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小栗忠順ず暪須賀補鉄所   ゞャヌナリスト 柳原䞉䜳

東郷平八郎が              「日露戊争勝利は幕臣・小栗䞊野介のお陰」 ず感謝した理由

 『もし、ロシアに負けおいたら、日本海はロシアに抑えられお自由に航海できず、日本はロシアの蚀いなりの囜になっおいたこずでしょう』
 これは、子ども向けに出版された冊子『小栗さた 小栗䞊野介』線著村䞊泰賢東善寺発行の䞭に蚘されおいる䞀節です。
 明治の末期、日本はロシアず戊争をしおいたした。朝鮮・満州の支配暩をめぐっお勃発した「日露戊争」です。
 明治37幎、この戊いは日本偎が珟圚の䞭囜にある旅順を攻撃したこずから始たりたした。そしお翌幎、東郷平八郎率いる日本海軍が、ロシアのバルチック艊隊を日本海海戊で砎り、勝利を収めたのです。
 実は、この戊争の終結から幎埌の明治45幎倏、東郷平八郎はこんな「蚀葉」を残しおいたした。
 
『日露戊争の日本海海戊でロシア艊隊に勝぀こずができたのは、小栗さんが暪須賀造船所を造っおおいおくれたおかげです』「小栗さた 小栗䞊野介」より
 
 もちろん、小栗自身は日露戊争ずは盎接関係がありたせん。圌はこの戊争が起こる36幎も前に41歳ずいう若さで惚殺されおいたす。にもかかわらず、東郷は小栗の遺族を自宅に招き、心からの瀌を蚀い、そしお「仁矩瀌智信じん・ぎ・れい・ち・しん」ずいう孔子の教えを曞にしたためお、蚘念に莈りたした。
 その理由は、小栗が幕末、たさに心血を泚いだ「暪須賀補鉄所」の建蚭にあったのです。

東善寺に残る東郷の曞筆者撮圱

■幕府の運呜に限りがあっおも、日本の運呜に限りはない ã€€

 東郷がその存圚に心から感謝したずいう「暪須賀補鉄所造船所」。その建蚭は、䞇延元幎遣米䜿節ずしおのか月に及ぶ航海から垰囜した小栗が、その埌、幎間にわたっお提案し続けた末に実珟した䞀倧プロゞェクトでした。
 枡航先のアメリカで実際に造船所や補鉄所を芋孊した小栗は、日本の近代化のために、必ずこうした斜蚭が必芁になるこずを痛感したした。
 西掋の囜々から艊船を賌入したずしおも、それを維持しおいくためには必ずメンテナンスが必芁ずなりたす。事故やさたざたなトラブルで船の修理が必芁になる堎面は必ずやっおくるでしょう。そのずき、日本の囜ずしお船を造る技術を持っおいなければ、船を維持し続けるこずができないず考えおいたのです。
 しかし、この時期、幕府の財政は逌迫ひっぱくし、幕府自䜓がい぀たで続くかわからないずいう危うい状況でした。そんな䞭、呚囲からは圓然、莫倧な予算が必芁ずなる造船所建蚭に察しお倧反察の声が䞊がりたした。
 しかし、日本の将来を芋据え、確固たる信念を持っおいた小栗は、「幕府の運呜に限りがあっおも、日本の運呜に限りはない」「同じ売家にしおも、埌の日本のために、土蔵付き売据えの方がよいではないか」 ずいう蚀葉を発し、決しお匕き䞋がらなかったず蚀いたす。

 ã€€ã“うした蚀葉ず熱意は、呚囲の幕臣たちの心を揺さぶったのでしょう。結果的に小栗の意芋は抌し通され、元治元幎、日本初ずなる蒞気機関を䜿った近代的な造船所の建蚭が暪須賀の地で認められたす。そしお、慶応元幎、フランス人技垫、フラン゜ワ・レオンス・ノェルニヌの力を借りお、「暪須賀補鉄所」の建蚭に本栌的に着手したのです。

  â– ç­†è€…の先祖・䜐野錎も工事䞭の暪須賀補鉄所を芖察 

 実は、筆者の傍系先祖である䜐野錎も、この時期、「加賀藩家来」ずいう立堎で、ただ工事䞭だった暪須賀補鉄所ぞ芖察に出向いおいたした。䜐野錎は珟圚の開成孊園の前身である「共立孊校」の創始者ずしお知られおいる人物です。幎には小栗が目付を぀ずめた䞇延元幎遣米䜿節の随員ずしお、ずもにアメリカぞ枡り、詳现な『蚪米日蚘』を曞き残しおいたした。
 䜐野錎が曞き残した日蚘や手玙の䞭には、ずきおり「小栗公」ずいう名が登堎したす。倖囜から友人に曞き送った手玙の䞭には、「小栗公ず船䞭で話せるようになった」ず、誇らしげな文面も顔をのぞかせたす。
 圓時の身分差からいえば、おいそれず話せる盞手ではなかったはずですが、小栗は身分にこだわらず、西掋砲術や航海術の専門家であった䜐野錎の話に察等に耳を傟け、ずきには自分が知らない分野に぀いお、質問などをしおいたかもしれたせん。

  さお、アメリカから垰囜埌、䜐野錎もたた、加賀藩の領地である胜登半島の䞃尟に本栌的な補鉄所造船所を造るべく奔走しおいたした。
 『続通信党芧』ずいう史料には、慶応幎、圓時の暪須賀補鉄所銖長であったノェルニヌに、以䞋のような文面をもっお䞁重な芋孊の申し入れを行っおいたこずが蚘録されおいたす。
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「別玙」には、䜐野錎を筆頭に名の加賀藩士の名前が蚘されおいたす ã€€

 工事䞭の暪須賀補鉄所を蚪れた䜐野錎たちは、日本初、日本最倧のドラむドックや各皮工堎の建蚭を芖察し、すでに皌働しおいたスチヌムハンマヌなど、倧型機械の据え付け方や䜿甚方法などに぀いお、芖察の折にいろいろず質問をしたこずが掚察されたす。
 ちなみに、この堎所で行われおいた山の掘削工事䞭に、倧きな動物の化石が発掘されたのですが、それが埌に、ドむツ人の地質孊者・ナりマン氏によっお、瞄文時代に絶滅した「象の骚」ず刀明したこずから、「ナりマンゟり」ず名付けられたこずは有名な゚ピ゜ヌドです。

幎工事䞭のドラむドック

★䞊蚘の出兞「暪須賀垂自然・人文博物通」発行の冊子『すべおは補鉄所から始たった―Maide in Japan―』に掲茉されおいる幎圓時の暪須賀補鉄所で、造成䞭の第号ドラむドックを接写したもの。

  â– æšªé ˆè³€è£œé‰„所の完成を芋ずに斬銖された小栗忠順

 ã€€ã—かし、暪須賀補鉄所の建蚭半ばで、江戞幕府は終焉を迎えたす。
 幎月、知行地である矀銬県暩田村に戻っおいた小栗は、「叛逆の意図は明癜」などず根拠のない蚀いがかりを぀けられお斬銖され、悲願だった第1号ドラむドックの完成を芋るこずなく、呜を萜ずしたす。享幎41、どれほど無念だったこずでしょう。
 䞀方、䞃尟補鉄所の建蚭に取り組んでいた䜐野錎も、明治維新埌の廃藩眮県によっお加賀藩が力を倱ったこずで、懞呜に取り組んできた倧事業の断念を䜙儀なくされたす。
 敬愛しおやたなかった小栗の理䞍尜な死、そしお、「暪須賀補鉄所に続け」ず心血を泚ぎ続けおきた䞃尟補鉄所の建蚭䞭止  。時代の倧きなうねりの䞭、圌の心にはどのような思いが亀錯しおいたのでしょう。

 ã€€ãã‚Œã‹ã‚‰æ•°å¹Žã®æ­³æœˆã‚’費やし、暪須賀には小栗亡き埌、倧型船の修理が可胜なドラむドックdry dock也ドック船䜓の怜査や修理などのために氎を抜くこずができるドックのこずのほか、最先端の工堎が次々ず぀くられ、明治幎には「暪須賀造船所」ず改称されたした。
 造船所ず蚀っおも、小栗が構想したそれは、ただ船を造るだけの斜蚭ではありたせん。船舶甚のロヌプや垆、歯車、ねじ、シャフトの他、鍋や釜、スプヌンやナむフなど、あらゆるものが生産できる総合工堎でした。
 たた、孊校も䜜られ、優秀な日本の若者たちがフランス人技垫から工孊などさたざたな孊問を孊び、高床な知識を蓄えた技術者が倚数育成されたした。
 䞃尟での補鉄所建蚭を断念し、金沢を埌にした䜐野錎が、珟圚の開成孊園の前身である「共立孊校」を東京・埡茶ノ氎に創立したのは、奇しくも暪須賀補鉄所に第1号ドラむドックが完成したのず同じ明治幎のこずでした。
 䜐野が圓時、倖囜から取り寄せおいた蒞気ハンマヌや各皮倧型機械類は、その埌、兵庫に移送され、珟圚の川厎重工業の瀎になっおいるこずはあたり知られおいない事実です。

  明治新政府は、結果的に幕府が最埌に残したこの「暪須賀補鉄所」によっお、はかりしれない恩恵を受けるこずになりたした。
 もちろんこのずきは、たさか40幎埌にロシアの巚倧艊隊ず闘うこずになろうずは、誰も想像しおいなかったでしょう。しかし、暪須賀補鉄所造船所が䜜られたこずで、日本は独自の技術を駆䜿し、速床の速い駆逐艊や魚雷艇を自䜜するこずができたした。そしお結果的に、それらが日本海海戊で倧きな力を発揮し、ロシア艊隊を撃沈するこずになったのです。
 小栗の呜日である月27日が、奇しくも、その36幎埌、日露戊争における日本海海戊幎月27日ず同じ日であるこずにも、䞍思議な因瞁を感じたす。

  â– ã„たも珟圹、日本最叀のドラむドック

  完成した「暪須賀賀造船所」は、明治期、芳光スポットずしおも人気を集め、党囜各地から倚くの芋孊人が蚪れたそうです。今でいう芳光甚のパンフレット絵図も䜜られたほどです。たた、倚くの技術者たちも暪須賀造船所を蚪れ、最先端の蚭備を芖察したした。

造船所手匕草

 蚘録によれば、明治19幎、珟圚のトペタグルヌプの創業者である圓時19歳の豊田䜐吉も、「䜕かを発明したい」ずいう志を持っお、友人ず共に暪須賀造船所を蚪れたそうです。そしお、倧いに刺激を受け、その埌の織機開発に圹立おたず蚀われおいたす。  
 しかし、日本の海軍斜蚭ずしお䜿われおいた「暪須賀造船所」は、昭和20幎、第二次䞖界倧戊に敗戊したこずでアメリカに接収され、珟圚もアメリカ海軍暪須賀基地ずしお珟圹で䜿甚されおいたす。
 筆者は先日、「䞀般瀟団法人 䞇延元幎遣米䜿節子孫の䌚」の研修を兌ね、暪須賀基地に珟存するドラむドックを芋孊しおきたした。日本最叀の第1号ドラむドックは、長さ134.5m、幅29m、深さ9m。実際に間近で芋るず、ずにかくその倧きさに驚かされたした。この石造りの堅牢な構造物は、完成からすでに幎以䞊経っおいたすが、今も珟圹で、日米共同で䜿甚されおいるずのこずです。
 第号ドラむドックの呚囲をぐるりず歩き、ひず぀ひず぀䞁寧に぀みあげられた石や閘門を芋ながら、「幕府の運呜に限りがあっおも、日本の運呜に限りはない」ずいうあの蚀葉が、切なく胞の奥によみがえりたした。

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 幎、倧河の䞻人公に決たった小栗䞊野介が、どのような描かれ方をするのか今から楜しみですが、このドラマをきっかけに、圌の知られざる功瞟ず真実が珟代の日本人に正しく䌝わっおいくこずを期埅したいず思いたす。

暪須賀基地の海軍叞什郚の建物の䞭に掲げられた小栗ずノェルニヌの写真筆者撮圱

  


筆者玹介 柳原 䞉䜳やなぎはら みか
ノンフィクション䜜家。ゞャヌナリスト。
亀通事故、叞法問題、歎史等をテヌマに執筆。
日本ペンクラブ䌚員。曞道垫範。党日本曞道文化院理事。
䞇延元幎遣米䜿節子孫の䌚理事。
䜐野 錎子孫。
第回PEPゞャヌナリズム倧賞特別賞受賞。
『JBpress』では【開成を぀くった男 䜐野錎を蟿る旅】を連茉䞭

ペリヌ来航で江戞防衛のため急遜築かれた「お台堎」、品川沖を埋め立おる倧工事をどうやっお1幎4カ月で実珟させたか 『開成を䜜った男、䜐野錎』を蟿る旅第74回 | JBpress (ゞェむビヌプレス)  クリスマスシヌズンが到来し、党囜各地できらびやかなむルミネヌションが茝きを攟っおいたす。䞭でも東京枯区のお台堎では、東京 jbpress.ismedia.jp


歎史関係著曞
『開成を䜜った男 䜐野錎』新朮瀟
『コレラを防いだ男 間寛斎』講談瀟
その他
著曞倚数。


「幕府の運呜に限りがあっおも、日本の運呜に限りはない」
 䜕床読み返しおも、この蚀葉に感動したす。幕臣ずいうその立堎を越えお、囜の将来を考えた、先芋の明。そしお、補鉄所の完成を芋ないで斬殺された小栗の無念を思う時、未来の日本のために、今䜕が出来るのか 
 私たち䞀人ひずりが、考えるべきだず思いたすが、目たぐるしく倉化する珟代瀟䌚、目先の事だけに远われ、結果が早いこずだけを远い求めおいる珟実のように思いたす。今は無駄かも知れないけれども将来を芋据えたこだわりを、研究の分野で、あるいは、経枈瀟䌚や教育珟堎で、先駆者が珟れお欲しいず思いたす。
 それには、自由があり、「独立自尊」の信念だず思いたす。

幎倧河ドラマ「逆賊の幕臣」楜しみです。歎史の里は応揎したす。
柳原さた有難うございたした。

以䞋に柳原さたのご先祖、䜐野錎の蚪米日蚘を玹介したす。

䜐野錎 遺皿『䞇延元幎蚪米日蚘』を読む 北國新聞瀟






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