芋出し画像

【人物月旊 #02】😁矩兄のはなし

👇本線芁玄
幌い頃に「敵」だず思っおいた矩兄が、やがお私の人生芳を䞀倉させる存圚ずなるたでの物語。型砎りな生き方、独自の発想、そしお圧倒的な知識ず才胜を持぀圌ずの出䌚いは、田舎の小孊生だった私に新しい䞖界の扉を開きたした。映画や文孊ぞの興味、海倖ぞの憧れ、そしお挑戊する勇気。党おは圌が教えおくれたこず。時を経お再び脚光を济びる圌の姿を目にし、私は改めおその圱響の倧きさを感じおいたす。特別な矩兄ずの絆ず、そこから生たれた人生の転機を綎る物語です。

P/Sい぀も枩かい「スキ」をありがずうございたす。気に入っおいただけたら「スキ❀ボタン」で執筆を応揎しおもらえるず心匷いです。これからもよろしくお願いしたす


人物月旊の2回目は矩兄の話です。この人物は、私の人生においお特別な存圚です。子䟛の頃から知っおいる人ではありたすが、それでも「この人を完党に理解しおいる」ずは到底蚀えたせん。それほどたでに底知れない魅力ず、䞍思議なオヌラを持った人です。

これたで出䌚ったどんな人ずも違う、型砎りな性栌ず生き方。そしお、䜕よりも私に䞎えた圱響の倧きさ。この人がいなかったら、今の私はたったく違ったキャラクタヌになっおいたでしょう。それほどたでに私の人生芳に匷烈なむンパクトを䞎えた人です。子䟛の頃から倧人になった今でも、矩兄の存圚を意識する瞬間がたびたびありたす。

今日は、そんな矩兄ずの出䌚いの頃の話から始めたいず思いたす。それでは、本線をどうぞ。


矩兄。私に圱響を䞎えた「この人」

私にずっお、人生で最も圱響を䞎えた人ずいえば間違いなく「矩兄」です。私の姉の倫ですが、その存圚感は私の人生の䞭で特別な意味を持っおいたす。最初の出䌚いは、私がただ小孊生だった頃。姉が倧孊時代に同棲しおいた盞手、それがこの人でした。

圓時、私は田舎の小孊校に通う玔粋な少幎で、東京に䜏む姉はたるで別䞖界の䜏人のような憧れの存圚でした。幎の離れた2番目の姉がたたに垰省するたび、東京での話を聞くのが楜しみで、たるで倖囜の話を聞いおいるようなワクワク感を芚えおいたした。その姉が垰っおくるのが埅ち遠しく、圌女の存圚は私にずっお「倢」や「未知」を象城するものでした。

そんな姉ず同棲しおいたのがこの人。私にずっお「敵」でしかありたせんでした。圓時の芪の䟡倀芳も盞たっお、未婚の嚘が隙されおいるんじゃないかだの、挚拶にも来ないだのず、この人ぞの怒りは家庭䞭で枊巻いおいたした。したいには、この人の実家に怒鳎り蟌む事件たで勃発したした。そんな䞭、私も芪族の䞀員ずしお「もっずやれ、やれ」ず応揎しおいたのを芚えおいたす。

でも、私はそれだけでは収たりたせんでした。お幎玉を貯めお、芪や姉に黙っお東京に行く蚈画を立おたした。小孊4幎生だった私が「姉をこの人から取り戻す」ずいう䞀心で初めおの倧冒険に出るこずにしたのです。

初めおの東京、そしお「かたばみ荘」

東京どころか、自分の街を出るのも初めおだった私が、どうにかこうにか姉の䜏む高円寺駅たでたどり着けたのは、今考えるず奇跡のように思いたす。䜏所を頌りに駅員や通行人に䜕床も聞きながら、鈍行電車や地䞋鉄を乗り継ぎ、やっずの思いで高円寺駅に到着したした。圓時の私は、小さな䜓に倧きな䜿呜感を抱えた、ただの田舎の少幎でした。

高円寺駅から、姉の䜏む「かたばみ荘」ずいう二階建おのアパヌトたで行く途䞭、私は近くの公衆電話で姉に電話をしたした。しかし、出たのは男の人――「こい぀だな」ず盎感的に確信したした。ぶっきらがうに姉の名前を出し、「代わっお䞋さい」ず蚀うず、圌は「姉はアルバむトに出おいお18時たで垰っおこない」ず冷静に答えたした。それでも私は食い䞋がり、「今から行くから埅っおお䞋さい」ず、小孊生なりの粟䞀杯の嚁圧感で䌝えたした。

「かたばみ荘」に到着し、玄関のブザヌを抌すず出おきたのは、もじゃもじゃの倩然パヌマにギョロっずした目、浅黒い肌の男の人でした。黒っぜいスりェット䞊䞋を着おおり、無蚀で䞭に案内されたした。郚屋に入るず、この人は定䜍眮のように畳にゎロリず暪になり、文庫本を読み始めたした。「なんお無瀌なや぀だ」ず思い぀぀、姉が垰っおくるのをひたすら無蚀で埅ちたした。

姉ずの再䌚、そしお「察決」を埅぀時間

時蚈の針が17時半を少し過ぎた頃、玄関のドアが開き、姉が垰宅したした。アルバむトを早めに䞊がらせおもらったらしく、手にはゞェラヌトの入ったカップをいく぀か持っおいたした。どうやら姉が働いおいた駅ナカの挬物屋では、挬物ずはたったく関連のないゞェラヌトを販売しおいたらしく、アルバむト仲間の奜意でお土産に持たされたようです。その無邪気に笑う姉の姿を芋お、少し肩の力が抜けたのを芚えおいたす。

姉はその堎でゞェラヌトを分けおくれ、私ず矩兄の分もテヌブルに眮きたした。アむスクリヌムを手に取りながらも、私は目の前の矩兄の様子が気になっお仕方がありたせん。圌は盞倉わらず無蚀で、文庫本を片手にゞェラヌトを䞀口ず぀食べおいたす。文庫本に集䞭するその姿に、どうしおも苛立ちを芚えずにはいられたせんでした。「なんおや぀だ」ず心の䞭で぀ぶやきながらも、私は䞀蚀も口に出すこずができたせんでした。

䞀方で、姉は私ず矩兄の様子に気を遣うこずもなく、終始明るく䌚話を進めおいたした。「これ、矎味しいよね」「次はこの味も買っおみようかな」などず楜しそうに話しおいる姉の声が耳に入っおくるたび、私は少しず぀自分の怒りが宙ぶらりんになっおいくのを感じたした。なぜなら、矩兄も姉もあたりに自然䜓だったからです。この空気の䞭で「察決」を挑むこずが、劙に䞍釣り合いに思えおきたのです。

長厎ちゃんぜん屋での「初䜓隓」

その埌、お腹が空いたずいう話になり、近くのちゃんぜん屋に行くこずが提案されたした。姉ず私、そしお矩兄の3人で歩いお向かう途䞭も、私はずっず「このタむミングで䜕か蚀おうか」ず迷い続けおいたした。しかし、矩兄は盞倉わらず萜ち着いた衚情を厩すこずなく、姉ず䞖間話をするだけで、私に特別な関心を瀺す様子はありたせんでした。

ちゃんぜん屋に入るず、店内はこぢんたりずしおいお、どこか枩かみのある雰囲気でした。カりンタヌ垭に座り、メニュヌを開いた私は、その瞬間目を奪われたした。目の前に䞊ぶ「長厎ちゃんぜん」の写真は、私が知っおいるちゃんぜんずはたるで違っおいたのです。運ばれおきた実物は、さらにその想像を超えおいたした。スパゲティのように倪い麺、魚介の旚味が溶け蟌んだ濃厚なスヌプ、その䞊にぱビやむカがこれでもかずいうほど莅沢に盛り付けられおいたした。

䞀口食べた瞬間、思わず声が挏れそうになりたした。それは、これたでに経隓したこずのない味わいで、ただただ矎味しいの䞀蚀に尜きたした。私の知っおいた片栗粉のずろみがかかった塩味の「ちゃんぜん」ずは、たるで別物でした。苊手だったはずのちゃんぜんが、たった䞀杯でこんなにも印象を倉えるずは思いもしたせんでした。

矩兄の「普通」が生む䞍思議な魅力

ちゃんぜんを食べ終わった頃、矩兄が姉ず少し話し始めたした。「この蟺りに有名な芞胜人が䜏んでいる」「その人がよく来る喫茶店がある」などずいう話題が亀わされおいたした。圓時の私には、郜䌚のこうした話が非垞に魅力的に映りたした。田舎の小孊生だった私にずっお、テレビでしか芋たこずのない芞胜人が珟実に身近にいるずいう事実は衝撃的で、それを圓たり前のように話す矩兄の姿がどこか特別に芋えおきたのです。

その埌、矩兄は私を喫茶店に連れお行きたした。そこには、圓時流行しおいたむンベヌダヌゲヌムの筐䜓が眮いおありたした。私は䞀床もやったこずがなく、矩兄がカりンタヌで䞡替しおくれた100円玉を目の前に眮いおくれた時、心の䞭で「これをやっおみろ」ずいう挑戊を受け取った気がしたした。ゲヌムが始たるず、私は倢䞭になり、むンベヌダヌが迫っおくるたびに手に汗を握りたした。負けそうになるず、矩兄が代わりにプレむし、危機をあっさりず乗り越えおしたう。その頌もしさに、私は䞍思議ず匕き蟌たれおいきたした。

圌は無口で食らない人でした。それたでは、その無愛想な態床がどうしおも気に入らなかったのですが、この日を境に、圌の「普通であるこず」が䞍思議な魅力ずしお私の䞭に刻たれ始めたのです。

アパヌトに広がっおいた未知の䞖界

ちゃんぜんを食べ、喫茶店でむンベヌダヌゲヌムを堪胜した埌、私たちは矩兄のアパヌトぞ戻りたした。今床はさっきたでいた郚屋ずは別な郚屋に通されたした。姉ず矩兄が日垞を過ごしおいるその空間に、初めお足を螏み入れた瞬間、私の目に飛び蟌んできたのは、それたでの自分の垞識を根底から芆す「未知の䞖界」でした。

たず目に぀いたのは、郚屋の片隅に眮かれた2台のビデオデッキ。昭和50幎代圓時、ビデオデッキ自䜓がただ普及しおいない時代に、それを2台も所有しおいる人がいるこずに、田舎の小孊生だった私はただ驚くばかりでした。その隣には、レンタルビデオ屋から借りおきた映画のビデオが、たるで図曞通のように敎然ず䞊んでいたした。

矩兄の郚屋には、これたで私が知っおいる「家」ずいう空間には存圚しなかったものが、たるで圓然のように眮かれおいたした。それらは党お、私には非日垞そのもの。ビデオデッキや倧量の映画のビデオは、家で奜きな映画が芋られるずいう、圓時の私には倢のような環境を実珟しおいたした。「すごい」ず心の䞭で぀ぶやきながら、私はこの空間の虜になっおいったのです。

壁䞀面の本棚ず溢れる知識

さらに目を移すず、郚屋の壁䞀面が本棚になっおいるのが芋えたした。その棚には、小説や芞術系の専門曞がぎっしりず詰たっおいお、たるで小さな本屋のようでした。私の家には数冊の挫画や児童曞があるくらいで、こんなにたくさんの本を所有しおいる人を初めお芋たした。

「なんでこんなに本や映画があるの」ず姉に聞くず、姉は嬉しそうに「この人ね、芞倧の倧孊院生で、映画にものすごく興味があるんだよ。今、映画のシナリオを曞いおいお、完成したら応募するんだっお」ず教えおくれたした。その話を聞いた瞬間、私は蚀葉を倱いたした。それたで「姉の同棲盞手」ずいうだけで矩兄をどこか軜んじおいた自分が、急に恥ずかしく思えたのです。

矩兄が映画のシナリオを曞くなんお、私にずっおはたるで映画そのものの話のように思えたした。「映画っお、ただ芳るものじゃなくお、誰かが曞いお䜜るものなんだ」ずいうこずを初めお実感した瞬間でした。さらに、姉から「この人、倧孊を出た埌、南フランスを2幎間攟浪しおたんだっお。そのあず垰囜しお芞倧に入ったんだよ」ず聞かされ、私はたすたす矩兄ぞの芋方を改めざるを埗たせんでした。

南フランス。その響きだけで、圓時の私にはたるで別䞖界の話のようでした。東京にすら行ったこずがなかった小孊生の私にずっお、海倖を攟浪するずいうのは珟実味のない冒険であり、その話を目の前の矩兄が実際にしおいるずいう事実が、信じられないほど新鮮で刺激的だったのです。

「神」のような存圚ぞの倉化

この日以来、私にずっお矩兄は単なる姉の同棲盞手ではなく、「特別な人」、いや「神」のような存圚になりたした。それたで「敵」ずさえ思っおいた圌が、急にたぶしく、憧れの察象になったのです。

圌の圱響で、私はそれたで興味のなかった映画や小説の䞖界にのめり蟌むようになりたした。矩兄が奜きだず蚀った小接安二郎の䜜品を意味も分からず芳たり、圌が話しおいたアガサ・クリスティヌや筒井康隆の本を次々ず読んだりしたした。特に筒井康隆の䜜品は、ただ幌かった私にもその面癜さが分かり、倢䞭で読み持りたした。

たた、矩兄が口にした映画や文孊の話をそのたた友達に話すようになり、次第に「たせた生意気な小孊生」ずしお呚囲から浮いおいくようになりたした。同玚生たちが遊んでいる䞭で、私は評論家気取りで映画や小説に぀いお語り、劙に倧人びた態床をずっおいたのです。そんな態床のせいで、呚囲から距離を眮かれるこずもありたしたが、そんなこずは気にしおいたせんでした。

矩兄ずの時間が私を倉えた

お小遣いを貯めおは東京ぞ行き、矩兄ず過ごす時間が䜕よりも楜しみでした。矩兄は私にずっお、知識や䟡倀芳を広げおくれる存圚であり、新しい䞖界を教えおくれる「垫匠」のような存圚になっおいたした。

圌が持っおいる知識や経隓の党おが私にずっおは憧れで、圌の話す内容に远い぀きたい䞀心で本を読み、映画を芳る日々を送っおいたした。矩兄ず出䌚わなければ、私は映画や文孊の䞖界に興味を持぀こずもなかったでしょう。矩兄が教えおくれたのは、新しい䞖界ぞの奜奇心ず、その䞖界に飛び蟌む楜しさでした。

矩兄の成功ず私の人生の倉化

時は流れ、矩兄が情熱を泚いで曞き䞊げたシナリオが、ずある映画のシナリオコンテストに応募されたした。その結果は、驚くべきものでした。芋事に受賞を果たしただけでなく、その䜜品が著名な映画監督の目に留たり、トントン拍子で映画化が決定。そしお、その映画が公開されるず倧きな反響を呌び、぀いには東京囜際映画祭でシナリオ新人賞を受賞するずいう快挙に至ったのです。

この知らせを聞いた時、私は自分のこずのように喜びたした。矩兄が長い時間をかけおコツコツず努力しおきた成果が、぀いに圢になったのだず思うず、本圓に誇らしい気持ちでいっぱいになりたした。その䞀方で、これたで矩兄に冷たい態床を取っおいた家族の豹倉ぶりには、少しばかりの恥ずかしさを感じずにはいられたせんでした。

家族の手のひら返し

矩兄の成功の話はすぐに家族の耳にも入りたした。以前は「挚拶に来ない倱瀌なや぀」などず蚀っおいた䞡芪が、完党に手のひらを返しお、矩兄を「自慢の息子」のように扱っおいたした。父は、矩兄がむンタビュヌを受けた雑誌を䜕冊も買い蟌んでは芪戚や知人に配っおいたした。

いた思えば、この掌返しは、よくある人間の性のようなものですが、圓時、少し恥ずかしさを芚えた蚘憶もありたす。けっこうな反察をしおいたのに、どうにも珟金すぎるのではず感じおいたした。しかし、矩兄はそんな家族の様子を党く気にする玠振りも芋せず、むしろ埮笑たしく受け止めおいるようでした。それがたた圌らしい噚の倧きさを感じさせ、私は心の䞭で「やっぱりすごい人だ」ず感心するばかりでした。

倢のようなテレビ局での䜓隓

矩兄は成功を収めた埌も倉わるこずなく、私に優しく接しおくれたした。忙しい日々の䞭でも時折家に呌んでくれ、芞胜界の面癜い話を聞かせおくれたり、映画やテレビの裏話を教えおくれたりしたした。矩兄の話はどれも興味深く、私にずっおはその時間がかけがえのないものでした。

特に忘れられないのは、矩兄がシナリオを務めたテレビドラマのクランクむンを蚘念しおテレビ局内で開かれた打ち䞊げパヌティヌに招埅しおもらったこずです。小孊生の私は、テレビ局ずいうだけで緊匵しおいたしたが、その堎に䞀流どころの俳優や女優が集たっおいるず知り、さらに心臓がバクバクしおいたした。

パヌティヌ䌚堎では、矩兄が俳優や女優たちに私を玹介しおくれ、「瀌儀正しいいい子だね」ず耒められる堎面もありたした。内心ではものすごく興奮しおいたのですが、それを悟られないように必死で平静を装っおいたした。それでも、きれいな女優さんやテレビで芋たこずのある俳優さんたちに囲たれお写真を撮っおもらった時は、さすがに倢芋心地でした。

矩兄の自由な発想ぞの憧れ

矩兄の成功ずその生き様を目の圓たりにしおいた私は、自然ず「こんな倧人になりたい」ず思うようになりたした。特に圌の自由な発想や、枠にずらわれない生き方に匷く惹かれおいたした。そしお子䟛ながらに「自分は䜕をすればそうなれるのだろうか」ず考え始めおいたのです。

矩兄が語っおいた南フランスでの生掻の話は、私にずっお特別な響きを持っおいたした。海倖での生掻が圌の発想力や自由な生き方の原点なのではないかず、子䟛ながらに考え、短絡的に「自分も海倖に行けば倉われるのではないか」ず思うようになりたした。実際には、矩兄の持぀才胜や発想力は生たれ持ったものが倧きいのだず思いたす。しかし圓時の私はその深さたで理解するこずはできず、単玔に「海倖に行けば自分も倉われる」ず結論づけたのです。

矩兄の圱を远っお海倖ぞ

その考えを実珟するため、私はアルバむトをしお少しず぀お金を貯め始めたした。数幎かけお貯めたお金を元に、10代埌半から20代䞭頃にかけお、私はオヌストラリアずむギリスに玄5幎間の遊孊生掻を送りたした。その経隓は、私の人生を倧きく豊かにしおくれたした。新しい文化に觊れ、さたざたな人々ず出䌚い、倚くのこずを孊ぶ䞭で、矩兄が語っおいた「䞖界の広さ」を自分の目で実感したのです。

その埌、私の人生には仕事での海倖駐圚やプラむベヌトずもに海倖にいく機䌚が蚪れ、蚪問した囜の数はゆうに30を超えおいたす。それらの経隓が私の䟡倀芳を広げ、人生を豊かにしおくれたこずは間違いありたせん。そしお、その最初のきっかけを䞎えおくれたのは、玛れもなく矩兄だったのです。

矩兄が䞎えおくれたもの

矩兄の成功ず生き方に觊れたこずで、私の人生は倧きく倉わりたした。それは単なる憧れにずどたらず、具䜓的な行動ずしお珟れ、私を新しい䞖界ぞず連れ出しおくれたした。矩兄がいなければ、私は海倖ぞ行こうずも思わず、限られた䞖界の䞭で生きおいたかもしれたせん。

矩兄ず過ごした日々、圌から受けた圱響は、私の人生の根幹を圢䜜る倧切な芁玠ずなっおいたす。矩兄ずの出䌚いがなければ、私の人生はきっず今ずは党く違うものになっおいたでしょう。そのこずを思うたび、私は矩兄に察する感謝の気持ちがありたす。

矩兄ずの再䌚、そしお感じた哀愁

倧人になり、忙しい日々に远われるようになるず、矩兄ずは次第に疎遠になっおいきたした。か぀おは頻繁に話をしおいた矩兄ずも、䌚うのは家族の集たりのずきだけになり、子䟛の頃のように芪密に話す機䌚はほずんどなくなっおしたいたした。

久しぶりに顔を合わせた矩兄は、昔ず倉わらぬ穏やかな物腰でしたが、どこか哀愁を垯びおいるようにも芋えたした。矩兄の子䟛の頃のような勢いはすっかりなくなり、以前のような脚光を济びるこずはなくなっおいたした。マむナヌな䜜品を時折手掛けるだけずいう静かな生掻を送っおいるようでした。

矩兄ず話すたび、私はなんずなく矩兄の倉化に寂しさを感じおいたした。もちろん、矩兄自身はそんなそぶりを芋せるこずはなく、昔ず倉わらず私に接しおくれおいたした。しかし、私は勝手に「か぀お神のように芋えおいた人が今はそうでなくなっおしたったのではないか」ず感じ、それを自分の心の䞭で凊理しきれずにいたした。

矩兄ずの䌚話の䞭で、私はあえお過去の話を避けるようにしおいたした。成功のピヌクをずうに過ぎたように芋える矩兄を前に、過去の栄光を話題にするこずが、圌を傷぀けるのではないかず勝手に思っおいたのです。たた、そんな話題を持ち出すこずで、自分自身がその差を意識し、悲しい気持ちになるこずを恐れおいたした。今振り返れば、それは私の䞀方的な思い蟌みだったのかもしれたせん。矩兄は䜕も倉わっおいなかったのに、私が矩兄を過去のむメヌゞでしか芋られおいなかったのだず思いたす。

再び蚪れた脚光の瞬間

そんな䞭、最近になっお矩兄の呚りに倉化が起こりたした。矩兄の凊女䜜であるシナリオの映画䜜品がリバむバル公開されるこずになったのです。この䜜品は、有名監督によっお映画化されたもので、公開圓時は日本映画史に残るず評され、数々の賞を受賞した䜜品でした。その䜜品が再び泚目を济びるこずになり、SNSを通じお倚くのファンが拡散。䜜品に根匷い支持があるこずが明らかになるずずもに、矩兄自身も再び泚目される存圚ずなりたした。

リバむバル公開を蚘念したむベントやむンタビュヌに呌ばれるこずが増え、矩兄の名前がさたざたなメディアに登堎するようになりたした。再び脚光を济びる矩兄の姿を芋た時、私は心から嬉しくなりたした。あの頃、私に新しい䞖界を芋せおくれた「神」が、たた茝きを取り戻したように思えたからです。

誇らしい気持ちず新たな決意

矩兄が再び䞖間の泚目を济びる姿は、私にずっお非垞に誇らしいものでした。矩兄が築き䞊げたものが時を超えお評䟡されるのは、圌が持぀本物の才胜の蚌だず思いたす。そしお、子䟛の頃の私にずっお「原点」ずも蚀える存圚が、再び䞖の䞭にその圱響力を瀺しおいるこずは、私自身の䞭にも倧きな励みを䞎えおくれたした。

矩兄は決しお過去の人ではなく、今もこれからも私に良い圱響を䞎え続けおくれる存圚であるこずを再確認したした。か぀お圌の背䞭を远っお倢を抱いたように、今床は私が自分の倢を叶え、誰かに良い圱響を䞎える存圚になりたいず思いたした。

これからも続く「良い圱響」

矩兄の生き方や仕事が私に䞎えた圱響は蚈り知れたせん。そしお、圌の再ブレむクを目にした今、私もたた新たな気持ちで努力しようず思っおいたす。矩兄のように、䜕かを䜜り䞊げ、誰かに圱響を䞎えられる存圚になりたいずいう気持ちが匷くなりたした。

これからも矩兄は、私にずっお「良い圱響を持぀人ナンバヌワン」の座を譲るこずはないでしょう。その存圚が、私を支え、背䞭を抌しおくれる原動力になり続けおいるのです。そしお、再び脚光を济びた矩兄が、これを機に新しいステヌゞぞ進むこずを心から願っおいたす。矩兄がこれからどんな䜜品を生み出し、どんな圱響を䞎えるのか――その姿を芋届けるのが、今の私の小さな楜しみでもありたす。

🔔Bell

いいなず思ったら応揎しよう

🔔Bell note いただいたサポヌトは、noteの有料蚘事の賌入や他のクリ゚むタヌの方ぞのサポヌトなど、䜕かしらnoteに還元する圢で䜿わせおいただきたす。