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【積み上げることでしか、答えられない問いがある】「人文学は何の役に立つのか」に、58冊を読む順番と、その検証の記録から答えてみる

出典:freestocks.org

1.「役に立つのか」という問いの、本当の難しさ

2020年、橋下徹氏のツイートをきっかけに再燃した「人文学は何の役に立つのか」という論争を、Benjamin Kritzer氏は丁寧に解剖している。人文学に関わる人々がこの問いに取りがちな逃げ方――問う側の敵意を理由に回答自体を拒否する、「役に立つ」の定義を問い返して議論を煙に巻く、問いの前提そのものを優生思想的だと断じて退ける――を、氏は一つずつ検討し、いずれも説明責任からの逃避にすぎないと退けていく。

この文章の真意は、賛否の表明にはない。人文学を擁護する側の「答え方」そのものが問われている、という点にある。三谷尚澄氏が示す「箱の外に出て思考する力」は、この問題への一つの応答だ。「箱」の中のルールが通用しなくなったとき、一旦外に出てルールと目的を設定しなおす力。だがこの力は、あくまで能力の名前であって、それをどう身につけるかという具体的な道筋までは示していない。

この問いに対して、以下ではリストの内部的な設計原理をいくつかの角度から検討する。副題が掲げる「難易度順」と「入門順」が実は別の軸であることの確認、58冊の並び順が既存の擁護論とどう対応しているかの検討、これらの典拠には現れずリストの内部だけに見出せる読み筋への言及、58冊という分量を実際にどう読み進めるかという実務的な方法――これらが本論である。あわせて、検討の途中で実際に見つかった誤りを訂正し、リストの信頼性を確かめる記録も残す。これは本論を裏づける補強材料であり、必要な範囲にとどめたい。


2.脇條氏の実例と、政策文書の五つの機能

脇條靖弘氏の文章は、Kritzer氏とは対照的な角度から人文学を擁護する。文学専攻の学生が顧客対応で卓越した成果を上げたのは、彼女にとってすべての客が「小説の登場人物のように興味深い」存在だったからだ、というエピソードは、抽象論ではなく具体的な実践の蓄積が具体的な成果に転化した実例である。

人文学及び社会科学の役割を論じた政策文書は、この効用をさらに体系的に分節する。哲学を諸学の根底にある「メタ知識の学」として位置づける議論。個別諸学がそれぞれ前提とする価値そのものを評価する「諸価値の評価」。文学研究における「人間の研究」。政策や社会の課題解決に知見を提供する「実学」。そして諸価値の間のバランス感覚や説得力を涵養する「高度な専門人の育成」。この文書自体が予算の正当化という制度的な利害を背負っている可能性は差し引いて読む必要があるが、それでもこの語彙は、リストの構造を検討するための補助線になる。


3.「難易度」と「入門度」は、同じ軸ではない

このリストの副題は「難易度順・入門順・思想史順」という三つの基準を並べているが、この二つ目「入門順」は、一つ目の「難易度順」とは実は別の軸である。ある本は、扱っている概念自体は高度でも、その分野を初めて学ぶ読者に向けて丁寧に書かれている――つまり難易度は高くとも入門度も高い。逆に、平易な文章で書かれていても、その分野の基本的な議論をすでに知っている読者を前提にしている本もある――難易度は低くとも入門書ではない。

この二つの軸が実際に競合した例が、このリストの中に見つかる。佐藤岳詩『メタ倫理学入門』は、「善いとは何を意味するか」というメタレベルの問いを扱っており、内容の抽象度そのものはⅠの本より高い。それでもⅢに――専門書群であるⅤ・Ⅵよりずっと手前に――置かれているのは、この本が「その分野の基本的な語彙と論点を、順を追って一から立ち上げる」という意味での入門度を優先されたからだ、と説明できる。逆の例もある。東浩紀『訂正可能性の哲学』は、文章そのものは平易で、専門用語も少ない。それでもこの本はⅤの終盤、52番目という遅い位置に置かれている。これは文章の難しさによるものではなく、ウィトゲンシュタインやルソー、アーレントといった複数の思想家への言及を前提にした議論を展開しているためで、読みやすさでは測れない前提知識の要求――つまり入門度の低さ――が配置を決めている。この二つの例は、難易度と入門度が競合したとき、このリストが状況に応じてどちらを優先しているかを示す、数少ない具体的な手がかりだと思う。


4.58冊の並びを、実際の内容に照らして検討する

ヌスバウムが人文学・芸術に見出す役割は二つに分かれる。学生が生きている時代や場所から隔たった作品に触れることで培われる、遊びと感情移入の一般的な能力。そしてその能力が育ったあとで初めて取り組みやすくなる、自分が属する文化に固有の盲点への対処である。

この二段階モデルは、リストの前半・後半へ機械的に振り分けたくなる誘惑を持つ。だが実際に松村圭一郎『うしろめたさの人類学』の内容を確かめると、話はそう単純ではない。著者が20年近く通ったのはエチオピアの農村であり、物乞いや精神疾患を持つ人への向き合い方が日本とはまったく異なるその社会の姿を、まず遠い場所の経験として提示している。それだけではない。エチオピアの人々が誰もが当たり前に他者の苦しみへ関わろうとする様子を通じて、逆に、日本社会が誰を「見えない存在」として切り捨ててきたかを照らし出す構成になっている、とある書評は評している。つまりこの一冊は、「遠い経験」と「自文化の盲点」という二段階を、単独で両方とも実演している。前半・後半という単純な図式は成り立たず、一冊が二つの機能を同時に担うという見立てのほうが、実際の内容に即している。

同じⅠに並ぶ東畑開人や岸政彦の本は、これとは対照的に、最初から現代日本の、読者の目に入りにくい場所を扱っている。Ⅰの9冊は、遠い経験から入るものと、近いが見えにくい経験から入るものが混在しており、ヌスバウムの二段階を同時に含んだ構成になっている。

Ⅳの応用編(グレーバー、サンデル、レビツキー)は、いずれも欧米の著者による欧米社会を主な事例とした翻訳書である。これを日本の読者にとっての「固有の盲点」と呼ぶのは無理がある。ここでよく対応するのは、政策文書の言う「実学」――基礎研究に裏打ちされた知見を、労働・正義・民主主義という現実の課題に接続する営み――のほうだ。国境を越えて応用可能な分析枠組みを、読者自身が日本の文脈に置き換え直す作業を要求する。

政策文書の残る二機能も、Ⅱ・Ⅲの中で個別に対応先を持つ。「人間の研究」は北村紗衣『批評の教室』のような、個々のテクストから新たな読みを引き出す訓練に。「高度な専門人の育成」は佐藤岳詩や児玉聡の倫理学書のような、異なる学説を比較し評価する訓練に対応する。そしてⅤ・Ⅵの専門書群が、「メタ知識の学」と「諸価値の評価」の哲学的な核心にあたる。

以上が、政策文書やヌスバウムの語彙とリストの各パートとの対応関係である。ここからは、こうした外部の典拠に照らして検証できる話を離れ、リストの内部だけに見出せる、もう一つの筋道について触れておきたい。これは書き手自身の読み筋の提示であり、以下の二つの見立ても、その範囲を出るものではない。

Ⅳの内部には、経済的な不正義の分析が、政治的な次元に受け止め直されていくように見える筋道がある。サンデルの能力主義批判とグレーバーの負債論・労働論は、いずれも「なぜ現状の仕組みが正当化されているのか」を、能力や負債という個人の資質・責任の物語に還元せず問い直す点で近い。レビツキーとジブラットの民主主義論は、そうした経済的な正当化の物語が制度への信頼を蝕んだとき、政治そのものがどう崩れうるかを扱っており、前の二冊が扱う経済的な問い直しの先に置くと読み筋として収まりがよい。

Ⅴの内部にも、緩やかな筋道が見て取れる。國分功一郎の2冊、『中動態の世界』と『暇と退屈の倫理学』が軸に据えられているのは、前者が「意志して行為する」という近代的な人間観そのものを問い直し、後者がその余波として「では、意志に頼らずに生きるとはどういうことか」という人生論・退屈論へ接続するからだ。この2冊を起点に、死生観(伊佐敷、森岡)、論理学・現象学(三木、植村ほか)、認識論(プリチャード、ダストン=ギャリソン)という、いずれも「人間がどう世界を認識し、どう生きるか」を扱う領域へ枝分かれする。その先には、性格の異なる二つの問い直しが並ぶ。東浩紀『訂正可能性の哲学』は、人がすでに属している共同体そのものが、後から書き換え可能であることを論じ、奥野克巳らのマルチスピーシーズ人類学は、人間を中心に据えた枠組みそのものを相対化する。そしてⅥで、時間・存在・現実という、人間という主語を離れてもなお残る問いへと進む。この筋道に沿って読むと、國分の2冊が人生論の入口に置かれていることには、単なる偶然以上の一貫性があると読める。

ただし、正直に認めておかねばならないことがある。ここまでの議論は「なぜ易しいものから難しいものへ、入門度の高いものから低いものへ進むことに意味があるか」は説明できても、「なぜこの58冊固有の並び」のすべてが必然的かまでは論証していない。個々の本の配置には、この分析だけでは正当化しきれない、実務的な取捨選択が残っている。


5.リストと、その裏付けをどこまで検証したか

このリストの精度を検証する過程で、いくつかの誤りが実際に見つかった。國分功一郎『暇と退屈の倫理学』は「太田出版・増補版:朝日文庫、2015年」と記していたが、正しくは2011年に朝日出版社から原著が、2015年に太田出版から増補新版が、2022年に新潮文庫から文庫版が出たという経緯であり、「朝日文庫」という版は存在しなかった。廣田龍平『ネット怪談の民俗学』の版元も、青弓社ではなく早川書房のハヤカワ新書(2024年10月刊)が正しい。狙って検証した2冊が、いずれも誤っていた。

このリストは書評系サイトの提案を参考にして人手で照合して作られているが、複数の書評系サイトが独立に同じ書誌を挙げていたとしても、それらが似た訓練データや検索結果を参照している以上、真の意味での独立検証にはなっていない可能性がある。多数決的な一致は正しさの十分な証拠にはならない。検証していない残り49冊についても、同じ留保が当てはまる。

同様の見直しは、リストそのものだけでなく、それを支える本文の論証にも及んだ。当初、「起業家や副業経験者ほど読書時間が長い」というデータから「読書は批判的思考の習慣を培う」と一足飛びに結論づけていた箇所を、「経験的にもっともらしい仮説」という、より正確な位置づけに書き改めた。読書家だから思考力が育つのか、自己管理能力の高い人がたまたま読書も起業も選んでいるだけなのか、手元のデータはこの二つを区別する材料を持っていない。また、第4節で示したヌスバウムモデルの検討も、当初は前半・後半への機械的な当てはめを試み、実際に松村圭一郎の内容を確かめることで修正したものである。


6.読書法──二つの時間性のあいだで

58冊という分量を実際に読み進めるには、15分で読む読書法が助けになる。樺沢紫苑氏は、読了までの制限時間を決めること、15分の読書を反復することを勧める。哲学者の小川仁志氏はさらに、本を買ったその日にモチベーションのピークを使って読み始めること、鞄の底ではなく取り出しやすい場所に本を入れておくことを勧めている。この二つの工夫は、Ⅰ・Ⅱの新書を読み進めるうえでとりわけ有効だ。

この「15分の反復」という方法には、裏付けとなる具体的な実験もある。脳研究者の池谷裕二氏が中学1年生を対象に行った実験では、60分連続で学習させたグループと、15分の学習を休憩を挟んで3回行わせたグループを比較したところ、後者のほうが好成績を残した。脳波を計測すると、前者は学習中に集中力が徐々に低下していったのに対し、後者は休憩のたびに集中力が回復し、高い水準を保っていたという。これは「情報の把握」というタスクに関する実験結果であり、専門書の論証を追うような読解にそのまま適用できる保証はない。それでも、Ⅰ・Ⅱの新書を読み進める段階での15分反復には、単なる思いつき以上の根拠がある。

もっとも、この読書法は、Ⅴ・Ⅵに並ぶ入不二基義や倉田剛のような専門書には通用しない。15分刻みの反復は情報の把握には効くが、多段階の論証を追う必要がある本では、論証の連鎖を見失わせる。専門書の段階では代わりに、①章立てと見出しから議論の運びを掴む「構造把握」、②一節ごとに著者の主張を自分の言葉で言い換える「言い換え」、③各章の終わりに反論を一つ書き出す「異論の書き出し」という、裏付けのない作業仮説へ切り替える必要がある。

ここには、現代の読書という行為が抱える、二つの相反する時間性が表れている。一方には、通勤時間やちょっとした待ち時間に情報を摂取する、断片化され効率化された時間。もう一方には、一つの論証を何度も読み返し、自分の言葉で言い換え、反論を考えるという、意図的に減速された時間。この二つは、しばしば対立するものとして語られる。ところがこのリストの難易度順という構成は、両者を対立させるのではなく、一つの軸に沿って片方から他方へと意図的に移行させる、という設計を取っている。断片化された時間の使い方を否定するのでも、遅い読書だけを称揚するのでもない。難易度順の並びの意義は、Ⅰ・Ⅱで身につけたスキマ時間の習慣を、Ⅴ・Ⅵに至って意図的に手放す経験を、あらかじめ用意している点にある。


7.結び

第1節で触れた疑いに戻りたい。「答えを与えるが、留保をつける」という書き方は、Kritzer氏が批判した「答えをずらす」身振りの変種ではないか、という疑いである。この境界線は際どい。だが、その境界線を言葉の上で論じるだけでは応答にならない。応答すべきは、態度が実際に行為へと変換された跡があるかどうかだ。第5節で示した三つの訂正――書誌の誤りを実際に見つけて直したこと、論理の飛躍を実際に言語化して撤回したこと、理論の機械的な当てはめを実際の内容確認によって修正したこと――は、まさにその跡である。これは、二つの反論を招くかもしれない。一つは、これは単なる念入りな作業に過ぎず、人文学に固有の能力ではないのではないか、という反論だ。だがこの検証は、事実確認にとどまらず、概念や理論の当てはめを対象の中身に照らして吟味しなおす作業を含んでいた。もう一つは、これは特殊な労力であり、一般の読者には再現できないのではないか、という反論だ。だが真似るべきは労力の量ではなく、指摘を受けたときに実際に確かめに行くという態度そのものであり、これは一度の読書、一つの主張についてであっても再現可能である。

もう一つ、正直に述べておきたい。三谷氏の言う「箱の外に出て思考する」ことの価値は、本来、意外性や驚きを伴うものであったはずだ。慎重さを重ねて表明するだけでは、その意外性は生まれない。誠実であることと、読んでいて驚きがあることは、必ずしも両立しない。

このリストが「入門順」と「難易度順」という二つの異なる軸を併記していたことに気づき、佐藤岳詩の本と東浩紀の本という、この二つの軸が実際にせめぎ合った具体例を見つけたこと。これは、リストの具体的な配置事実に基づく、今回の実質的な収穫だった。國分功一郎の2冊を起点に、人生論から死生観、認識論を経て、共同体の書き換え可能性や人間中心主義そのものを問い直す領域へと接続する筋道が見えたことも、収穫の一つに数えたい。ただしこちらは、外部の典拠による裏づけを持たない、一つの読み筋にとどまる。批判的思考と想像力を養う一つの道筋として、この58冊の並びは試す価値がある。その確信の中心にあるのは、リストの構造そのものが持つ説得力であり、第5節で示した検証は、その構造を無条件に鵜呑みにせず、確かめたうえで差し出しているという裏づけにすぎない。

ただし、ここで積み上げてきた検証の跡は、この文章をここまで読んだ読者には見えても、この結論だけを切り離して読む読者には、ほとんど見えないままだろう。それでも、あとは実際に何冊か手に取ってみて、確かめてもらうしかない。


8.人文科学29ジャンル・58冊 難易度順・入門順・思想史順

以下は「易→難」「入門→専門」「思想史の流れ」を意識した通読順です。

凡例:〈 〉内のジャンル名末尾の①②…は各ジャンル内の通し番号(掲載順と対応)。原リストは「②現代思想」と「㉒現代思想」、「③倫理学・道徳」「㉓倫理学」「㉔倫理学」がジャンル名として重複しているため、㉒は「現代思想(重複枠)」、㉔は「倫理学③④」と表記して区別しています。

Ⅰ. 導入編(新書・エッセイ級/人文学の入口)

1.『居るのはつらいよ――ケアとセラピーについての覚書』東畑開人/医学書院/2019 〈心理学①〉
2.『うしろめたさの人類学』松村圭一郎/ミシマ社/2017 〈文化人類学①〉
3.『断片的なものの社会学』岸政彦/朝日出版社/2015 〈文学・評論①〉
4.『女の子はどう生きるか――教えて、上野先生!』上野千鶴子/岩波ジュニア新書/2020 〈女性学①〉
5.『家族の勝手でしょ!』上野千鶴子/祥伝社/2015 〈家庭・性倫理①〉
6.『正義の教室――善く生きるための哲学入門』飲茶/ダイヤモンド社/2019 〈倫理学①〉
7.『言語学バーリ・トゥード Round 1』川添愛/東京大学出版会/2021 〈言語学①〉
8.『英語独習法』今井むつみ/岩波新書/2020 〈語学①〉
9.『「学校」をつくり直す』苫野一徳/河出新書/2019 〈教育学①〉


Ⅱ. 体系的入門編(新書サイズだが議論の骨格がしっかりした本)

10.『現代思想入門』千葉雅也/講談社現代新書/2022 〈現代思想①〉
11.『不道徳的倫理学講義――人生にとって運とは何か』古田徹也/ちくま新書/2019 〈倫理学・道徳①〉
12.『宗教と日本人』岡本亮輔/中公新書/2021 〈宗教①〉
13.『日本思想史』末木文美士/岩波新書/2020 〈東洋思想①〉
14.『保守主義とは何か――反フランス革命から現代日本まで』宇野重規/中公新書/2016 〈イデオロギー①〉
15.『民主主義とは何か』宇野重規/講談社現代新書/2020 〈社会・政治①〉
16.『同調圧力――日本社会はなぜ息苦しいのか』鴻上尚史・佐藤直樹/講談社現代新書/2020 〈社会道徳①〉
17.『聞く技術 聞いてもらう技術』東畑開人/ちくま新書/2022 〈心理学②〉
18.『英語の思考法――話すための文法・文化レッスン』井上逸兵/ちくま新書/2021 〈語学②〉
19.『クィア・スタディーズをつかむ』森山至貴/有斐閣/2020 〈家庭・性倫理②〉


Ⅲ. 各分野の本格的入門書(学術的だが一般読者にも開かれた本)

20.『言語の本質――ことばはどう生まれ、進化したか』今井むつみ・秋田喜美/中公新書/2023 〈言語学②〉
21.『メタ倫理学入門――道徳のそもそもを考える』佐藤岳詩/勁草書房/2017 〈倫理学・道徳②〉
22.『実践・倫理学――現代の問題を考えるために』児玉聡/勁草書房/2020 〈倫理学②〉
23.『仏教思想のゼロポイント』魚川祐司/サンガ/2015 〈宗教②〉
24.『日本哲学史』藤田正勝/昭和堂/2018 〈歴史・学派①〉
25.『歴史学のトリセツ――歴史の見方が変わると世界が変わる』小田中直樹/ちくまプリマー新書/2022 〈歴史・学派②〉
26.『新版「世間」の現象学』佐藤直樹/青弓社/2018 〈社会道徳②〉
27.『教育は何をなすべきか――能力・職業・市民』広田照幸/岩波書店/2015 〈教育学②〉
28.『批評の教室――チョウのように読み、ハチのように書く』北村紗衣/ちくま新書/2021 〈文学・評論②〉
29.『ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた』一橋大学社会学部佐藤文香ゼミ生一同/大月書店/2019 〈女性学②〉


Ⅳ. 応用・現代的論点編(社会・政治・経済への接続)

30.『能力主義は正義か――成功は当然の報いなのか?』マイケル・サンデル/早川書房/2021 〈倫理学③〉
31.『ケアの倫理とエンパワメント』竹端寛/現代書館/2020 〈倫理学④〉
32.『民主主義の死に方――二極化する政治が招く独裁への道』S・レビツキー、D・ジブラット/新潮社/2018 〈社会・政治②〉
33.『国体論――菊と星条旗』白井聡/集英社新書/2018 〈イデオロギー②〉
34.『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』デヴィッド・グレーバー/岩波書店/2020 〈ビジネス・経済①〉
35.『負債論――貨幣と暴力の5000年』デヴィッド・グレーバー/以文社/2016 〈ビジネス・経済②〉
36.『ネット怪談の民俗学』廣田龍平/早川書房(ハヤカワ新書)/2024 〈民俗学①〉
37.『廃仏毀釈――寺院・仏像破壊の真実』畑中章宏/ちくま新書/2021 〈民俗学②〉


Ⅴ. 専門書・思想の深部編(各ジャンルの中核理論)

38.『中動態の世界――意志と責任の考古学』國分功一郎/医学書院/2017 〈哲学①〉※小林秀雄賞受賞
39.『はじめてのウィトゲンシュタイン』古田徹也/NHK出版新書/2020 〈哲学②〉
40.『暇と退屈の倫理学』國分功一郎/太田出版(増補新版)/2015 〈人生論①〉※原著は2011年朝日出版社刊
41.『人生の意味の哲学入門』森岡正博・蔵田伸雄編/春秋社/2023 〈人生論②〉
42.『死んだらどうなるのか?――死生観をめぐる6つの哲学』伊佐敷隆弘/亜紀書房/2019 〈死生観①〉
43.『生まれてこないほうが良かったのか?――生命の哲学へ!』森岡正博/筑摩選書/2020 〈死生観②〉
44.『会話を哲学する――コミュニケーションとマニピュレーション』三木那由他/光文社新書/2022 〈論理学・現象学①〉
45.『ワードマップ現代現象学』植村玄輝ほか編/新曜社/2017 〈論理学・現象学②〉
46.『知識とは何だろうか――認識論入門』ダンカン・プリチャード(笠木雅史訳)/勁草書房/2022 〈認識論①〉
47.『客観性』ロレイン・ダストン、ピーター・ギャリソン/名古屋大学出版会/2021 〈認識論②〉
48.『荘子の哲学』中島隆博/講談社学術文庫/2022 〈東洋思想②〉
49.『極限の思想 ニーチェ――道徳批判の哲学』城戸淳/講談社選書メチエ/2021 〈西洋思想①〉
50.『小さな倫理学入門』山内志朗/慶應義塾大学出版会/2015 〈西洋思想②〉
51.『フランス現代思想史――構造主義からデリダ以後へ』岡本裕一朗/ちくま新書/2015 〈現代思想②〉
52.『訂正可能性の哲学』東浩紀/ゲンロン/2023 〈現代思想(重複枠)①〉
53.『モア・ザン・ヒューマン――マルチスピーシーズ人類学と環境人文学』奥野克巳ほか編/以文社/2021 〈文化人類学②〉


Ⅵ. 最深部編(形而上学・存在論・自然哲学──最も抽象度が高い)

54.『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ/NHK出版/2019 〈自然哲学・宇宙論・時間論①〉
55.『世界は「関係」でできている――美しくも過激な量子論』カルロ・ロヴェッリ/NHK出版/2021 〈自然哲学・宇宙論・時間論②〉
56.『現代存在論講義I――ファンダメンタルズ』倉田剛/新曜社/2017 〈形而上学・存在論①〉
57.『なぜ世界は存在しないのか』マルクス・ガブリエル/講談社選書メチエ/2018 〈形而上学・存在論②〉
58.『現実性の問題』入不二基義/筑摩書房/2020 〈現代思想(重複枠)②〉※440頁の大著。全58冊の「最終到達点」として配置


並べ替えの思想(なぜこの順番か)

・Ⅰ・Ⅱ(1〜19冊):具体的な生活経験(ケア、人類学的フィールド、ジェンダー、語学)から入り、読者が「自分ごと」として読める本を先頭に。
・Ⅲ・Ⅳ(20〜37冊):各分野の理論的骨格(倫理学説、宗教学、歴史学の方法論)と、それを現代の社会・経済問題(労働、民主主義、負債)に応用する本へ接続。
・Ⅴ(38〜53冊):行為論・人生論・死生観・認識論など、人文学の中でも抽象度が上がる「概念そのものを問い直す」領域。國分功一郎の2冊(中動態の世界/暇と退屈の倫理学)を軸に、人生論・死生観へ展開。
・Ⅵ(54〜58冊):最終的に「時間とは何か」「存在するとはどういうことか」「現実とは何か」という形而上学の最深部へ到達する構成とし、入不二基義『現実性の問題』を全体の終着点に置きました。

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