中小企業こそ成果が出る。健康経営の「本質」を、産業医科大学 名誉教授の森晃爾先生の講演から学ぶ。
2026年9月2日に、浜松市・浜松ウエルネス推進協議会主催のセミナー「中小企業こそ成果が出る!組織力を高める経営戦略〜はじめての『健康経営』で実現する持続可能な企業づくり〜」に、産業医科大学 名誉教授・株式会社フォレスツ代表取締役で弊社顧問の森晃爾先生がご登壇されるとのことで、参加してきました!
「どうすれば従業員の参加率が上がるのか」「経営層にどう説明すれば投資として理解してもらえるのか」と悩んでいる健康経営担当者さまに、ぜひ共有したい内容だったのでnoteで整理しました。

健康経営は「証明された理論」ではなく「立場」である
まず森先生が強調していたのは、健康経営という言葉の成り立ちです。2000年代に大阪ガスの産業医だった岡田邦夫先生を中心とした健康経営研究会から始まり、経済産業省の政策と合流して広まったこの概念には、実は最初から「こうすれば必ず成果が出る」とは書かれていないということに触れていました。
書かれている定義は下記の通りです。
健康経営とは「企業が従業員の健康に配慮することによって、経営面においても大きな成果が期待できる」との基盤に立って、健康を経営的視点から考え、戦略的に実践することを意味しています。
今後は、「人という資源を資本化し、企業が成長することで、社会の発展に寄与すること」が、これからの企業経営にとってますます重要になっていくものと考えられます。
つまり「証明されているから正しい」ものではなく、「まず信じて取り組む(覚悟のようなものを持ちながら取り組む)」ことが前提の考え方だということです。
健康経営担当者としてのポイント:社内で健康経営の投資対効果を問われたとき、「因果関係が完全に証明されている」と説明するよりも、「これは従業員のためになると信じて取り組む経営姿勢の問題である」という前提を、経営層と共有しておくことが重要ではないかと問題定義がされていました。
なぜ2年で利益率が上がるのか?「健全な風土」という視点
長年、産業保健・健康経営に携わってきた森先生には、以前から一つの違和感があったといいます。「予防は効果が出るまでに時間がかかる」というのが常識なのに、健康経営優良法人になった企業では2〜3年で営業利益率が改善するというデータが出ている。これは「プログラムに参加→健康になる→人的資本が向上する」という単純な因果では説明がつかない速さです。
そこで森先生が辿り着いたのが、「職場A・職場B」という比較の思考実験でした。
職場A:全員が健診を受け必要な治療も受けている。運動・栄養・休養など自発的な健康行動がある。職位に関係なく前向きなコミュニケーションがあり、無駄な仕事を減らす改善提案が活発で、経営者もそれを支援している。
職場B:健診で精密検査が必要と言われても放置する人がいる(実際に脳卒中や人工透析に至った例も)。喫煙者が多く、若手はカップ麺で昼食を済ませ、残業も常態化。新入社員の早期離職も発生している。
「どちらが健康的か」と聞くと全員が職場Aと答え、「どちらが生産性が高いか」と聞いても、ほぼ全員が職場Aと答えます。つまり健康経営とは、職場Aのような「健全な風土」を作ることそのものだ、というのが森先生の到達した理解です。
この健全な風土があると、
健康増進プログラムへの参加率そのものが自然に上がる
プレゼンティーイズム(出勤していても本来のパフォーマンスが出せない状態)を下げる効果が大きい
職場内・会社と本人の信頼関係(社会関係資本/ソーシャルキャピタル)が高まり、それ自体が生産性向上や、業務上の協力・イノベーションに直結する
という循環が生まれます。だからこそ、プログラムを提供してから健康になるのを待つよりも早く、成果が表れるというわけです。
あとは健康経営は採用に役立つというデータが出ていますが、「職場A」と「職場B」のうち、「うちの会社はいいところだから、◯◯さんもうちにこない?」と声をかけやすいのは、明らかに職場Aではないでしょうか。だからこそ、採用にもポジティブな影響が出ているのかも知れません。
中小企業ほど「風土づくり」は早い
「中小企業は大企業に比べてリソースがない」というのはよく聞く声ですが、健康経営の成果に重要な、風土づくりは、企業規模が小さいほど短期間でできるものなのです。
なぜ中小企業こそ短期間で実現できるかと言うと、トップの思いがそのまま伝わる距離の近さにあるからです。実例として紹介されたのが、愛知県のある運送会社。経営が厳しい中で女性社長が「従業員を幸せにするしかない」と健康経営に踏み切ったところ、最初はドライバーの反発もあったものの、総務のパート社員(社員のお母さん的存在の社員)が「社長があんなに温かいことを言っているのに」と自ら周囲に呼びかけ、短期間で浸透したといいます。
反対に大企業では、ホワイト500を取得しても成果を実感できない企業の多くが、階層構造の中間(管理職層)への浸透に失敗しているケースがほとんどだと森先生はお話されていました。
実践のステップ:「宣言→トップの実践→代弁者→シグネチャープログラム」
風土づくりの入口として、森先生が挙げた基本ステップは次の通りです。
健康宣言・健康方針の策定
トップ自身が健康管理を実践し、模範を示す
代弁者(社内で想いを伝えてくれる人)を作る
職場の安全という土台を整える=産業保健領域の法令遵守をする(命の危険がある状態で、健康経営としての運動推進プログラムを勧められても従業員の心は離れる一方です)
自社の事業に関連性のあるシグネチャープログラム(象徴的なプログラム)を持つ
最後のシグネチャープログラムについては、例えば、カゴメさまを事例にすると「ベジチェック」や、味の素さまだと全社統一食事プログラムが例です。自社の事業内容と結びついた、オリジナリティのあるテーマを選ぶことがポイントとのことです。
なお、プレゼンティーイズムの主要因は健診結果で見えるデータとは関連しません。ほとんどがメンタルヘルスに起因するため、職場環境(心理的な環境)を改善するプログラムを組み込まずにプレゼンティーイズム対策だけを進めても効果は出にくい、という指摘も実務上重要です。

プログラムの「質」より「職場のダイナミズム」
米国のヘルスプロモーション団体HEROが812社のデータを分析した結果として紹介されたのが、以下の知見です。
プログラムの完成度の高さ → 参加率・医療費・健康リスクへの影響はほぼなし
金銭的インセンティブ → 参加率は上がるが、成果(医療費・リスク低減)との関連はなし
管理職のリーダーシップ発揮 → 参加率が上がり、健康リスクも医療費も改善
森先生自身が経験した例として、某企業の九州支店でのウォークラリー参加率が、支店長が自ら参加してリードしたところ、参加率が40%から80%に、さらに翌年に95%へと跳ね上がったという経験をされたお話を紹介されていました。導入するプログラムの品質よりも、職場のダイナミズム(勢い・文化)をどう作るかの方が実務上の要諦だということです。
経営レベルの議論が「偏差値11.7ポイント」の差を生む
もう一つ具体的な数字として紹介されたのが、健康経営の年次評価・改善(マネジメントレビュー)を経営レベルの会議(役員会など)で議論しているかどうかによる差です。
経営レベルで議論していない企業は、業種等を調整しても(健康経営度調査票の)偏差値で11.7ポイント低い
経営レベルの議論に産業医など医療職が同席して議論すると、追加で5.39ポイント高い
偏差値が10ポイント超違うという差は、受験勉強を経験した人であれば感覚的にも大きさが伝わる数字です。健康経営がどのレベルの会議体で「自分事」として扱われているかは、成果に直結する重要な指標だと言えます。
ウェルビーイングと「知覚された組織的支援(Perceived Organizational Support; POS)」
講演の後半では、より発展的な概念として「ウェルビーイング」が取り上げられました。
ヘドニック・ウェルビーイング:喜びや快楽に近い状態(ハピネス)
ユーダイモニック・ウェルビーイング:人生の意味・やり甲斐・生き甲斐(会社として取り組みやすい)
そして、これらを持続させるために重要なのが「場のウェルビーイング」という考え方です。会社が福利厚生やプログラムを一方的に提供するだけでは持続せず、従業員の側に「知覚された組織的支援(POS)」が生まれて初めて、場のウェルビーイングへの貢献が起きるという構造です。
POSは、心理学者アイゼンバーガー氏が1980年代に提唱した概念で、「組織が自分の貢献をどれだけ価値あるものとして評価し、自分のウェルビーイングをどれだけ気にかけているかについて、個人が形成する包括的な信念」と定義されます。POSが高いと、組織コミットメント・仕事満足度・ワークエンゲージメント・業績が高まり、ストレスと離職率が下がるという結果は、国を問わず確認されています。
POSを高める要因として最も因果関係が強いのは「組織の公正性」、次に(組織が大きいほど)「上司の行動」で、報酬はそれよりも影響が小さいとのことでした。
アイゼンバーガー氏自身の指摘として、「警戒心の強い従業員は、ウェルネスプログラムが宣伝目的・医療費削減目的だと感じると、どんなに有益でも参加しない」という言葉も引用されていました。POSが土台にあって初めて、プログラムの有用性が受け止められるということです。

【まとめ】健康経営担当者として、現場に持ち帰りたいこと
森先生の講演を通じて一貫していたメッセージは、「健康経営とは、プログラムの寄せ集めではなく、健全な職場風土を作り、それを従業員が組織的支援として知覚できる状態を作ること」だという点だったように思います。
健康経営担当者として実務に落とし込むなら、次のような問いを自社に投げかけてみる価値がありそうです。
健康経営の年次評価・改善は、どのレベルの会議体で議論されているか
管理職は「健康経営は自分の役割」だと感じているか。そのための知識・予算・権限は与えられているか
自社ならではのシグネチャープログラムはあるか
職場環境・心理的安全性の改善は、プレゼンティーイズム対策と切り離されずに設計されているか
プログラム提供の前に、職場の安全といった「土台(法令遵守)」は整っているか
さらに「企業が従業員の健康に配慮することによって、経営面においても大きな成果が期待できる」と信じて取り組むという、健康経営本来の立場に立ち返ることが重要かも知れません(本当に効果があるの?という疑う目ばかりではなく)。
そんな信念・覚悟があることが、成果につながる風土づくりのスタートラインではないかと感じたご講演でした。
