同から、和にかわる。。天皇日本は「同」しか無いので、終わる。
9割の人が知らない2026年後半の逆説。尖る人ほど、周りから優しくされる流れがやってくる。
この動画を、聞き流ししていると、ふと晏嬰の言葉を思い出す。
左伝 昭公 20年
「和」とは羹{スープ}を作るがごときもの。
水と火と、酢・醓{ひしお~魚醤とか}・塩・梅とを用いて魚や肉を煮込み、薪で熱を加えて調理官がこれを調和します。
味を斉{ととの}え、足らねば味を補い、過ぎれば薄め、君子が食して心が平らぐようにします。
君臣の関係も同じこと。国君が可としても不可なる点があれば、臣下がその不可なるを進言して、国君の可とすることをさらに完成させる。
国君が不可としても可なる点があれば、臣下はその可なる点を進言して、国君の不可を可に変える。
かくて政治は平穏で礼儀に背かず、民に争奪の心がなくなるのです。~
~ところが、梁丘拠は違います。
国君が可とされれば拠も同じく可と言い、国君が不可とされれば拠も同じく不可と言う。
水で水を調えても、誰が食べれますか。
琴と瑟が同じ音ばかり出していたら、誰が聴けるでしょうか。「同{同調}」が不可なわけは以上の通りです。
「同調」は、これからは「死と破滅」への傾向が強くなるかもしれない。
「調和」は、大変だが、より楽しく美味しく行ける。それがより重要になるかもしれない。
まあオカルトの話半分ですけど。
