今年の目標は楽しく生きる事に決定
今年の目標は、去年より楽しく生きること。
そう書くと、少し力が抜けすぎているように聞こえるかもしれない。もっと高尚な目標があるべきだとか、成長や挑戦がないのはよくないとか、そんな声がどこからともなく聞こえてくる。
だが新年の空気の中で、正直に胸に浮かんだ言葉がそれだったのなら、無理に書き換える必要はない気がする。
去年を振り返ると、多くの人は「よく頑張った」と同時に「あまり楽しくはなかった」と感じている。
成果は出した。役割も果たした。やるべきこともやった。でも、笑った記憶は案外少ない。楽しかった出来事を思い出そうとして、少し考え込んでしまう。そんな一年を過ごした人は、決して少なくないはずだ。
楽しく生きる、という言葉は、どこか軽く扱われがちだ。
努力を放棄することの言い訳のように受け取られることもある。けれど実際には、楽しく生きることのほうが、ずっと難しい。なぜなら、楽しさには他人の評価がほとんど役に立たないからだ。昇進や数字や称賛は分かりやすいが「今日はちょっと気分がよかった」という感覚は、誰にも証明できない。
だから人は、つい楽しくない選択をする。
正しそうな道、評価されそうな行動、あとで説明しやすい生き方。その積み重ねが、気づけば「ちゃんとしているけれど、笑っていない自分」を作り上げてしまう。
去年より楽しく生きる、という目標は、何かを大きく変えることを意味しない。むしろ、小さな違和感に気づくことから始まる。
無理に参加していた集まりを一つ減らす。惰性で見ていた情報から少し距離を置く。理由はないけれど気分が上がることを、あえて優先する。
それだけで、日常の手触りは少し変わる。
楽しい、という感情は、だいたい役に立たないところから生まれる。
生産性は低く、効率も悪い。でも、その無駄の中にこそ、人が生きている実感は宿る。新年早々に、その無駄を切り捨ててしまうのは、少しもったいない。
今年の目標を「去年より楽しく生きること」にすると、不思議な変化が起きる。何かを足さなくてもいいし、達成できたかどうかを厳密に測る必要もない。去年より少し笑っていたら、それで合格だ。
去年より気分のいい朝が一日でも増えたら、それで成功だ。
正月は、何者かになる計画を立てる季節だと言われる。
だが同時に、自分を取り戻すための時間でもある。楽しく生きる、という一見あいまいな目標は、そのためのちょうどいい羅針盤になる。
遠くまで導いてはくれないが、少なくとも自分から離れすぎない方向は示してくれる。
今年が終わるころ「何を成し遂げたか」を思い出せなくてもいい。
「意外と楽しかったな」と、ぼんやり思えたなら、その一年は悪くなかったはずだ。新年の目標として、それくらいの余白があってもいい。
むしろその余白こそが、一年をちゃんと生きるための土台になる。
