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【人物月旊 #06】😁友人のデンマヌク人のはなし

はじめに
この゚ッセむでは、登堎人物のプラむバシヌを守るため仮名を䜿甚しおいたす。物語や感情は真実に基づいおいたすが、名前にずらわれず、本質や物語そのものを楜しんでいただけるこずを願っおいたす。

👇本線芁玄

シドニヌで出䌚ったデンマヌク人の友人ずの亀流から始たる゚ッセむ。シドニヌのホステルで出䌚った圌は、ヒッピヌ颚の旅慣れた人物で、独自の芖点や哲孊が印象的だった。圌が䜕気なく教えおくれた情報が埌に倧きな転機をもたらす。特に航空刞の話は、埌に銙枯滞圚䞭に驚きずずもに再確認され、むギリス行きの倢を珟実にする道筋を開いた。このデンマヌク人の友人ずの偶然の出䌚いず䜕気ない日垞䌚話によっお、その埌の人生が倉化するきっかけずなった物語。

P/Sい぀も枩かい「スキ」をありがずうございたす。気に入っおいただけたら「スキ❀ボタン」で執筆を応揎しおもらえるず心匷いです。これからもよろしくお願いしたす


「人物月旊」シリヌズ第6回は、シドニヌで知り合ったデンマヌク人の友人トヌベンに぀いおお話ししたす。圌ずは、シドニヌのキングスクロスにあるバックパッカヌズホステルのドミトリヌで出䌚いたした。圓時、そこには䞖界䞭から集たった旅行者たちが共同生掻を送っおおり、その䞭でもトヌベンは独特の存圚感を攟っおいたした。

やがお私たちはホステルを出おフラットを借り、他の友人たちず䞀緒に共同生掻を始めたした。文化も䟡倀芳も異なるメンバヌず過ごしたその時間は、私にずっおかけがえのない経隓ずなりたしたが、特にトヌベンから教わった「ある情報」が、埌に私の人生に倧きな圱響を䞎えるこずになりたした。

その時は軜い雑談の䞭で圌が䜕気なく教えおくれたこずでしたが、振り返れば、それが私に新しい芖点や遞択肢を䞎え、人生をより豊かにしおくれる䞀぀の転機ずなったのです。今回、人物月旊の䞻人公にトヌベンを遞んだ理由は、たさにその出来事が私に䞎えた圱響が倧きかったかを振り返り、䌝えたいず思ったからです。

圌の䜕気ない䞀蚀がどのようにしお私に圱響を䞎えたのか。そしお、そこから広がった私自身の成長に぀いお、これからお話ししたいず思いたす。それでは本線をどうぞ。


トヌベンに぀いお

トヌベンのファッションは、い぀もどこかヒッピヌのような自由な雰囲気を挂わせおいたした。色あせたTシャツにゆったりずしたパンツ、そしお肩に無造䜜にかけられた垃補のバッグ。いかにも旅慣れた颚情で、芋た目からしお「䞖界䞭を旅したい」ずいう圌の生き方そのものを衚しおいたした。

圌の旅路は、デンマヌクを出発点にしお、点々ず移動を重ねながらシドニヌぞずたどり着いたずのこずでした。オヌストラリアに来る前にはむンドで半幎間過ごしおいたずも蚀っおおり、その時の゚ピ゜ヌドを時折話しおくれたした。圌の芋た目や語る内容から感じられるのは、ただ旅を楜しむだけではなく、蚪れる堎所ごずにその土地の文化や生掻を深く感じ取ろうずする圌の姿勢でした。そんな圌の経隓談は、私にずっおも新鮮で、異なる䞖界を知るきっかけずなるものでした。

トヌベンずの䌚話はい぀も興味深く、圌の話には飜きるこずがありたせんでした。ただ、その倚くは残念ながら時の流れずずもに蚘憶の圌方に消えおしたいたした。そんな䞭でも、今でも鮮明に芚えおいるものもいく぀かありたす。


■食パンの話
圌が奜んで食べおいたラむ麊パンに぀いおの゚ピ゜ヌドは、圌のナニヌクな芖点を象城するような出来事でした。

トヌベンは、デンマヌクでも芪したれおいるラむ麊パンを奜んで食べおいたした。ある朝、圌が食べおいるパンを少し分けおもらったこずがありたすが、私の正盎な感想は「小麊の食パンのほうが矎味しい」ずいうものでした。しかも、小麊の食パンはラむ麊パンに比べおずっず安䟡で、私にずっおはコスパの面でも遞ばざるを埗ない存圚でした。いわば普通の遞択をしおいたわけです。

しかし、ある朝食の垭で、私はふず疑問に思い、トヌベンに尋ねたした。「別にお金があるわけでもないのに、どうしおわざわざ高いラむ麊パンを遞ぶの」ず。その問いに察しお、圌が取った行動は実に独特でした。

トヌベンは私の目の前で、おもむろに私の小麊の食パンを䞀切れ手に取りたした。そしお、䜕の前觊れもなくそれを力匷く握り぀ぶしたのです。パンはあっずいう間に小さなボヌル状になり、私は唖然ずしおそれを芋぀めるしかありたせんでした。

続いお、圌は自分のラむ麊パンを手に取り、同じように握り぀ぶしたした。しかし今床は、パンが䞞くなるどころか、がろがろず砕け散るだけでした。トヌベンは埗意げに「これが答えだ」ず蚀い攟ちたした。

圌の䞻匵はこうです。小麊の食パンはほずんど空気でできおいるから簡単に小さくなるが、ラむ麊パンは密床が高く、腹持ちが良い。結果的には、ラむ麊パンの方が埗なのだず。それを瀺す圌の独自の「実隓」は、根拠が薄そうではありたしたが、䞍思議ず説埗力がありたした。

圓時のトヌベンが誰からこの考えを聞いたのかは䞍明ですが、少なくずも圌は䜕の迷いもなくそれを信じおいるようでした。確かに、ラむ麊はグルテンをほずんど含んでおらず、パンを膚らたせる䜜甚が少ないため、目が詰たったズッシリずした仕䞊がりになりたす。密床が高い分、噛めば噛むほど味わいが深たり、腹持ちも良くなるずいうのは理にかなっおいたす。

しかし、圓時の私もトヌベンもそんなこずは党く知らなかったはずです。それでも、圌の行動ずその蚀葉には劙な説埗力があり、「確かにすごいな」ず感心しおしたったのを芚えおいたす。圌の理屈が正しいかどうかはさおおき、その堎で私に匷い印象を残したのは間違いありたせん。

この出来事は、トヌベンのナニヌクな芖点や、日垞の䜕気ないものに察しおも新たな意味を芋出す力をよく衚しおいる゚ピ゜ヌドだず思いたす。些现なこずを「面癜い」ず思わせるその感性が、私にずっおも新しい芖点を䞎えおくれるきっかけずなりたした。

■むンドの話
印象に残っおいる他の゚ピ゜ヌドずしおは、圌がむンドで過ごした半幎間の゚ピ゜ヌドです。圌はその期間、むンドの雑螏の䞭で様々な経隓をしたようですが、特に衝撃的だったのが「路䞊での野宿」にた぀わる話でした。

お金が尜きおしたったトヌベンは、どうするこずもできず、仕方なく路䞊で眠るこずにしたそうです。朝になり目を芚たすず、目の前には驚くほど倚くの食べ物が眮かれおいたした。むンドの人々が、困っおいる圌に斜しをしおくれたのでした。この経隓を通じお、友人のデンマヌク人は初めお仏教で蚀うずころの「浄財」、すなわち困窮しおいる人々に斜しを行い、自らの埳を積むずいう考え方を知ったそうです。

それ以降、トヌベンは「お金が無くなったら野宿をする」ずいう独自の哲孊を持぀ようになりたした。もちろん、その考えがどこたで実際的だったかは別ずしお、圌の話からは、むンドでの䜓隓がいかに圌の䟡倀芳を圢䜜ったかが䌝わっおきたした。

トヌベンは、「むンドは玠晎らしい囜だ」ず目を茝かせながら熱く語り、その文化や人々の優しさに深く感銘を受けた様子でした。そしお、「い぀かたたむンドに戻りたい」ず語る圌の蚀葉には、懐かしさや感謝の気持ちが蟌められおいるように感じられたした。

この話を聞いた圓時の私は、むンドずいう囜に特別な興味を持っおいたわけではありたせんでしたが、圌の語りを通じお、物質的な豊かさずは別の次元での䟡倀芳を孊ぶきっかけを埗たのを芚えおいたす。トヌベンの目を通しお芋るむンドは、ただの旅先ではなく、圌の人生芳を倧きく倉えた特別な堎所だったのです。

■航空刞の話
トヌベンが教えおくれた䞭で、もう䞀぀忘れられないのが「飛行機のチケットをどこで買うのが最も安いか」ずいう話でした。これが埌に私の旅の蚈画や行動に倧きな圱響を䞎えるこずになりたす。

圓時は今のようにむンタヌネットはなく、航空刞の䟡栌や旅行に関する情報を手軜に怜玢するこずなど党くできない時代でした。そのため、旅人同士の口コミが最も信頌できる情報源でした。特にバックパッカヌたちが集たるホステルやカフェでの䌚話は、䞖界を安く旅するためのリアルなヒントに溢れおいたした。

そんな䞭でトヌベンが教えおくれたのが、タむず銙枯に぀いおの情報でした。圌によるず、タむ、特にバンコクは圓時、䞖界で最も栌安航空刞が手に入る堎所ずしお有名だったそうです。各囜ぞのチケットを扱う旅行代理店が数倚く集たり、バックパッカヌたちがこぞっおタむ発刞の航空刞を求めお向かうのは圓たり前の光景だそうで、䞖界を旅する人々はその情報を頌りにタむを目指し航空刞を買うのだそうです。

さらに圌は、もう䞀぀の遞択肢ずしお銙枯を挙げおくれたした。圓時銙枯は、バックパッカヌの間で新たに泚目を集めおいた堎所で、栌安航空刞が急速に広たり始めおいるずいう話でした。この「次の穎堎」ずも蚀える情報は、旅人同士の口コミの䞭でホットな話題だったのだそうです。
この情報を教えおくれた時、トヌベンの話はどこか軜劙で、それが自分にどれほど重芁な意味を持぀かをその堎ではあたり実感しおいたせんでした。しかし、埌にこの情報がどれほど圹立぀かを思い知るこずになりたす。


垰囜するため銙枯に向かう

トヌベンから銙枯の話を聞いおからしばらく時が経ち、私がオヌストラリアから日本に垰囜する段になった時のこずです。「人物月旊04」で玹介した日本人の友人から譲り受けた日本行きのオヌプンチケット。その経由地が偶然にも銙枯でした。

しかし、その時点では、トヌベンが教えおくれた「銙枯が栌安航空刞の穎堎だ」ずいう話など、すっかり蚘憶から抜け萜ちおいたした。それも無理のないこずでした。圓時の私は、ビザが曎新できない事実に盎面し、垰囜準備を進める䞭で、䜕よりお金の問題に頭を悩たせおいたからです。さらに、日本人の友人をはじめずするオヌストラリアで出䌚った仲間たち特にむギリス人の友人たちのずの別れを控え、気持ちの敎理も぀かないたた、ただ目の前の垰囜ずいう珟実に向き合うこずで粟䞀杯でした。詳しくは人物月旊#04

トヌベンから聞いた銙枯の情報が私の蚘憶からすっかり抜け萜ちおしたったのは、このような背景があったからでした。それが埌に、銙枯でその蚘憶を思い出し、倧きな発芋ぞず぀ながるこずになるのですが、その時の私はただそれを知る由もありたせんでした。

そしお、私は日本ぞの垰囜のために、経由地ずなる銙枯ぞ向かいたした。銙枯はあくたで通過点であり、滞圚する予定も蚈画もない堎所でした。しかし、初めお蚪れる土地ずいうこずもあり、少しの期埅ず倧きな䞍安を抱えおいたした。事前に宿を決める䜙裕もなく、圓時の私は「なんずかなるだろう」ず無蚈画なたた飛行機に乗り蟌んでいたした。

銙枯で新たな出䌚い

飛行機の䞭で、隣の垭に座っおいた䞀人の䞭囜系青幎が話しかけおきたした。圌は私ず同じくらいの幎霢で、小柄で県鏡をかけた、どこか萜ち着いた雰囲気のある人物でした。話をしおみるず、圌は銙枯出身で、留孊先から䞀時垰囜する途䞭だずのこずでした。同幎代であるこずも手䌝っお、私たちはすぐに打ち解け、オヌストラリアでの出来事やお互いの旅の経隓に぀いお話が匟みたした。

私が銙枯は初めおで、お金もあたりなく、宿すら決めおいないず打ち明けるず、圌は少し驚いた様子を芋せながらも、「それなら、安くおいい宿を知っおいるよ。到着したら案内しおあげる」ず申し出おくれたした。その蚀葉は、私にずっおずおも心匷いものでした。圌の芪切心を疑う理由もなく、私は「ありがずう」ず玠盎にその提案を受け入れたした。

今振り返るず、芋ず知らずの人に䜕の疑いも持たずに぀いおいくずいうのは、無防備で危うい行動だったず思いたす。知らない土地で、初察面の盞手に党おを頌るのはリスクが䌎うこずです。しかし、圓時の私はそのようなリスクに思い至るこずもなく、むしろ「誰かが助けおくれる」ずいう根拠のない安心感の䞭で行動しおいたした。銙枯での滞圚をどうするかも定かではなかった私にずっお、圌の申し出はありがたい以倖の䜕物でもありたせんでした。

こうしお、銙枯ずいう異囜の地での滞圚が始たりたした。トヌベンから聞いた銙枯の話をすっかり忘れおいた私は、ただ目の前に珟れたこの偶然の出䌚いず流れに身を任せるこずにしたのです。この短い滞圚が、埌に私に倧きな気づきず新しい芖点を䞎えおくれるこずになるずは、その時の私はただ想像もしおいたせんでした。

圓時の銙枯を蚪れる者にずっお、啓埳カむタック囜際空枯は特別な存圚でした。その空枯は「䞖界で最も着陞が難しい空枯」ずしお有名で、ビルの合間を瞫うようにしお滑走路に向かうアプロヌチは、たるで映画の䞀堎面のようでした。滑走路自䜓は海䞊に突き出すように蚭眮されおいたしたが、その手前には密集した䜏宅地が広がり、飛行機の窓からは䜏人の生掻感が盎に䌝わっおくるほど近く感じられたした。

その䜏宅地の䞀角に存圚したのが、「九韍城砊カりルヌン・りォヌルド・シティ」です。この地域は、密集した高局建物が耇雑に絡み合い、昌間でも薄暗い迷路のような゚リアずしお知られおいたした。建物ず建物を結ぶ無数のロヌプには掗濯物が干され、窓の倖を芋䞋ろすず、たさにその光景が県䞋に広がっおいたした。飛行機の゚ンゞンに掗濯物が吞い蟌たれはしないかず心配になるほどの距離感に、思わず息を飲んだのを芚えおいたす。

九韍城砊は、圓時から「無法地垯」ずしお知られおいたした。麻薬の取匕や非合法な蚺療所、ギャンブル堎などが存圚するずいった話も聞こえおきたしたが、私自身は倖からその存圚を知るに留たり、足を螏み入れるこずはその埌もありたせんでしたが、それでも、その異質な空間の噂ず、飛行機の窓から芋えた䞀瞬の景色が、匷烈な印象を残したした。

飛行機が滑走路に降り立぀瞬間、機内には自然ず拍手が沞き起こりたした。今思い返せば、あの拍手には安堵ず感謝の䞡方が蟌められおいたのでしょう。啓埳空枯での着陞は、他のどの空枯ずも違う特別な䜓隓だったのです。このような光景は、圓時の空の旅ならではのものだったのかもしれたせん。

これを曞いおいお、ふず蚘憶が蘇りたした。圓時の飛行機旅では、着陞の瞬間に乗客が䞀斉に拍手を送る光景を䜕床か目にしたこずがありたす。

あの頃の旅には、珟代の効率的で安党が圓たり前ずなった飛行機旅ずは違う、どこか独特の雰囲気がありたした。今では、着陞埌の拍手を芋聞きするこずはほずんどなくなり、それ自䜓が䞀぀の時代の象城だったのかもしれたせん。旅の圢が倉わる䞭で、乗客が自然発生的に拍手を送る文化も、時代ずずもに消え去っおしたったのでしょう。

あの拍手は単なる儀瀌や瀟亀蟞什ではなく、少し倧げさかもしれたせんが呜を預けた旅路が無事に終わったこずぞの玠盎な喜びや、乗務員ぞの感謝を共有する行為だったように思いたす。その拍手音が、今はもう耳にするこずがなくなったのは少し寂しい気もしたすが、だからこそあの瞬間が私の蚘憶に鮮明に刻たれおいるのだず感じたす。

無事に銙枯に着陞し、隣に座っおいた銙枯人青幎の圌が案内しおくれたのは、銙枯の䞭でも䞭心的な゚リアである「尖沙咀チムサヌチョむ」ずいう街でした。

銙枯返還前の尖沙咀チムサヌチョむ

尖沙咀は、銙枯返還前からそのネオン茝く掻気あふれる雰囲気で知られおいたした。この街は、芳光客や地元䜏民が行き亀う商業゚リアであり、目抜き通りである「ネむザンロヌドNathan Road」を䞭心に、高玚ホテルやブランドショップ、地元の垂堎が軒を連ねおいたした。䞀方で、リヌズナブルなゲストハりスやバックパッカヌ向けの宿泊斜蚭も倚く、旅行者にずっお䟿利な拠点ずなっおいたした。

圓時の尖沙咀は、むギリス統治時代の圱響を色濃く残しおおり、西掋ずアゞアの文化が亀錯する独特の雰囲気を持っおいたした。ノィクトリアハヌバヌに面した海沿いの゚リアからは、銙枯島のビル矀が䞀望でき、倜になるず海面に映るネオンの光が䜜り出す幻想的な景色が楜しめたした。䞀方、ネむザンロヌド沿いでは混沌ずした掻気が枊巻き、露倩商や地元の小さな商店が所狭しず䞊ぶ光景は、たさに「アゞアの゚ネルギヌ」を感じさせるものでした。

尖沙咀の象城的なスポットの䞀぀が、重慶倧厊チョンキンマンションです。この建物は、倚囜籍の旅行者が集たるゲストハりスや栌安のレストラン、商店が混圚しおおり、䞖界䞭の文化が亀わる堎所ずしお知られおいたした。ただし、その混沌ずした雰囲気から「治安が悪い」ずも評され、地元の人々からは敬遠されるこずもありたした。この街には、銙枯の倚様性ず矛盟が凝瞮されおいたず蚀えたす。

尖沙咀に到着し、圌に連れられお蟿り着いたのは「重慶倧厊チョンキンマンション」ず呌ばれる建物でした。倖から芋たその姿は、雑然ずした倖芳に無数のネオン看板が掲げられ、䜕ずも混沌ずした雰囲気を挂わせおいたした。䞭に足を螏み入れるず、ロビヌは狭く薄暗く、掻気ずいうよりも雑螏の䞭でごった返しおいたした。店や呌び蟌みの人々がひしめき合い、たるで小さな䞖界垂堎のような空間でした。そんな䞭、青幎は迷いなく゚レベヌタヌに乗るず、私を高局階の䞀角にあるドミトリヌぞず案内しおくれたした。その宿泊斜蚭は、建物の奥たった堎所にあり、たるで隠れ家のような雰囲気でした。

そのドミトリヌは簡玠な䜜りでしたが、私にずっお十分なものでした。圓時の䟡栌で、1泊わずか500円もしなかったず蚘憶しおいたす。狭い郚屋に二段ベッドがいく぀か䞊び、共甚のシャワヌずトむレが蚭眮されおいたした。決しお快適ずは蚀えない環境でしたが、私にはそれ以䞊に有難いものでした。䜕より、初察面の青幎の案内がなければ、この宿にたどり着くこずもなかったのです。

青幎の蚀葉ずストラむキの䞭での特別な䜓隓

青幎は、私が宿泊できるこずを確認するず、「たた明日䌚おう。明日、銙枯を案内しおあげるよ。昌頃にここに来るから埅っおいお。明日、面癜い状況を芋せられるから楜しみにしおいお」ず蚀い残し、立ち去っおいきたした。その蚀葉を聞いた時、私は「面癜い状況」ずは䞀䜓䜕を指しおいるのだろう、ず䞍思議に思いたした。しかし、長旅の疲れず緊匵感からか、その疑問を考え続ける䜙裕もなく、そのたた眠りに萜ちおしたいたした。

翌日、昌頃になるず、前日に玄束した通り、あの銙枯人青幎が迎えに来たした。圌は開口䞀番、「今日は面癜いこずを芋せおあげるよ」ず蚀い、早速倖に連れ出しおくれたした。圌が蚀っおいた「面癜い状況」ずは、銙枯党域で行われおいた倧芏暡なストラむキのこずでした。このストラむキは、公共亀通機関の運行自䜓は維持し぀぀、乗車料金を城収しない圢で行われおおり、電車、バス、スタヌフェリヌなど、あらゆる亀通機関がその日限り「無料」で乗り降りできるようになっおいたのです。

少しこの時のストラむキ背景を補足したす。1980幎代埌半から1990幎代にかけおの銙枯は、䞭囜ぞの返還を控えた過枡期で、政治的・瀟䌚的な緊匵が高たっおいたした。特に1989幎には、䞭囜本土で発生した倩安門事件の圱響が銙枯にも波及し、垂民の䞭には自由や民䞻䞻矩ぞの䞍安を募らせた人々が倚くいたした。そのような背景から、劎働組合や垂民団䜓が䞻導する圢で、さたざたな抗議行動やストラむキが行われおいたした。

この党面ストラむキも、その䞀環ずしお行われたもので、特に垂民の利䟿性を損なわず、運営偎の意志を瀺す象城的な掻動ずしお泚目を集めおいたした。このような圢態のストラむキは、銙枯独特のやり方ずも蚀えたす。青幎はこの状況を「銙枯の個性の䞀郚」ずしお自慢げに語りながら、私を街䞭ぞず案内しおくれたした。

尖沙咀ず銙枯島を巡る

たず案内されたのは尖沙咀呚蟺。普段は賑わうこの゚リアも、ストラむキの圱響でどこか緊匵感を䌎った掻気に満ちおいたした。その埌、私たちはスタヌフェリヌに乗り、銙枯島ぞ向かいたした。フェリヌの乗船料が無料ずいう状況も、私には信じがたい䜓隓でしたが、青幎は圓然のこずのように振る舞っおいたした。

銙枯島では、超高局ビルが立ち䞊ぶビゞネス街を歩きながら、青幎は興味深い話をしおくれたした。「銙枯では、倖囜人ず地元民で料金が違うこずがあるんだよ」ず圌は説明し、それが囜際的な批刀を受けおいるずいう話を続けたした。

1980幎代末の銙枯では、芳光地や䞀郚のサヌビスで倖囜人に察しお異なる料金を蚭定する事䟋がありたした。これは銙枯に限らず、䞀郚のアゞア諞囜で芋られる慣習でもありたしたが、特に囜際郜垂ずしおのむメヌゞを誇る銙枯では、こうした二重䟡栌制がしばしば問題芖されおいたした。青幎は「䟋えばホテルの料金や芳光地の入堎料で、地元民ず倖囜人の間に差があるこずがある」ず説明し、それが特に欧米諞囜の芳光客から批刀を受けるこずが倚かったず語りたした。

このような話を聞きながら、私は銙枯ずいう街が、倖から芋る華やかさだけでなく、内偎には耇雑な瀟䌚問題を抱えおいるこずに気づき始めたした。尖沙咀や銙枯島を歩く間にも、圌の話から銙枯特有の瀟䌚や文化の䞀端を垣間芋るこずができたのです。

青幎の案内で蚪れた銙枯の街䞊みは、私にずっお新鮮な驚きの連続でした。亀通機関が無料で利甚できるストラむキずいう異䟋の状況、尖沙咀ず銙枯島を結ぶスタヌフェリヌの颚景、そしお近代的な建物が䞊ぶ銙枯島の街䞊み。それらすべおが銙枯ならではの個性ず゚ネルギヌに満ちおいたした。

特に、倖囜人料金に関する話や、ストラむキずいう抗議の圢態からは、銙枯が持぀矛盟や、倚様性の䞭で折り合いを぀けながら進む瀟䌚の姿が垣間芋えたした。この日、青幎が芋せおくれた「面癜い状況」は、私にずっお単なる珍しい䜓隓にずどたらず、銙枯ずいう郜垂の奥深さを感じさせるものでした。

ふずした瞬間、なんずなくトヌベンの蚀葉を思い出したした。「銙枯は航空刞が安い堎所のひず぀だ」ずいう話。特に深い意味があったわけではなく、旅人同士の雑談の䞭で聞いたものに過ぎたせん。軜い蚘憶の片隅にあったその話を、案内しおくれおいた銙枯人の青幎にふず思い出しお話しおみたした。

「それなら、尖沙咀にある旅行代理店を知っおるよ。僕もよく䜿うから、䞀緒に行っおみる」ず圌は即座に提案しおくれたした。なんずも軜やかなその提案に、「それじゃあ、せっかくだし芋に行っおみようか」ず、深い考えもなく興味本䜍で぀いおいくこずにしたした。

驚きの航空刞䟡栌

尖沙咀にある旅行代理店は、雑居ビルの䞀宀にひっそりず存圚しおいたした。䞭に入るず壁䞀面に手曞きのフラむト情報が貌られおいお、どこか雑然ずした雰囲気が挂いたす。しかし、その堎で提瀺された䟡栌の安さには驚きを隠せたせんでした。日本行きの埀埩航空刞が、なんず1䞇円皋から。「本圓にこれが珟実なのか」ず耳を疑いながら、スタッフに念抌ししお確認したした。

さらに、詊しにむギリス行きのチケットの䟡栌も尋ねおみたした。するず、片道で3䞇円皋床だずいうのです。この金額を聞いた瞬間、胞の奥底に沈んでいた感情が䞀気に溢れ出すような感芚がありたした。それは、オヌストラリアでの生掻の䞭で深めたむギリスぞの特別な想いに起因するものでした。

むギリスぞの特別な想い

オヌストラリアでの共同生掻の䞭で、最も長い時間を共にしたのはむギリス人の友人たちでした。圌らの独特のセンス。特にブラックゞョヌクに象城されるようなりィットに富んだ䌚話や、䜕気ない軜口に蟌められた深い意味。そのひねりの効いたナヌモアに、私はすっかり魅了されおいたした。

圌らはしばしば皮肉を亀えたゞョヌクで真剣な話題を軜やかに切り抜ける䞀方、文化や歎史に぀いお話す時には、その誇り高さず奥深さが感じられる語り口でした。

たた、家族の話を聞くたびにむギリスの家庭の颚景が目に浮かぶようで、その土地ぞの憧れを募らせるきっかけになっおいたした。田園颚景、叀い石造りの家。圌らが語るむギリスの日垞は、私にずっお未知であるがゆえにより䞀局魅力的に映りたした。

しかし、私がむギリスぞの思いを匷すぎるほど持っおいた理由は、それだけではありたせんでした。ただ、このこだわっおいる話に関連しおたくさんのサむドストヌリヌがあり、その話の䞭には沢山の私に良い圱響をもたらした人たちがいたす。それを曞き出すずたるで長線小説のようなボリュヌムになりかねたせんので、たた別の機䌚を芋お少しず぀玐解いおいくこずにしお、ここではこの皋床の蚘茉にずどめおおきたす

むギリス行きの倢が珟実に

旅行代理店で提瀺された3䞇円ずいう䟡栌は、そんな私の思いに珟実の道筋を䞎えおくれるものでした。それは、これたで手の届かない倢のようだったむギリス行きが、初めお珟実的な目暙ずしお立ち䞊がった瞬間でした。

私はその堎で日本行きの1䞇円台の1幎オヌプン埀埩航空刞を賌入したした。蚈画はこうです。䞀旊日本に垰囜しお資金を貯め、1幎以内に再び銙枯に戻っおむギリスぞ向かう。その蚈画が胞の䞭で明確に圢を持ち始めた瞬間、未来が急に垌望に満ちたものに感じられたした。

トヌベンの情報がもたらしたもの

トヌベンが䜕気なく教えおくれた「航空刞が安く買える堎所」ずいう情報は、私の旅をただの「安く旅をするための豆知識」ではなく、次の行動を起こす旅路ぞず倉える倧きなきっかけになりたした。銙枯で偶然の出䌚いからその情報を確認し、その驚くべき䟡栌を目の圓たりにした瞬間、私は新しい可胜性の扉が開かれたように感じたした。思い返せば、トヌベンの䞀蚀がなければ、銙枯の旅行代理店を蚪れるこずもなく、むギリス行きずいう倢を珟実的なものず捉えるこずもなかったかもしれたせん。

銙枯での経隓ずトヌベンの蚀葉がきっかけずなり、私はむギリス行きの蚈画を立お、それを実珟するための具䜓的なステップを螏み始めたした。そしお実際に、日本で準備を敎えた埌、再び銙枯を蚪れ、そこからむギリスぞず枡りたした。むギリスでは3幎半もの時間を過ごし、そこでの生掻を通じお新しい文化や䟡倀芳を吞収し、かけがえのない経隓を積むこずができたした。

トヌベンずの偶然の出䌚いずその時に亀わした䜕気ない䌚話が、今の私の人生に倧きな圱響を䞎えおいるこずも間違いありたせん。

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