なまはげが残るなか、消えたものの話
男鹿は、いい街になっていた。
二十年ぶりに帰った故郷は、僕がいた頃よりずっと賑わっていた。中心部には活気があり、若い人の姿もあった。寂れて、にっちもさっちもいかなかったかつてを思えば、これは素直に喜ばしいことだ。人がいて、街に賑わいがある。その状態の方がいいに決まっている。
観光地化というものを、僕は基本的に、肯定している。
もちろん、寂しさがなかったとは言わない。馴染みのスーパーは潰れ、見知った風景は変わっていた。けれどそれは、「僕の知っていた街が消えた」という、ただ個人的な物寂しさにすぎない。
僕がいなくなった二十年のあいだに街が前へ進んだのなら、それは祝うべきことだ。自分の郷愁を、街の損失とすり替えるわけにはいかない。フラットに見れば、答えははっきりしている。賑わいの方が、いい。
ただ、街というものは、観光地化したか、寂れたか、の二つに割り切れるものではない。
実際には、もっとなだらかなグラデーションの中にある。男鹿にしても、中心部が賑わう一方で、僕が住んでいた周辺は、スーパーが潰れ、静かに寂れていた。
一つの街の中に、賑わいと衰退が同居している。
以前に訪れた弘前もそうだった。観光ルートの表通りは整えられているのに、一本裏の路地に入れば、時間が止まったような風景がある。どの街も、どこかが栄え、どこかが置いていかれる。きれいに白黒のつくものではない。
では、街の良し悪しは、何で測ればいいのだろう。
最近、二つの基準があるのではないかと考えるようになった。
一つは、その土地の良さを、そこに住む人自身が肯定できているか。
もう一つは、外から「訪れる価値がある」と思われているか。
この二つは、どちらか片方では足りない。住む人が誇りを持っていても、外から価値を見出されなければ、街は静かに寂れていく。逆に、外から評価されても、住む人が自分の街を好きになれなければ、その賑わいはどこか空疎なものになる。内側からの肯定と、外側からのまなざし。その両方が噛み合ったとき、街は生き生きとしてくる。男鹿が魅力的になったのは、たぶん、その二つが噛み合いはじめたからだ。
ここまでは、いい。観光地化を、僕は肯定できる。
けれど、この物差しからこぼれ落ちるものが、ひとつある。
土着の文化だ。その土地に、ただ昔から在っただけの、人の手であえて磨かれたわけではない信仰や習わし。それらは、観光的な価値に翻訳できたものだけが生き残っていく。
なまはげは、残った。あの異形の来訪神は、全国的に知られた存在だったからこそ、外から来た人にも「価値あるもの」として受け入れられ、観光資源として街に組み込まれた。けれど、もしなまはげに知名度がなかったら。ただの、その地域だけの奇妙な風習だったとしたら。はたして残っただろうか。
外から訪れる価値に翻訳できた文化は、磨かれ、守られ、ときに蘇る。翻訳できなかった文化は、誰に惜しまれることもなく、静かに消えていく。観光地化が街を肯定するとき、その肯定は、外のまなざしに耐えうるものだけを選び取っている。選ばれなかったものはただ消えていくのではないか。
もっとも、これは観光地化だけのせいではないだろう。外からの力がなくても、若い世代が古い信仰を必要としなくなれば、文化は途絶える。時代が移れば、いらなくなるものは出てくる。
それは、仕方のないことなのかもしれない。
賑わいが戻ることを、僕は喜ぶ。街が前に進むことを、いいことだと思う。その気持ちに嘘はない。ただ、その進み方の傍らで、誰の観光資源にもなれなかった何かが、名前も呼ばれないまま消えていく。
その事実だけは、どうしても、軽く流すことができないでいる。
街は、よくなった。よくなったのだ。けれど、よくなるということは、何かを選び、何かを選ばないということでもあるらしい。
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