普通ってなんだ!?
会議で誰かが言った。
「いや、普通に考えたら、そんなことしないでしょ」
SNSで誰かが書いていた。
「普通に考えて、こんなの非常識だよね?」
家庭で、職場で、ネットの海で、この『呪文』は日々繰り返されている。
けれど、この「普通に考えたら」には、誰もが気づかない大きな落とし穴がある。
まず確認しておきたい。「普通に考える」とは、誰の『普通』なのか?
あなたの育った家庭の『常識』なのか? あなたの属する会社の『文化』だったりするのか? あなたが信じたいだけの『世界観』なのか?
この言葉が使われる場面では、たいてい『自分が当たり前と思っている価値観』が、さも「客観的事実」であるかのように扱われている。
これが「普通に考えたら」の一番の危険性だ。
人は「普通」という言葉を使うことで、自分の立場を隠しながら、相手に圧をかける。
「あなた、おかしいですよ」と直接言わない。でも「普通ならわかるでしょ」と言えば、暗黙の非難になる。結果として、相手は反論しにくくなり、黙らすことに成功してしまう。
これが「普通に考えたら」が地雷ワードである理由だ。
論理ではなく、空気で相手を封じ込めるために使われる。しかもこの言葉がやっかいなのは、本人に悪気がないケースが多い、という点にある。
単なる思いやりのつもりだったり、「当たり前」の基準を共有してると思い込んでいたり、無自覚に、自分の正しさを信じ込んでいたりする。
この「無自覚な構造」こそが、職場のミスコミュニケーションや人間関係のもつれの温床になっているのではないか。
ではどうすれば、この“地雷”を回避できるのか。
答えはシンプルだ。
「普通に考えたら」という言葉を、そっと置き換える。
たとえば「普通」を「私」に置き換えてみる。
「私はこう思ったんだけど、どうだろう?」
「私の経験だとこういうケースが多いかな」
または、限定であると認めてみる。
「これは一つの視点かもしれないけど…」
こうすることで、対話の構造が変わってくる。
相手に選択肢が生まれ、多様な意見が出やすくなり、権威や常識に頼らず、対話が前に進む。
そもそも、「普通」という概念は、構造化された環境の中でしか存在できない幻影だ。
時代が変われば「普通」は変わる。
国が違えば「普通」は通じないし、組織が違えば「普通」は逆転する。
そんな『移ろう基準』を絶対視することが、思考の自由と対話の可能性を奪っていくのではないだろうか。
