「UKRAINE ON FIRE」

オリバー・ストーンが2016年に制作したドキュメント映画「UKRAINE ON FIRE」
ベトナム戦争とそれが人間に与えた影響を描いた「プラトーン」で一躍有名になり、その後、数々の問題作を制作。
この作品の前半ではウクライナ国粋主義者とナチの関係を、後半ではアメリカのウクライナ政治への介入について紹介している。
この作品を理解するためにも、ウクライナ現代史をさかのぼることから始めてみよう。
第二次世界大戦、ナチス・ドイツはソ連に侵攻。ウクライナ西部ではソ連に反感を抱く人々がナチス・ドイツに協力した。
その指導者の一人であるステパン・バンデラは、強烈な反ユダヤ主義者、反共主義者だった。

彼らはナチスの侵攻に全面的に協力。ウクライナ西部でユダヤ人、ポーランド人、ロシア人に対する大規模で残虐なテロリズムを敢行、数十万人を虐殺した。

第二次大戦後、米ソ冷戦構造が激化していく中、アメリカ諜報機関CIAはステパン・バンデラや極右民族主義者らを匿い、逃亡させた。
ソ連に対する「駒」として利用するためだ。彼らは後に「ネオナチ」として姿を現すことになる。

ソ連崩壊後、ウクライナはソビエト連邦から独立した。ウクライナは、旧ソ連の3分の1の産業部門を担い、その経済発展が期待された。
しかし、旧ソ連圏との経済関係は崩れ、無謀な経済改革がウクライナの荒廃をもたらした。経済は3分の1まで落ち込み、欧州の最貧国にまで転落した。
「オリガルヒ(新興財閥)」なる成り上がり者があらわれ、富を収奪していった。
権力構造は腐敗し、混迷状況がもたらされた。こんな時に、CIA(アメリカ)によって保護されていたネオナチが公然と政治の表舞台に復活してくる。

2004年大統領選では、欧米派のユシチェンコと親ロ派のヤヌコヴィッチが争った。
結果的にヤヌコヴィッチが当選するが、それに納得しない群衆が首都キエフにて「オレンジ革命」という名の暴動を起こす。

選挙のやり直しをへて、欧米派のユシチェンコが当選。その直後、ユシチェンコは、なんとあのステパン・バンデラを「ウクライナの英雄」とたたえ、国家勲章を授けている。
ユシチェンコ政権は、主力産業である鉄鋼企業20社あまりを民営化し、欧米の多国籍企業に売却。
インフレ率は急上昇、失業者はあふれ、生活必需品は高騰し、国民生活に打撃を与え産業は低迷していった。
そのため2010年の大統領選では、オレンジ革命で標的となったヤヌコヴィッチ大統領が選出。
しかし、2013年11月にEUとの連合協定の調印を延期したことを契機にして、再び親欧米派の野党やネオナチ集団が暴動を起こし、クーデターに発展。
選挙で合法的に選ばれたはずの大統領ヤヌコヴィッチは、国外に命からがら逃亡する。これが「マイダン革命」という名のクーデター。

西側メディアは「民主化デモ」と肯定的に報じたが、デモ隊には武装した民兵団も入り込み、ライフルを使って市民を狙撃し、それを「ヤヌコヴィッチ政権の犯行」とすることで憎悪キャンペーンを煽った。
2014年春以後、ロシア系住民が多いウクライナ東部では、このクーデターによって樹立されたキエフ政府に反対するデモが活発になる。ドネツク人民共和国が宣言されるまでに至る。
キエフ政府はドネツクに対して反テロ作戦と称して軍事攻撃を加えていった。
8年間で1万4000人の住民が「自分たちの政府」から爆撃をくらい、死んでいった。

2014年「マイダン革命」で成立した親欧米政権は、暴動で大暴れした極右勢力についてとり締まるどころか、むしろ全員に恩赦を与え無罪放免にした。
次のゼレンスキーはドンバスでの戦争を終わらせると約束して大統領に当選したが、ロシア系住民に対する武力攻撃はやむことがなかった。
さらに、NATO加盟まで踏み込んで、ロシアとの衝突に発展していく。

ウクライナ軍の中心となっているのがアゾフ連隊。
「マイダン革命」直後の2014年5月にウクライナ南部マリウポリに設立された民兵組織だ。
卍をアレンジした隊章に見られるように、ナチズムを継承した過激な民族主義を掲げる「ならず者集団」。
親ロシア地域で政権に反抗する住民を弾圧。ドンバス紛争でもロシア系住民の虐殺に関与してきた。

東部2州の「特別自治」を認めて停戦するとしたミンスク合意(2014年9月)後も、米国は対戦車ミサイルなどを大量にウクライナに供与。
さらに1000人規模の軍事顧問をウクライナに派遣し、軍事訓練、武器の供給、指揮系統に至るまでとり仕切っている。

「ネオナチ」どもを囲い、反ロシアを扇動してきたのが米国だった。そこにはCIAの関与があり、ネオコン・ソロス財団の潤沢な資金が流れ込んでいる。

「UKRAINE ON FIRE」は、Youtube でアップロードした動画が次々と消され、またアップロードされ、それがまた封殺されるという「いたちごっこ」が続いた。

まるで作品が世間の目に触れると、ウクライナの真実が透視され、理解と洞察が進んでしまうことを恐れているかのように。
