「動物がしゃべっても当然」の理由
今回は箸休めのようなテーマです。
どうでもいいことに興味を持つ私は、ずっと前から、こんなことは誰も思いつかないだろうというような疑問を持っていた。「幼児はなぜ、童話や昔話、アニメなどで動物がしゃべっても不思議に思わないのだろうか」という疑問だ。
しゃべるだけではない。服を着たり道具を使ったりするし、鶴や地蔵にいたっては恩返しをしたりする。私は「2歳児や3歳児でもフィクションと現実の違いを理解しているのだろうか」ともやもやしていた。
3歳とか4歳の幼児から「どうして狸や狐がしゃべるの?」、「浦島太郎はなんで亀と話をできるの?」などと訊かれたことはない。
逆に、現実の日常で、ペットに餌をやった子供が「ありがとうって言いなさい」などと叱るところを見たこともない。やはり、子供とは言えフィクションと現実を区別できるのだろうか、と思う。
記事をお読みの方からは「そりゃそうだろう」という声が聞こえてきそうだ。いや、私だってそう思ってはいるが、ほんとにそうだろうか、ともやもやしてしまうのだ。
こういう問題に国語辞典や百科事典は無力だ。こんなときこそいまをときめくAIの出番だ。人類はAIに支配されてしまうのではないかなどという心配は横へ置き、Geminiに訊いてみた。
その回答のポイントは以下の通り(かなり省略し、漢字の用法や言い回しも自分流に変えています)。
1. 「泛神論(はんしんろん)的思考」
発達心理学のジャン・ピアジェは、子供(だいたい2歳から7歳程度)の世界観を「アニミズム」と定義した。大人は「人間だけが言葉を話し、服を着る」をルールとしているが、子供は「あらゆるものに意思があり、会話や感情がある」がルール。そのため、動物や植物がしゃべっても普通と考える。
2. 心の理論と「心のプロジェクト(投影)」
幼児は「人間と動物の生物学的な違い」を明確に分けられない。自分の外側にある存在を理解するとき、もっとも身近で理解しやすいモデルである自分に当てはめて解釈する。
そのため、自分が服を着て言葉を話し、怒ったり笑ったりする以上、物語の狐や狸も「自分と同じように行動して当然」と解釈する。
3. 現実とフィクションの境界線(物語の〝お約束〟)
子供は物語の世界に入るとき「これはお話の世界だ」という枠組みを直感的に素早く受け入れる。これは、大人が映画や小説に対し、「魔法なんて存在しない」などと否定せず、「フィクションのルール」に乗る(文学用語で『懐疑の自発的停止』)のと同じ。
こんな理論があるとは知らなかった。3つ目の理論では子供にもフィクションの概念があると言っているが、2歳や3歳でもあてはまるのだろうか。そうだとするなら私のもやもやも解消するのだが。
なんにせよ、物事は奥が深い。私には真偽さえわからないが。
身近に子供がいる方は「昔話では動物が人間の言葉でしゃべるけど、変だと思わない?」とか、「お隣りのワンちゃんは、どうしてイソップ童話の犬のようにしゃべらないんだろうね」などと訊いてみるのもおもしろいのではないか。幼稚園児でも「だって作り話だもん」などと答えるだろうけど、幼児ならではのユニークな答えが返ってくるかもしれない。
