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事件簿ファイル#109-1:「弁護士に確認して郵送します」と言って音信不通になったエース



◼️ネットの浅知恵で「サイン拒否」を決め込む退職予定者を、100%封じ込める実戦ドキュメンタリー

シリーズ:『退職日の法務心理戦―裏切り者の逃げ道を完全に塞ぐ技術』(第1話)


【はじめに】

今だから明かせる、私の苦い過去の話をさせてください。

かつて私は、信じていた右腕のような社員に、会社の生命線である重要な資産を持ち出され、そのまま競合へと転職されるという地獄を経験しました。

笑顔の送別会、満額支払った退職金。「次の会社でも頑張れよ」と送り出したあの日の自分の甘さと無知さを、今でも思い出すたびに激しい怒りと悔しさで胸が締め付けられます。

どれだけシステムを固めていても、最後の『退職日当日』に書類ごと逃げられたら、会社がそれまで血の汗を流して築き上げてきた資産は一瞬で強奪される。その冷酷な現実を、私は身をもって知りました。

今、ネットを開けば離職者向けの「退職時に誓約書なんて書く必要はありません」「拒否して逃げ切れます」という浅知恵が溢れかえっています。性善説だけで裏切り者に挑めば、経営者は100%泣き寝入りすることになります。

私と同じような、夜も眠れないほどの地獄を見る経営者を、もう一人も出したくない。

その強い想いから、私が血を流しながら実戦の中で構築した「最後の1日を制し、裏切り者を絶対に丸腰で帰さない法務心理戦」の全貌を、今日から5日間のドキュメンタリー連載としてすべて曝け出します。

今夜はまず、あの日の私が経験した「最悪のチェックメイト」の話から始めましょう。


【退職日当日】

「新井社長、今まで本当にお世話になりました。これ、最後の引き継ぎファイルです。一通りフォルダにまとめておきました!」

退職日当日、夕方17時。

営業のエースだった加藤は、完璧に整理されたデータと、いつもの爽やかな100点満点の笑顔をデスクに残して、私の前に立っていた。

有給も消化せず、最終日まで馬車馬のように働き、後輩への引き継ぎも完璧。
「やっぱり加藤はいい奴だな。次の会社に行っても応援してるよ」
本気でそう思っていた。


私はデスクの引き出しから、あらかじめ用意しておいた1枚の書類を取り出す。
総務から渡された、一般的な「退職時の機密保持誓約書(NDA)」だ。

「加藤、最後にこれだけ。会社のルールだから、退職後の機密保持と、うちの顧客に営業をかけないっていう誓約書にハンコだけ押して。5分で終わるから」

その瞬間。
加藤の完璧な営業スマイルが、ほんの一瞬だけ、ピキッと固まった。
本当に、一瞬だけ。

「あ、これですか。すいません、僕、こういう法的な書類ってちょっと慎重になりたくて……。中身をちゃんと確認したいので、一度持ち帰って、弁護士をやってる知人に相談してから、後後日必ず郵送でもいいですか? 嘘はつきませんから」
加藤の目は真っ直ぐ私を見ていた。

今まで会社に何億もの利益をもたらしてくれたエースだ。最後の1日に、こっちが疑うような態度をとって関係をこじらせたくない。「まあ、加藤なら大丈夫だろう」という甘えがあった。

「分かった。じゃあ、来週中に会社に届くように郵送するように」
「ありがとうございます!本当に感謝しています。お元気で!」
がっちりと握手を交わし、加藤は晴れやかな顔で会社を去っていった。

満額支払われる退職金。笑顔の送別会。100%の円満退職。
……そう思っていた。

【返送されない機密保持誓約書】

1週間経っても、加藤からの郵送物は届かない。
2週間経ち、さすがにおかしいと思って携帯に電話を入れても、プツッと切れて「電波の届かない場所にあるか……」のアナウンスが流れるだけ。LINEを送っても、既読すらつかない。

嫌な予感が確信に変わったのは、彼が辞めてちょうど1ヶ月が経った頃だった。

「社長、大変です……。A社さんも、B社さんも、今月でうちとの契約を解約して、加藤が転職した競合のX社に乗り換えるって言い出しました……!」
担当の後輩が、青い顔をして社長室に飛び込んできた。

A社もB社も、うちの売上の3割を占める最重要クライアントだ。加藤は引き継ぎ資料を完璧に作る裏で、顧客のキーマン全員の首根っこを掴み、転職先へのお土産としてそっくりそのまま持っていったのだ。

怒りで視界が真っ赤になった。裏切られた悔しさと、会社が傾くかもしれない恐怖で、手の震えが止まらない。


私はその足で、顧問弁護士の事務所へ駆け込んだ。
「先生!あいつ、誓約書を出すって約束したのに、出さずにうちの顧客を全部盗んでいきました!今すぐ訴えて、営業を差し止めてください!」


【法律は味方せず】

デスクに拳を叩きつける私を、弁護士は同情するような、でも冷徹な目で見つめ、ため息をついてこう言った。

「新井社長、落ち着いてください。……残念ですが、退職した人間に誓約書のサインを強制する法律上の義務は、この国にはありません。当日にハンコを押させず、書類を『持ち帰らせて』無罪放免で逃がしてしまった時点で、こちらの負けです」

法律上の義務はない。
何もせずに帰した、こちらの負け。
弁護士の言葉が、冷水のように脳天から突き刺さる。

あいつは確信犯だったのだ。最後の日に「持ち帰る」と言えば、私が断れないことを知っていた。最初からサインする気なんて1ミリもなかったのだ。
なぜ、私はあの日の17時に、加藤の胸ぐらを掴んででもハンコを押させることができなかったのか?
いや、そもそも「お願いして押してもらう」という発想自体が、経営者として致命的な間違いだったのだ。

実は、この「当日のサイン拒否」を、相手がネットで仕入れた浅知恵(サインする義務はないという知識)ごと、合法的に、かつ心理的に100%封じ込める『事前の仕込み』があることを、当時の私は知らなかったのだ…

(明日7月2日 21:00公開、#109-2「『裏切り者に払う金はない!』と怒り狂って退職金をゼロにしたら、労基署を連れて逆襲された話」へ続く)


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提唱:先観経営論(PreVisionManagementTheory)
by新井和弘


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