思考だって渋滞する
頭が働かないとき、人は自分の頭の性能を疑う。
処理が遅い、容量が小さい、と。
だが高速道路の渋滞を思い出してほしい。渋滞の原因は、車の性能ではない。むしろ一台一台は高性能で、全員が先を急いでいるからこそ、道路は止まる。
あなたの頭が回らないのは、思考が足りないからではなく、多すぎて詰まっているからだ。考えれば考えるほど進まなくなる——これが思考の渋滞である。
渋滞研究の第一人者、東京大学の西成活裕氏が「渋滞学」で明らかにした事実は示唆的だ。
高速道路の渋滞の多くは、事故でも工事でもなく、自然に発生する。
車間距離が詰まりすぎると、一台のわずかなブレーキが後続へ増幅されながら伝わり、誰も悪くないのに流れ全体が止まる。そして解決策は直感に反する。速く走ることではなく、十分な車間を空けてゆっくり走ることが、結果として全体を速くする。
急ぐ個人が全体を遅くし、余白を持つ個人が全体を救う。
この構造は、頭蓋骨の内側でもそのまま成立している。
認知心理学者ジョン・スウェラーの認知負荷理論によれば、人間のワーキングメモリは同時に保持できる情報がごく少数に限られた、極端に細い一車線道路である。
そこへ案件を詰め込めばどうなるか。
スタンフォード大学のオフィールとナスらの研究が答えを出している。
日常的に複数の情報を並行処理するヘビー・マルチタスカーは、課題の切り替えも、無関係な情報の遮断も、むしろ苦手だった。
並行処理の達人は存在せず、存在するのは車線変更を繰り返して全体の流れを乱すドライバーだけなのである。
しかも心理学ではこの車線変更の残骸を「注意残余」と呼ぶ。
前の案件の思考は、次の案件に移っても路上に残り続け、道を塞ぐ。
では、誰の道路がいちばん渋滞しているのか。
流入制限のない道路である。前に述べたメンタル・ロードの研究が示すとおり、家庭の献立、学校の提出物、親の通院、職場の締切といった別種の案件が、一人の頭に合流し続ける人がいる。
厄介なのは、これらが「考え続けること」を期待される案件だという点だ。
心理学者スーザン・ノーレン=ホークセマの一連の研究によれば、問題について繰り返し考える「反芻」は女性に多く見られたが、それは気質である前に学習だった。
悩みに対して即座に行動するより、まず思い悩むことが「思慮深さ」として期待される側は、渋滞を美徳として内面化する。だが彼女のデータは冷徹で、反芻は問題解決能力をむしろ下げ、抑うつを長引かせる。
考え続けることは、考えていることにはならないのだ。
渋滞中の車が、走行中とは呼べないように。
交通政策は三つある。
第一に、流入制限。
高速道路の入口でランプメータリングが行うように、頭への新規案件の合流を絞る。具体的には、心配事も用件もいったん紙に降ろすことだ。
書き出された案件は、路上ではなく駐車場に入る。
ワーキングメモリという本線は、駐車場を持たない設計なのだから、外部に借りるしかない。
第二に、車間距離。
予定と予定、思考と思考のあいだに何もしない余白を入れる。第1回で述べたとおり、ぼんやりする時間に脳は最重要の処理を走らせている。
余白は怠慢ではなく、渋滞学が証明した最速の走法である。
第三に、一車線しかないと認めること。
同時に三つ考えている感覚は、三つの間で車線変更を繰り返している感覚の誤認にすぎない。一件ずつ通せば、結局それがいちばん速い。
頭の中が忙しい人は、有能に見えるし、本人も稼働している実感がある。
だが渋滞した道路ほど騒がしく、燃料を食い、そして進んでいない場所はない。
性能を上げる必要はない。
台数を減らし、車間を空ける。
それだけで、あなたの頭はもともとの速度を取り戻す。
動いていない時間を怖がって詰め込む人が、いちばん長く止まっているのである。
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