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歩かない“街道ウォーク”⑧ 蕨市立歴史民俗資料館(蕨宿)

こんにちは、ばーどです。
旧中山道ウォークは2025年10月に美濃国の大井宿で一時中断。その間、通過した宿場や史跡、近隣の資料館を巡る「歩かない“街道ウォーク”」シリーズを載せています。
今回は、旧中山道ウォーク初日に通った蕨宿をその後に再訪した、1年前の記録になります。



1.蕨市立歴史民俗資料館

旧中山道ウォーク初日、江戸・日本橋から大宮宿まで歩いたのは、2025年3月1日(土)。久しぶりの街道ウォークでなかなかペースが上がらず、途中の宿場をゆっくり見る時間もなく進んだ1日でした。(それでもゴールの大宮宿手前で日没)
その1週間後の2025年3月9日(日)、池袋で所用をすませたあとで時間が空いたので、蕨宿本陣跡にあった資料館を再訪しようと埼京線で北上。今冬ではなく、その時の記録になりますが、ここで紹介します。

埼京線戸田駅からシェアサイクルで10分
蕨宿開設四百年記念碑が立つ

蕨宿は、日本橋から二番目、“戸田の渡し”で荒川を渡った次の宿場になります。

“蕨宿の世界”にいざ!
旅籠の入口で旅人の足を洗う
蕨宿の模型 
手前が江戸口 約1kmと長い宿場だ
町並図も細かく描かれている
中央の広い敷地が岡田本陣
本陣の“上の間”と大名の食事
大名の食事の説明書
加賀藩が宿泊した際の関札

関札とは、本陣に宿泊する大名や公家の名前を書いて掲げる木の札。入口に掲げて大名たちの到着を待つのと、ここに〇〇藩が滞在することを、他の大名一行に知らせるという、両面の意味があったと考えられています。

和宮降嫁で江戸に向かう時の休憩の記録
こちらは商家の店先
高札と庚申塚

資料館のすぐ隣には、岡田本陣跡のモニュメントが残されていました。

蕨本陣跡
蕨本陣跡 説明板
大名の滞在記録 西国の大名も来ているのがわかる

2.和樂備神社・氷川神社

中山道や宿場とは全く関係ないトピックスですが、蕨宿のある蕨市は、3つの日本一と1つの記録があります。
①全国の市で、最も面積が狭い。
②全国の市町村で、最も人口密度が高い。
③全国の市町村を五十音順で並べると、最後になる。
④明治22年の町制施行以来、一度も市町村合併を経験していない。
そんなことをWikipediaで読みながら蕨駅まで歩く途中、和樂備神社(わらびじんじゃ)を通ります。

和樂備神社 鳥居と拝殿

この和樂備神社が地名の蕨の由来かと思いきや、その逆でした。
明治の国策により蕨町(当時)内の神社合併を行うときに、なかなか話がまとまらず、数年後にようやく(1社を除き)18社が八幡宮に合併することになったが、今度は合祀後の神社名に“八幡“を取ることは各集落が承服せず、町名の「蕨」を万葉仮名とした「和樂備」としてようやくまとまったとのこと。地名が先で神社名が後、だったようです。

蕨駅から京浜東北線に乗り、1週間前には日没後に到着した大宮宿を再訪。宿場近くにある武蔵國一宮である氷川神社にも参拝してきました。

氷川神社 三の鳥居

かつての古中山道は、この三の鳥居の前を経由していたそうです。

氷川神社 拝殿

以上、思いつきで急遽訪れた、中山道 蕨宿(+α)の記録でした。


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