不断の努力を続ける〜最高の選択肢を選ぶには
「お父さんがいないから?」
何かにつけて言われる言葉は決まっていた。それは、期末時点で学年1位となっても変わらず、最難関の高校に受かっても、仮に遅刻や忘れ物をしたのなら、尽かさず言われた。それどころか、ミニスカートを履いている、髪を染めた。そんな自由な意思決定に従った適法行為にすら非難が及んだ。
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しかし、15年近く続いた罵倒される風景はある日、一変する。
東大ロースクールから1名、北大ロースクールから1名、エクスターンシップで行った東京の弁護士事務所の先生に、弁護士から参議院議員になられた政治家の先生たちの祝賀会に参加させていただくことになった時のことだった。
テレビで拝見させていただいていた先生、メディアのコメンテーターをされている先生、そこにいらっしゃる誰もがご自身の正義感で人生を歩まれていた。それを華やかと呼ぶべきか、偉大と呼ぶべきかは分からない。しかし、自分の価値観の正しさを立証し続けてきた皆々様は、威風堂々としたエネルギーがあった。私はこの方たちの話なら信頼出来ると感じたのだった。
しかしながら、年齢差、性差は簡単に覆らない。近寄りたいが、近寄れない。安物のミニスカスーツに身を包んだ学生の私は、恐縮し、エクスターンシップ先の先生の後ろに隠れてしまっていたのだった。その行為が、自分で自分のチャンスを潰すいかに愚かな行為かを弁えたのは、秘書に間違えられた時だった。
私は秘書ではない。
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人の人格は、体格や声音にも現れるもので、それがその人の雰囲気となる。私には話してみたい思う先生たちが何人もいらっしゃった。
「この先生」
と思った先生のところに、人混みをすり抜けて近づく。
「私、◯◯◯大学ロースクールからきました。エクスターンシップで第◯弁護士会会長の先生にお世話になっております。先生のお話をお聞かせ下さい。」
と。
どうせ忘れられる。ならば、挑戦してみればいいじゃないか。どうせ先生たちに覚えていてもらうことはできないのなら、自分が覚えているために行動しようと思った。
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「医者や弁護士の子供で、無制限に養育費を費やし、お受験をして登ってくる場所に、あなたはどうやって来たの?」
私の周りには何人もの先生が来て下さった。
「地方の公立校から上がってきました。自分で生計を立てて、自分でロースクールの学費も払っています。」
いつの間にか、私の周りは先生たちでいっぱいになった。名刺交換させてもらった方には法務大臣もいらっしゃった。
気がついたときには、エルメスのスーツに身を包んだエクスターンシップ先の先生が、私の後ろで見守ってくださっていたのだ。
私は秘書ではなくなった。
誰が忘れても、私はあの日を忘れない。自分で扉を開けたのだから。
⋯⋯⋯⋯
あの日から10年以上経つ。行き詰まった営業担当者が来る。
契約を結びたい。弊社に不利益とならないようになんとかして欲しいと。その場で行う提案に、営業担当者は、
「そんな方法あるの?すごい、あやとさんは何者?」
と。私はあの頃言われ続けてきた罵倒を聞くことはもうなくなった。
それは不断の努力をあの日からずっと続けてきたからだろう。
⋯⋯⋯⋯
人は他人の悪いとこ探しをする。
少しでも目立つものなら粗探しをし、大きな声で罵倒する。それは人格非難だったり、見た目だったり。時々に応じて違うが、悪くはない部分を罵る。言われた方は自身を喪失し、自分の道が見えなくなる。
非難の的を逃れるため、才を隠す。
果たしてそれで良いのだろうか?
才を誇示する必要はない。しかし、才があるのなら努力をしなければならない。それは本人の願望如何を問わず、社会的責任としてである。
目立たないように逃げ行く先は、どこだろう。下を見ていれば人はどこまでも落ちていく。
それよりも、才を発揮し、誰も何も言えないところまで登ることが必要なのではないか?
⋯⋯⋯
生きていれば体調不良にもなるし、付き合いで行かなければならない会もある。時間を自分の思い通りにはできない。それでもどんな時も私は続けてきたと自負している。たとえ誰に認められなくとも手を止めることはなかった。
いつも辞める言い訳はあった。意地悪される。セクハラされる。お金がない。しかし、辞める場所には行ってはいけないのである。許せない他人に自分の生死の選択を預けるなんてあってはならない。
如何なる状況においても辞めずに努力し続けること、諦める選択肢は取らないこと、それが分岐点となる重要な選択だろう。
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