見出し画像

無期限メンテナンス日記222

今日は疲れを取り切るつもりで、何もせず一日ゴロゴロして眠くなったら眠くなくなるまで寝ようと思っていました。
猫の島の旅の間にばーちゃんが炭酸水を飲み切ってしまったので(らっきょうは隠していったので無事でした)炭酸水を買ってきて~~~~と何度か頼まれましたが、とにかく今日は無理だと断って自分の部屋でごろごろしていました。

ところが、確かに疲れているし夜中に日記2~3日分の編集をしていたので眠いのだけど、なぜかめずらしく眠れず困っていました。
だるい、ねむい、寝れない。
これ、、、どうやって疲れを取るのだ。。。

まあそんなわけで、ゴロゴロしながらスマホを触るしかない1日でした。

Xを見ていると出どころは不明ですが、今度出る写真集についての意見・・・?お気持ち・・?やそれに対しての反論などがエアで飛び交っていて、あれあれ自分、写真集の発表に手放しで喜んでいたけど、そういや以前そんなこともあったなぁ、ていうかそのもう少し前はもう羽生さんの衣装を作ってくれることはないかもしれないから覚悟しとかなきゃとか思ってた自分がいたなぁ。と記憶の奥の奥のほうから引っ張り出してきていました。

詳しいことを書き出すとまためんどいことが起こりそうなのと、私が言いたいことはちょっとそこから焦点をずらしたところのことなので、詳細はあえてここには書きませんが。今日一日寝れもせず何もできず寝たきりでぼんやり考えていたことをここにまとめておこうと思います。

その前に私が無期限に心と体をメンテナンスすることになった経緯みたいなことを説明させていただく必要があるので、ちょっとつまらない事ですがかいつまんでお話させてください。

羽沼にはご存じの方もけっこういらっしゃるのですが、メンテナンスに入るまでの10年ちょいくらいの間に私は2回、事業の立ち上げから関わって福祉の仕事をしていました。長く付き合いがあって信頼していた人と立ち上げたわけですが、そこで私が大失敗したのが、信頼する人との境界線でした。

ずっと仕事抜きやボランティア活動の付き合いであれば、死ぬまでズボっと信頼していても良かったのかもしれません。

しかし、ビジネスと責任とお金が関係してくると、それらをきれいに乗せた上で成立させられる境界線が必要になります。
しかし、私は社会性や人との適切な距離感が掴みにくい特性があるので、ただただ相手を信頼しきっていたというか、大きく期待しすぎて相手の人間性に甘えていました。

1度目の事業でトップをお願いした人は、ビジネスに対してビジネスでの境界線を持っている人でした。
ビジネスの境界線はシビアです。同じ感覚で自分も境界線をしっかり意識していれば、相手の言い分や要求に対して譲れないところは交渉してお互いにやっていける線を見つけることができたはずですが、信頼という名の無防備な状態では次第に対等な力関係でなくなり、いつしか搾取する側と搾取される側というおかしな関係になっていきました。
事業は利用者がたくさん集まり経営自体は安定しましたが、立ち上げメンバーの無防備さにつけ込まれトップの人が全権限を握れるように規約を改ざんしてしまい、現場のことを何一つ自由に決められなくなりました。結果、その事業から離脱するしかなくなりました。

当時はトップの人でなし加減に腹を立てて訴える準備までしていましたが、今考えると自分が甘かったのです。信頼して甘えていたのです。

人と人との関係はバランス。
どちらかが悪者とか割り切れるものではないのです。
自分が善人で公平ではないのと同じように、相手も善人でも公平でもないので、いつも押し相撲のようにNOなことはNOと相手をつっぱねることが、お互いのバランスを取るために必要だったのです。

そこでしっかり状況を理解して学んでいればよかったのですが、なにせ私は浅はか。2回目の立ち上げで同じような失敗を繰り返し、痛手を受けて仕事から離れてようやく理解するに至ったのです。

社会は・・特に経営となると本当に驚くほど弱肉強食です。
それを理解せずにきれいごとで「信じていた」と言っても、状況にそぐわないのです。それより精神的にも社会的にも自立して必要な境界線を意識することが大事です。この境界線から内側は絶対に守ると心に決めて実行しないと、あっというまに入り込まれて荒らされます。


件のデザイナーさんはそれをしたに過ぎないと私は思っています。
その時のインスタへの投稿には怒りと棘がありましたが、デザイナーさんが独立して身一つでゼロから自分で営業して積み上げていって、努力が少しずつ実って評価されるようになると、良い仕事で当たり前、何か少しでも問題があればそれが世界に発信されてしまうというとんでもないプレッシャーがのしかかるようになって。
そんな中でひたすら良いものをと作り続けてきたのに、自分の仕事を全くの無関係な人が盗んでいく。反省もない。
そりゃあ怒りますよね。それこそ人間ですから。
どうでもいいような仕事の仕方をしてきたのなら、冷静に対処できたかもしれません。でもそうじゃない。あの時の怒りと棘は、どれだけ真剣に仕事をしてきたかの現れだったと思っています。

それが適切だったとは言いません。かえって下手を打った。作らなくてもいい敵を作ることにもなった。怒りは諸刃の刃となりました。

ただ、発端は無断転載。無断借用。無断転用。
(私もきせかえくんで衣装をそのまま絵にさせていただいているのでグレーなのかブラックなのか・・大きな顔はできません)


私は仕事での失敗経験や自身の嘘つき具合を見て、人間のことをどうやって信じたらいいのかわからなくなって、いまでもこれといって答えは見つかっていません。

言葉は正確なようで、解釈ひとつで意味もころっと変わります。また、感情の変化によっても言葉は変わります。
ただ、仕事はあまり嘘をつかない気がするのです。
いい仕事は特に。

嘘をついたり誤魔化したり手を抜いたり人の物を盗んだりしてした仕事は、一時的にはいい仕事に見えるかもしれませんが、それでいい仕事を継続することはできないでしょう。
でも、いい仕事を継続している人は、その仕事に対しては信頼できる人だと思っています。
(自分は仕事も抜け抜けのだめだめなんで、こんな偉そうなこと書くの恥ずかしいですが。あくまでも自分以外の人の話で)


もうひとつ学んだことは、正解か間違いか、良いか悪いかで答えを出すのは無理があるということです。

良いも悪いもいろんな見方があっていろんな事情があって、2択のような答えは現実世界にはほぼないと思うようになったからです。
自分は思考の幅が狭くて浅いほうなので、どうしても思考が2択化しやすいのですが、いろんな風景を見てきて、信頼していた人の中身を見て、また自分の身勝手さや欲の突っ張りを指摘されると図星だったりして、もう人間同士の出来事で2択のようなシンプルなことなんてあるわけないと。心からそう思ったのです。

なので、問題があれば他にどんな手があったか、どうすればまだマシだったかを考えるように思考を変えたいと思うようになりました。
(けっこうすぐ、元通りの思考パターンになっちゃいますけどね💦)

一人でもんもんと考えているといつまでたってもスッキリしないので、ちょっとだけ隠れたこのnoteでこうやって文字にするというのも、私が選んだ一つの手です。

これが正解というわけではなく、いっぱいあるであろう手段のうちの一つ。

あ、そうだ。
今たぶんネトフリで「九条の大罪」のドラマをやってると思うんですけど、私は原作の漫画しか読んでないのでドラマがどんなストーリーになってるのか知らないんですが、それを見たり読んだりしてもらったら、私がここでグダグダと書いたことがもうちょっとわかってもらいやすい(わかりやすい・・か?な?💦)と思います。
犯罪者とそれを弁護する弁護士の話です。よかったらどうぞ。


ちょっと長くなったから続きを書こうか迷ったのですが、こんなこと普段書かない場所だから、まとめて書いておこうと思います。


えーとね。福祉の現場で覚えきれないほどの人と一緒に仕事をしたので、なんとなくですがタイプ別で人を把握するようになりました。私は人柄を察したり気持ちを汲み取ったりするのは苦手なんですが、仕事柄というのもあったと思います。

その中で、振り上げた拳を降ろせないタイプの人を何人か見ました。
決まりをしっかり守りたいタイプに多いのじゃないかな。
不幸なのは拳を振り上げたあとから状況が変わって、拳の振り降ろし先がなくなっちゃった時ですよね。

「じゃあしょうがないね。悪く言ってごめんなさい。」
とどうしても言えない人。べつに責められているわけでもないのに、ずっと言い訳をして、しかもやりどころのない怒りが腹の中でおさまらない。

そういう人は、残念なことにいくら仕事に向いていてもひとつトラブったら腹の虫がおさまらず辞めていきました。きれいに別の理由をつけて。

人間の心理って、怒りの矛先があると安心しますよね。
暴れん坊将軍のような悪者成敗の話が大衆に好まれるのはそのせいですよね。同情の余地もないほどの悪代官に向けて何の遠慮も良心の呵責もなく怒りや憎しみの感情を持つことができる。こんなストレスフリーなパラダイスは現実にはなかなかないですからね。

なので、たまーに現実に怒りをストレートに出せる場面に遭遇すると、人間ってつい拳を振り上げちゃうところってあると思うのです。でもそのあとでいろいろ分かってくると、え?ちょっと待てよ?なんてことはザラにあります。

それが家族や親しい間柄でのことなら、拳を引っ込めやすいですし、テヘペロなんて誤魔化すこともできるかもしれません。相手もそれなりに察してくれることでしょう。

ただ、ネットだとそうはいかない。振り上げた拳が文字として残ってますから。丁寧に訂正文を載せるという手もありますが、なんだかめちゃくちゃ気まずい。しかも残る。

リアルでも拳を振り上げるのは極力慎重にと思っていますが、ネットでは特に拳を振り上げないように注意しています。なんたって私は浅はかだから。私が拳を振り上げたって的外れでろくなことない。
それより他にもっとマシな何かがあるはずだ。

ここまで読んでくれる方はいないかもしれないけど、自分的には考えていることを整理して吐き出せて、良かったと思います。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集