見出し画像

まやかし


彼氏と別れた私は、熊と同居することになった。

食事はそれぞれ。
熊の寝床は押入れ。
私は寝室。

唯一の約束事は、私を食べないこと。
私が育てていたカブトムシは食べてしまったけれど。


熊との暮らしは愉快だ。

力仕事は何でもやってくれる。
軽々と。

すごく遠くの匂いが分かる。
三キロ先の焼肉屋の匂いを、幸せそうに嗅いでいる。

耳も良くて、私が帰る音が五分前に聞こえるらしい。

夜は一緒に映画を見る。
スマホも買ったみたいで、一日中何かを見ている。


ある日、観葉植物を齧りながらスマホを見ていた熊が、首を傾げた。
画面には山の映像が見える。

「どうしたの?」
「匂いがない。風がない。温度がない。
 これは何?」
「なんだろうね。」


しばらくすると熊は、頭が痛いと言うようになった。
「何だかずっと重いんだ。」

夜中、壁やドアにぶつかるようになった。
焼肉の匂いもわからなくなった。
私の帰る音も、玄関を開けるまで気がつかなくなった。

熊が言った。

「山へ帰ろうと思うんだ。」


翌日、ふたりで山へ行った。
熊は、目を閉じて息を吸い込んだ。 
深く深く。


そのとき、風が吹いた。


「にせものは息ができない。」


熊は、山へ消えていった。




いいなと思ったら応援しよう!