それでも私は間違っていなかった
#それでも私は間違っていなかった をここまで読んできて、まだ半信半疑かもしれない。本当にそう言い切っていいのだろうか。
「私は、間違っていなかった」と。
がんばってきた。
空気を読んできた。
我慢もしてきた。
やさしさも差し出してきた。
正解を選び、責任を引き受け、一人で踏ん張ってきた。
それでも、報われなかった場面がある。
評価されなかった瞬間がある。
孤独を感じた夜がある。
自分を疑った時間がある。
この事実を前にして、「間違っていなかった」と言うのは簡単ではない。
だが、ここまでの回で見てきたようにあなたが引き受けてきたものの多くは、最初から個人で背負う設計ではなかった。
評価されない仕事。
見えない配慮。
役割の固定。
我慢に依存する構造。
選択を個人責任に押し込む仕組み。
正解しか許さない空気。合わない場所に置かれる配置。
それらは、あなたの内側から生まれた問題ではない。
外にあった構造だ。
それでも、あなたは投げ出さなかった。壊れるまで踏ん張らなかった。
考えることをやめなかった。なんとか意味を見つけようとした。
ちゃんと生きようとしてきた、ということだ。
社会は、結果だけを見る。
途中の調整や、見えない負荷や、選ばなかった可能性にはほとんど目を向けない。
だから、説明が足りなかった人生は「失敗」に見えてしまうかもしれない。だが、それは説明がなかっただけだ。理由が語られてこなかっただけなのだ。
この連載がやってきたのは、慰めでも開き直りでもない。
説明を取り戻すことだった。
なぜ、そうなったのか。なぜ、そうせざるを得なかったのか。
どこに無理があったのか。
それが分かれば、少なくとも自分を壊す必要はなくなる。
これから先同じ場所に戻る必要はない。同じ役割を引き受け続ける必要もない。正解だけを探し続けなくてもいい。
大切なのは「うまくやること」ではなく、「息ができること」だ。
もし、この連載のどこかで胸が少し軽くなった瞬間があったなら、それはあなたの感覚が、間違っていなかった証拠だ。
人生は、あとから意味が変わる。
評価も、配置も、説明も、更新できる。
だから、ここで一度だけ言っておこう。
