界についてのノートをつけ始めていた。十四冊目である。ページには仮説と反証と修正が几帳面に並んでいる。手続きだけを見れば、理沙のノートは科学だった。ただしノートは一冊も、アパートの外に出たことがない。読者はいない。強いて言えば、湯気を上げる八年目の電気ケトルが唯一の査読者である。査読は毎回、無言で通る。

この頃から、理沙は数字を突き合わせるようになっていた。

きっかけは店の日報である。理沙は自分の本数を九年分、手帳につけていた。あるとき新聞で景気動向指数が改善したという記事を読み、理沙は自分の九年分と並べてみた。合わなかった。指数が上がった年に、店の総本数は落ちていた。逆の年もあった。

普通の人間は、ここで「うちの店は景気と関係ないんだな」と考える。理沙はそう考えなかった。理沙にとって自分の九年分は、他人の作った指数より確実な一次データである。実際、確実である。四十分刻みで自分が数えたのだから。

合わないのなら、間違っているのは向こうだ。

理沙は図書館で統計の作り方を調べ、標本の取り方と季節調整という言葉を覚えた。覚えれば覚えるほど、指数というものが「作られた数字」であることが分かってくる。作られるということは、作る人がいるということである。作る人がいるなら、都合というものがある。

この推論は、一歩ずつ見れば、どの一歩も飛んでいない。

その春、理沙は系列店の閉店を三週間前に当てた。根拠は三つ。おしぼりの質が落ちた。駐車場の警備が日雇いに替わった。ボーイの敬語が荒れた。「潰れるよ、あそこ」。三週間後、潰れた。同僚は理沙を予言者と呼び、翌週から競馬の予想を聞きに来るようになった。理沙は断った。「馬は喋らないし、靴も履いてないから、読めない」。同僚は納得しなかったが、理沙にとっては完全に筋の通った説明である。理沙は謙遜した。「観察してれば分かるよ」。事実である。おしぼりから店の寿命までは、観察で届く距離にある。おしぼりから製薬会社までの距離を実際に歩いて測った者は、まだいない。

理沙のアパートは店から徒歩八分、八年目だった。電気ケトルも八年目である。理沙の部屋では、物が長持ちする。

直美

直美の数字は、転職四回、引っ越し七回、彼氏七人目に更新されていた。数字はどれも堅調に伸びていたが、直美の表情は増えても減ってもいなかった。健全な新陳代謝である。七人目は出張の多い人で、都合がよかった。

七回目の退去の立ち会いで、直美は不動産屋に感心された。「こんなに綺麗な部屋、久しぶりです」。壁に画鋲の穴が一つもなかったのである。直美は部屋に何も掛けない。掛けた物は、外すときに気持ちの手間がかかる。敷金はほぼ満額戻り、直美はその金で次の街のカーテンを買った。カーテンだけは毎回新調する。窓の寸法は街ごとに違うが、カーテンを買う店は、どの街にも同じ名前である。

直美の財布には、同じチェーンのポイントカードが四枚入っていた。街ごとに作り直したのである。店員に「以前のカードは統合できますよ」と言われたことがあるが、直美は「いいです、新しくします」と答えた。ポイントは統合すれば増えるが、直美の設計思想において、前の街の残高を次の街に持ち込むのは筋が違うのだった。四枚の合計は八百二十ポイントで、一枚も使用期限内ではなかった。

引っ越した週、直美はSNSに写真を上げた。ベランダから撮った、なんでもない街並みである。文章はこうだった。

「新しい街に来ました🌸 やっぱり環境って大事! 人生一度きりだもんね #自分らしく #心機一転

いいねは十一件だった。三年前の引っ越しのときは二十四件だったので、直美は少しだけ不満だった。文章はほぼ同じだったのに、と直美は思った。実際、ほぼ同じだった。

新しい部署では、歓迎会の翌週から先輩の悪口を言い始めた。相手は隣の席の同期である。同期が「そうなんですか」としか言わないので、直美は同期のことも少し嫌いになった。ブランドの鞄を二十四回払いで買い、十四回目の支払いのときに転職したので、給料日が変わって一度引き落としに失敗した。直美はこれを「会社の切り替えが遅い」と説明した。

そして、その少し前。六人目と別れる直前に、男が言ったのだ。

「気づいてる? 会社も街も男も全部入れ替わってるのに、お前の不満だけ毎回同じなんだよ。共通項、お前だよ」

直美は真剣に検討した。人生で初めて、自分という項を式に入れてみたのである。二週間、眠りが浅かった。夜中に天井を見ながら、五つの職場と六つの街と六人の男を並べ、共通項を探した。並べれば並べるほど、それぞれの職場と街と男に、辞めるべき理由と離れるべき理由と別れるべき理由が、きちんと一個ずつあることが確認された。計算は一ミリも進まなかった。

二週間目の金曜に別れ話を済ませると、その夜は九時間眠れた。土曜の朝、直美は結論を得た。合わない人のそばにいると、眠れなくなる。環境って、ほんとうに大事。

病院

母親同士が、同じ病棟に入った。町内会というものは、病棟でも自然に班を編成する。理沙の母は三〇二号室、直美の母は三〇五号室で、二人は車椅子で行き来しては、娘たちの近況を交換していた。正確には、娘たちの近況についての解説を交換していた。

「うちの子は、家を支えてるんです」と理沙の母は言った。夜の仕事という単語は、この解説では一度も使われない。最初の三年は「接客業」だった。次の五年は「サービス業」になり、その次の三年で「人と話す仕事」になった。棚替えは順調である。最新版は「うちの子は、疲れた人を癒す仕事で」だった。理沙はこの新商品を廊下で立ち聞きし、四十分七千円で人が癒えるなら世の中の精神科は全部潰れている、と思ったが、口は出さなかった。母の棚に口を出さないのは、あの家の古い作法である。
「うちの子は、自由に生きてるんです」と直美の母は言った。転職四回という数字も、この解説には出てこない。
「羨ましいわ、自由で」
「羨ましいわ、地に足がついてて」

交換は毎回この形式で行われ、双方とも、相手の商品を仕入れる気は一切なかった。娘についての解説というものは、母親が最後まで手放さない在庫なのである。

廊下の自販機の前で、娘たちは遭遇した。

「お母さん、どう」
「まあまあ。そっちは」
「まあまあ」

病状の話は三十秒で在庫切れになり、あとはいつもの棚卸しになった。

「あんた、まだ数字の話してんの」と直美が言った。「この前まで、政府が統計いじってるって言ってなかった?」
「言ってた」と理沙はあっさり認めた。「でも違った。政府じゃない。製薬会社。政府は下請け」
「……直したんだ」
「直すよ、そりゃ。証拠が出たら考えを変える。私、それができる人間だから」理沙は少し誇らしげだった。「頭の固い人っているじゃん。世界のほうが変わってるのに、昔の常識にしがみつく人。ああはなりたくないの」

自販機が、あたたかいお茶を二本、順番に落とした。

「あんたもさ」と直美は言った。「一回ぐらい環境変えてみたら。世界の説明ばっかり増やしてないで」
「あんたこそ」と理沙は言った。「一回ぐらい自分の説明を疑ってみたら。場所ばっかり替えてないで」

ガコン、ガコン。二回とも、同じ音だった。

四 二〇一八年・三十九歳

理沙

理沙の父が死んだ。肝臓だった。八十年の店に、八十年ぶんの弔問客が来た。

四十を前に、理沙は一度だけ、移ることを考えていた。父が死ねば介護が一つ減る。回転も落ちてきている。三十九歳の本数は月百八十本、手取りは四十万台に下がっていた。落ち方は、二十四歳のときの予測曲線とほぼ一致していた。予測が当たっているというのは、本来は嬉しいはずのことである。計算上は、動ける気がしたのだ。

夜中に求人サイトを開き、履歴書のテンプレートを眺め、「これまでのご経歴をお聞かせください」と言う面接官の顔を想像した。二十年ぶんの夜を、他人の書式に流し込む作業を想像した。それから、知らない街で、また入力がゼロになることを想像した。三十分でブラウザを閉じた。

かわりに、新しい説明が採用された。今は動いたら負けの時期なのである。夜の街は外資のファンドに買い漁られていて、動いた人間から順に吸われる仕組みになっている。男の劣化も自然現象ではない。仕込まれている。誰に、とはまだ言えないが、線はもう見えている。

この説明を採用した夜、理沙はよく眠れた。九時間だった。

通夜ぶるまいの席で、母は新商品を出した。「お父さんはね、最後まで家を守った人だから」。理沙は寿司をつまみながら、その解説を聞いた。父が守っていたものを理沙は四十年近く観測してきたが、母の言う品目とは一致しなかった。理沙は何も言わなかった。母の棚に口を出さないのは、あの家の古い作法である。

そのかわり理沙は、帰り道で自分の棚を確認した。父の機嫌の波も、考えてみれば外から仕込まれていたのかもしれない。酒。酒を卸していたのは誰か。線が、また一本増えた。

店はどうするのかと親戚に聞かれ、理沙は「私が引退したらやるよ」と言った。親戚は「ああ、そう」と言って、それ以上聞かなかった。この時点で理沙の口座には三千四百万円あったが、それを知っている親戚は一人もいなかった。

直美

直美の数字は、転職六回、引っ越し九回、彼氏十一人目になっていた。

辞めた理由は帳簿にすれば六行である。一社目、上司がクソ。二社目、社風がクソ。三社目、給料がクソ。四社目、通勤がクソ。五社目、全体的にクソ。そして六社目を辞めたとき、理由を説明する語彙に、実に三十年ぶりの更新があった。「クソ」に加えて「無理」が導入されたのである。六社目、人間関係が無理。直美の辞書は、これで二語になった。半世紀近く生きて語彙が二語というのは少ないように見えるが、直美に言わせれば、二語で足りる人生を設計できているということである。

十一人目とは、婚活パーティーで会った。直美は三十代後半になって初めて婚活の場に出たが、二回目の参加で相手のプロフィールカードの見方を習得した。年収欄が空欄の男は、空欄である理由を必ず持っている。

十一人目の男に、直美は十人目の男の悪口を四十分した。男は「大変だったね」と言った。直美はこの男を優しい人だと思った。半年後、直美は十二人目の男に、十一人目の男の悪口を四十分することになる。

この四十分という長さは、偶然にも同じ時期に理沙が一セットに費やしていた時間と等しい。理沙は四十分で二千五百円もらい、直美は四十分払って喋った。二人の女は、同じ長さの時間を、正反対の向きに使っていた。

なお直美は、この席で七人目と九人目を混同している。九人目の男が言ったことを七人目の男の発言として語り、二十分後に自分で「あれ、あっちだったかも」と言い、そのまま続けた。誰が言ったかは、直美の帳簿では重要な項目ではない。重要なのは、それが辞めるべき理由であったという結論のほうである。

自己啓発の本を三冊買った。三冊とも、二章までしか読んでいない。三冊目の帯には「変わるのはあなた自身」と書いてあったが、直美はこの帯を見て「そういうんじゃないんだよな」と思った。読まなかった本は、次の引っ越しで資材になった。

ちなみに一冊目のタイトルは『置かれた場所で咲きなさい』である。直美はこれを書店で手に取り、二章で閉じ、四ヶ月後に引っ越した。本のせいではない。直美は昔から、置かれた場所を変えることで咲いてきたのであり、その意味では、書名に忠実な読者ではあった。

通夜

通夜の受付で、直美は母の名代として香典を出した。母同士の縁は、母たちが歩けなくなっても作動し続ける家電である。

焼香の列に並びながら、直美は遺影を見た。遺影の父は晴れの顔をしていた。玄関の引き戸はもう、誰の天気も知らせない。理沙は喪主席の隣で、泣いていなかった。観測対象が一つ消えた、という顔をしていた。

喪服は三年前の転職の面接用に買ったもので、まだ新しかった。喪服が新しいのは、直美の人生に葬式が少ないからではない。物が長持ちする前に、直美のほうが物から離れるからである。

帰りの駐車場で、二人は並んで傘を差した。

「大変だったね」と直美は言った。それから、言わなくてもいいことを言った。直美は昔から、締めの挨拶の直前に一言多い。

「でもさ、あんたもこれで少しは身軽になったんだから、動きなよ。変な場所にしがみついて人生を使い切る人、私、ほんとに気が知れないの。私、中二で女子と揉めたとき、高校変えたら全部解決したの」

十五年前の同窓会と、一言一句同じ文だった。葬式の駐車場で言う文ではなかったが、直美の冷凍庫には、場面ごとの品揃えというものがない。

「あんたはさ」と理沙は言った。「場所を変えて、同じ人生をやり直してるだけだよ」
「あんたはさ」と直美は言った。「説明を変えて、同じ人生をやり過ごしてるだけだよ」

二つの文は、名詞が一個違うだけで、完全に同じ骨格をしていた。二人とも、いま自分がかなり良いことを言ったと思っていた。どちらの手応えも本物だった。骨格の一致に気づいた者は、駐車場には一人もいなかった。雨だけが、二着の喪服の肩に公平に降っていた。

五 二〇二六年・四十七歳

理沙

理沙は引退を決めた。

理由は感傷ではなく、表計算だった。四十七歳の本数は月七十本。手取りは月十五万。二十四歳のときに引いた曲線は、二十三年かけてここまで正確に降りてきた。店は暗いので、理沙はまだ切られていない。切られてはいないが、指名の主力は五十代以上の常連ばかりで、常連は毎年、数人ずつ死ぬか来なくなる。母数が減れば回転も減る。これは相場観ではなく、引き算である。

同じ時間を実家の店に入れた場合、粗利は月二十二万。しかも配達の得意先は父の代からの掛け売りで、掛け売りの客は簡単には逃げない。四十年前に理沙が覚えた「傘立てのない家は払いが遅い」も、まだ使える。

単価が逆転したので、理沙は乗り換えた。二十五年ぶりの職業選択も、二十四歳のときと同じ手続きだった。ノートに二本線を引き、それで終わりである。

引退の日、店長は「二十三年か」と言った。この店で二十三年在籍した女は、開業以来一人もいなかった。店長は花束を用意していたが、理沙はそれより、備蓄庫のロッカーに残っていたのど飴の在庫を気にしていた。まだ四百個あった。理沙はそれを持ち帰り、酒屋のレジ横に置いた。二年で売り切れることになる。

口座には五千二百万円あった。この数字には、本人が驚いていない。使わなかったのだから、当たり前である。理沙は自分を倹約家だと思ったことが一度もない。ホストに行かなかったのは計算の結果で、ギャンブルをしなかったのは算数の結果で、旅行に行かなかったのは、知らない土地では何も読めなくて疲れるからだった。理沙にとって金とは、使い道を思いつかなかったせいで残った副産物である。

引退の話が店に出た週、田口が来た。

田口は五十二歳、機械部品の会社の資材課にいる。十九年前、当時の上司に無理やり連れられて初めてこの店に来た。田口は帰りたがっていた。理沙はそれを、暖簾をくぐるときの半歩の遅れで読んだ。

四十分のうち、田口は三十四分喋った。内容は、資材課の在庫管理システムの不備についてである。発注点の設定が実態と合っておらず、そのせいで倉庫の奥に十年前のベアリングが眠っている、という話だった。理沙は相槌を打った。三十四分の相槌は、理沙にとって業務であり、田口にとって人生で初めての体験だった。

以後十九年、田口は二ヶ月に一度、必ず理沙を指名した。多くも少なくもない頻度である。回数にして約百十回、支出にして約八十万円。田口は資材課の人間なので、自分の消費にも発注点がある。二ヶ月に一度というのは、田口が自分で決めた適正在庫だった。

田口は理沙を口説かなかったし、店の外で会おうとも言わなかった。誕生日にはハンカチをくれた。十九回のうち十七回がハンカチで、二回はタオルである。理沙はそのハンカチを一枚も使わなかったが、一枚も捨てなかった。

引退すると聞いた田口は、しばらく黙ってから言った。

「あの、その、相手とか、いないんですよね」
「いないけど」
「じゃあ、あの、僕と、どうですか」

理沙は三秒考えた。三秒は理沙にとって長い方である。

田口は毒にも薬にもならない男だった。趣味は特にない。休日は洗車をする。声が小さい。実家の店の在庫管理を手伝えると言った。実際、田口は資材課で二十八年やっている。掛け売りの帳簿は父の字のままで、そろそろ誰かが表計算に移す必要があった。

理沙は「いいよ」と言った。

田口は酒屋に来ると、まず発注点を直した。父の代から二十年、勘で仕入れていた甲類焼酎の四合瓶が、実は毎月きっちり過剰在庫になっていたことが判明した。理沙は倉庫に積まれた四合瓶の山を見て、しばらく黙っていた。あの銘柄である。父が四十年かけて割り続け、母が四十年かけて破損として記帳し続けた、その瓶が、いま適正在庫の計算対象になっていた。

「これ、多いですね」と田口は言った。
「うん」と理沙は言った。「昔から多いの」

田口は発注量を三割減らした。マルヨシ酒店の粗利は、翌月から月に一万四千円ほど改善した。八十年の店で、初めて数字が根拠を持って動いた瞬間である。

籍を入れる前に、一度だけ二人で泊まった。

理沙にとっては、二十三年ぶりに時計を見ない夜だった。四十分でボーイのコールが入らない。次の客の準備をしなくていい。喉の在庫を計算しなくていい。理沙は自分の職業人生において、他人の四十分を約二万五千回管理してきたが、管理しなくていい時間の使い方だけは、一度も習っていなかった。

田口は緊張していた。緊張のあまり、途中で在庫管理の話を始めた。十九年前と同じ、発注点の話である。理沙は笑った。仕事を離れて男の前で笑ったのは、たぶん人生で初めてだった。笑ったら、田口も笑った。

結論から言えば、相性はよかった。

これは理沙にとって、意外という以上に、数字の合わない出来事だった。理沙は二十三年、他人の体を扱う仕事をしてきたのであって、自分の体が対象になる側の統計は持っていない。持っていないので、比較のしようがない。ただ、終わったあとに気分が悪くなかった、という一点だけは確実だった。理沙は自分の一次データを信用する女である。

田口は急がなかった。理沙が黙っても、黙ったままでいてくれた。理沙は仕事の二十三年間で、沈黙を放置してくれた男に会ったことがない。沈黙は理沙が埋めるものであり、埋めるのが商品だった。

終わってから、田口は「ありがとうございました」と言った。

「それ、やめて」と理沙は言った。
「あ、すみません」
「それも、やめて」
「……はい」

田口はそのあと、四十分ほど何も言わずに天井を見ていた。理沙も見ていた。二人で同じ天井を見ている時間に、値段がついていないことが、理沙にはまだうまく飲み込めなかった。

籍を入れた日、二人は回転寿司に行った。田口はサーモンを四皿食べた。理沙は「あんた、いつもサーモンだね」と言い、田口は「はい」と言った。会話はそれで終わったが、気まずくはなかった。四十七年生きて、理沙が沈黙を業務として処理しなくてよかった相手は、これが初めてだった。

帰り道、田口は「あの、お金のこととか、こっちは何も」と言いかけた。理沙は「うん、いいよ」と言った。田口はそれ以上聞かず、以後十年、一度も聞かなかった。資材課の人間は、自分の管轄外の在庫を数えない。

直美

直美は帰郷していた。母を施設に入れ、実家を売るのだ。父は三年前に死んでいた。

母の施設は、これで三つ目である。一つ目は職員の態度が無理だった。二つ目は食事がクソだった。直美は二語の辞書を、ついに母の環境にも適用した。母は八十一歳にして、人生で五回目の転居を経験したことになる。四回は父の辞令、一回は娘の判断である。母は三つ目の施設の窓際で「ここも、まあ、いいわね」と言った。娘についての解説は、こんな段階になっても品切れしていない。

荷物の仕分けは二日で終わる予定だった。転校のプロは、五十を前にしても腕が落ちない。基準は四十年前から同じである。次の場所で使う想像ができない物は、両親の思い出であっても資材である。アルバムは資材。父の辞令の束は資材。母がためこんだ引き出物のタオルは、状態のいい二枚だけ残して資材。母の「③開けない」の箱が押し入れから三つ出てきたが、直美は開けずに処分場に回した。開けないと書いてある箱を開ける人間は、この家にはいない。

ただ一度だけ、手が止まった。自分の部屋の学習机の引き出しから、隣の市の高校の合格通知が出てきたのである。三十三年前の紙だった。直美はそれをしばらく眺め、次の街に持っていくことにした。次の場所で使う想像が、この紙についてだけは、なぜかできた。

直美自身は、十一回目の引っ越しの途中だった。転職七回、引っ越し十一回、付き合った人は十四人。次の街を選んだ理由は三つある。今の職場より給料が良い。今の街より家賃が安い。今の隣人の生活音が無理。三つとも合理的で、直美は自分の意思決定の速さに、静かな誇りを持っていた。

直美のもとには毎年、同じ引っ越し業者から年賀状が届く。宛名の住所は毎年違うのに、業者は一度も配達に失敗していない。追跡精度において、この業者は直美の親族の誰よりも優秀だった。

貯金は二百八十万円あった。四十七歳としては少ないが、直美はそれを気にしていない。物は溜めない主義だからである。溜めていないのは物だけではなかったが、その項目は帳簿に立てていなかった。

十四人目とは、先月別れた。理由は「価値観が違った」である。直美は現在、マッチングアプリのプロフィール写真を撮り直しているところだった。自己紹介文の下書きにはこう書いてある。「変わらない自分を大事にしています」。

卵売り場

夕方のスーパー。卵は特売で、一人一パック限りだった。

正確を期せば、理沙もこの二十五年で二回引っ越している。一回目はアパートの隣の棟へ、大家の建て替えの都合だった。二回目は同じ棟の二階から三階へ、下の階の水漏れの都合である。通算移動距離、約四十メートル。二回とも理沙の意思ではなく、二回とも理沙は、動かずに済む方法を最後まで検討した。

理沙は二十五年、同じスーパーの同じ順路を歩いている。野菜、豆腐、卵。酒売り場は素通りする。実家が酒屋なので、酒は仕入れ値の世界の物であり、小売価格で買うと負けた気持ちになるのだ。ケトルは二十四年目になっていた。祖母はとうにいないが、卵の特売を見るたび、理沙は「安すぎる。何かある」と思う。近頃は、何があるのかも、だいたい見えている。

卵売り場の前で、二人は遭遇した。三十年前と同じ顔認識が、〇・五秒で完了した。

「うわ」
「うわ、って何よ」

近況の棚卸し。実家を売る話。店の話。

「あんた、店やめたんだって?」
「うん。今、実家の酒屋」
「へえ。……偉いね」

偉いね、の前の空白に、直美はいろいろ入れていた。理沙はその空白の中身を、二十五年分の経験で正確に読んだが、読んだことは言わなかった。

「で、今は何なの」と直美は聞いた。聞かなくてもいいことを聞くのも、直美の癖である。「外資? 政府? 製薬?」

「そういうのじゃないの」理沙は静かに言った。静かさに、凄みがあった。「名前をつけると、見えなくなるから。全部つながってるの。仕組みが。名前はもう、どうでもいいの」

理沙の世界の説明は、ついに固有名詞を必要としない段階に達していた。若い頃の説明は、景気だのSNSだのと部品がいちいち市販品だったが、いまや説明は継ぎ目のない一枚板である。継ぎ目がないので、反論の取っ掛かりもない。証拠が出ればいつでも変える用意はある。その用意のまま、七年が経っていた。

そこへ、通路の向こうから田口が来た。カゴを持ち、牛乳を入れている。

「あ、うちの」と理沙は言った。
「田口です」と田口は言い、頭を下げた。声が小さかったので、直美には「たきです」と聞こえた。

田口は三十秒ほどそこにいて、「じゃあ、車出しときます」と言い、去った。直美は田口の靴と、腕時計と、ポロシャツの襟の伸び方を見た。値踏みには七秒かかった。直美の査定装置は理沙のものより性能が低いが、動作は速い。

「……あの人と?」
「うん」
「あー、うん、いいんじゃない」直美は言った。「安定って大事だもんね」

安定、という単語を、直美は褒め言葉として使っていない。直美の辞書では、安定は妥協の別名として登録されている。四十年前に転校のプロが定めた語義であり、以後改訂されていない。

「あんたも、一回ぐらい離れてみればいいのに」と直美は言った。「場所を変えると、ほんとに全部変わるよ。私、中二で女子と揉めたとき、高校変えたら全部解決したの」

三度目だった。二十三年前の同窓会、八年前の葬式の駐車場、そして今日の卵売り場。一言一句、同じ文である。直美はこの文を冷凍保存しており、何度解凍しても味が落ちない。しかも本人は毎回、いま思いついて言っている。

「あんたは昔から、ほんとにそればっかりだね」
「私は昔から変わってないよ」直美は胸を張った。「合わない場所にいない、ってだけ」

理沙はカゴの中の卵のパックを見た。それから直美を見た。

「あんたは変わらないね」と直美が言った。心からの言葉だった。
「あんたもね」と理沙が言った。こちらも心からだった。

二人はそれぞれ、自分の尺度を一本ずつ持っていて、その尺度で測るかぎり、どちらも完全に正しかった。

理沙はカゴを持ち直し、レジへ歩いていった。駐車場では田口が、エンジンをかけて待っている。助手席に乗ると、理沙は言うだろう。「卵、一人一パックまでだった」。田口は「そうですか」と言うだろう。それで会話は終わり、二人は八十年の店に帰る。

直美は会計を済ませ、レンタカーへ歩いていった。ナビには次の街の住所が、もう入っている。到着は九時過ぎになる。カーテンは、向こうで買えばいい。あの店はどの街にもある。

(この人、本当に昔から変わらない)と直美は思った。
(この人、本当に昔から変わらない)と理沙は思った。

二台の車は、駐車場の別々の出口から出た。特売の卵は、閉店までに売り切れた。

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