「書くこと」と「人生が始まること」は、たぶん別物だ
「GINZA」という雑誌を購入した。目的はインテリア特集だったけれど、ついでに巻末の読み物ページも読んでみた。
ミュージシャンやタレントのエッセイがあって、今トレンドな文化人のインタビューが載っていて、という、清々しいくらい想像通りの内容だった。
その中で、ページの1/5くらいの隙間を埋める、2つのエッセイを見つけた。
どちらも、いわゆるライターと呼ばれる人たち、つまりプロが書いたものである。同時に、世間的には先ほどの有名人と異なり、”誰も知らない”人たちでもある。
そんなある意味アウェイな状況の中、限られた文字数でどれだけ爪痕を残せるか。おそらくそんな気概もあるのかもな(空回りしないといいけど)。
などと勝手に想像(心配)しながら読み進め、秒で読み終えた。
感想は……えーっと、ひとまずパスでいいかな(苦笑)。
けど、世の中の人がイメージする”エッセイ”って、きっとこういうものなのだろうと思った。
「#書く人生がはじまった瞬間」
今回、僕が久しぶりに参加するnoteの企画のハッシュタグで言うと、彼らはまぎれもなく「書く人生を始めた人たち」に当たる。
僕は知らなかったけれど、ひょっとするとライター志望の人たちからは、羨望のまなざしを向けられているような存在なのかもしれない。
しかしここで正直に、僕の頭に真っ先に浮かんだ考えを言うと、
「書くことを始めることと、人生が始まることは、たぶん別物だ」
ということである。
「そもそも人生が始まるって、どういうこと????」となっている人もいると思うし、実は僕だってあんまりよく分かっていない。
でも、僕たち人間はみな、それぞれの人生を始めることができる、と確信もしている。
それには相当のガッツと覚悟と、思いやりが必要だろうけれど。イメージとしては、「Perfect Days」の役所広司。
その人生は、別に文章にしてもいいし、しなくてもいいものだと思っている。しないほうがむしろ潔くてカッコいいかもしれない。
ただ僕自身は、そういう人たちの文章を読んでみたい。いや、もっとはっきり言うと、もはや
そういう人の文章しか読みたくない。
想像するに、彼ら彼女の文章は、面白いとか面白くないとか、正しいとか悪いとか、得するとか損するとか、そんなことが本気でどーでもよくなるようなものな気がする。ましてや、それでお金が稼げるかどうかなんて、ね。
きっと、
「あなたに出会えてよかったー!!!!」
と、僕ら(読者)はよだれでも垂らしながら、ただただ叫んでいるのだろう。
などとぶつくさ言っている僕の目に、巻末1ページまるまる、あの人のエッセイが載っているのが見えた。
僕が勝手にエッセイ界の松本人志と呼んでいる、Mさんである。
確かに良くも悪くも、二人の登場によって、それぞれの世界の勢力図は大きく塗り替えられた印象がある。その才能とカリスマ性で、彼らのスタイルを踏襲するフォロワーを大量生産した、という点でも共通している。
なんて他人事みたいに言っているが、彼こそが、僕がこうやって文章を書くきっかけを与えた張本人である。
実際、どこにも出すあてのない面白エッセイ(苦笑)を10年くらい、仕事の合間にずっと書き続けていた黒歴史がある。それをどさくさにまぎれて、初めて告白してみた。
おそらく10年ぶりくらいに読んだ彼のエッセイには、当時の文章にはなかった"格調"や"風格”のようなものが備わっていた。
そのせいか、個人的には粗削りな初期のエッセイの方が好みだけれど、読み終わった後には妙な充実感があった。
それは、ずいぶん昔に人生を始めた人が、その後もずっと書き続けた文章だったからかもしれない。
たぶん、書き続けるのは誰でもできる。
文章でお金を稼ぐことも、きっと努力すればできる。しかも、その努力は文章力以外の努力も大きいように思う。
しかし、書く書かないとは別に、「自分の人生を始められている人」は、ほとんどいないような気がする。
肩書きや経歴を気にしている人とか、その時点でもう、ね……。
これはあくまで僕の個人的な見解であるので、もし気を悪くされた方がいたら、負け犬の遠吠えだと決めつけて、どうか無視してくださいね!!!
かくいう自分も、まだ人生を始められていないのに、こうやって書いている。
それはもちろん、人生を始めたいと思っているからである。
そして、案外、みんなそんなものかもしれない。
