『ひとはなぜ戦争をするのか』「解説 I ヒトと戦争」(養老孟司)を読んで
人間には破壊行動の動機がある。しかし戦争に向かう動機はそれだけではない。フロイトは理想や理念を求める動機、人間愛を求める動機すら戦争に向かわせることを見抜いた。これらは破壊行動の動機を押し留めるどころか、戦争への意志を後押しするのである。
養老氏は解説で、現代、破壊行動の欲動は戦争、暴力、カーチェイスを描いたハリウッド映画を観ることで満たされると説く。フロイトの云う文化による代替の一つで、 攻撃性の欲動は解消される。
しかし一方で、養老氏はアメリカ人が元来破壊することが好きなのだろうと云って、全面的に賛意を示すわけではない。繰り返し流れる暴力の映像は、破壊行動への馴れを生み、戦争への嫌悪感を弱める。テレビ報道で戦場の映像にたびたび接しているうちに、無感覚、無感情になっていく。
興味深いのは、養老氏がフロイトが語らなかったことに着眼したことだ。それはフロイトが精神科医であるため、門外の事に触れなかったことでもある。
ヨーロッパにおける第一次大戦で、数百万もの多くの若者が亡くなったことに言及する。当時、産業革命以降人口が増加したが、社会体制は古いままで職に就けない若者で溢れていた。そこで、軍隊はその受け皿となった。当時の重要な職として、軍隊は存在していた。
軍隊は無尽蔵に肥大する性質を持っている。肥大していけば仕事場が必要になる。軍隊の仕事とは戦争である。そして、戦争の必要を説くために対外的な危機を誇張することになる。戦争のきっかけとなるような事故を起こそうとする人間が現れる。
対外的な危機、どこそこの国が脅威となっていると吹聴し、人を集めて肥大していくのとは逆の流れであるが、この作用は車の両輪として働いているのだろう。
現在は、物価高、経済的な困窮、AIによる仕事の減少によって、若者の仕事を奪いながら、軍隊による人員募集を行い人を集める。というようなことが起こっているかもしれない。日本ではどうだろうか。
終戦の日の今日、戦争に向かうのではないかという危機感と反戦の感覚をもう一度しっかりと握り締める。戦時体制の空気感に鈍感であってはならない。終戦の日はそういうことを自分に言い聞かせる。
