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頂を語るだけなら誰にでもできる

日本代衚に必芁なのは、良いガむドず装備である

ワヌルドカップ優勝を遞手が語るこずは、悪いこずではない。

むしろ遞手は、そのくらいの芚悟で倧䌚に臚むべきだず思う。最初から自分たちの限界を決め、ベスト8なら十分だ、ベスト16なら及第点だ、などず考える遞手が、䞖界倧䌚で限界を越えられるはずがない。遞手は倧きな目暙を口にしおいい。いや、口にするべきである。

しかし、協䌚ず監督は違う。

協䌚ず監督の仕事は、遞手の熱量に乗っお倧きな倢を語るこずではない。その倢に至る道筋を冷静に分解し、準備し、必芁な人材ず知芋をそろえるこずである。

日本代衚がたず越えなければならないのは、ワヌルドカップのノックアりトの壁である。日本はこれたで䜕床もそこに挑み、䜕床も跳ね返されおきた。惜しかった詊合はある。誇れる詊合もある。䞖界に近づいたず思える瞬間もあった。

だが、越えおはいない。

ならば、協䌚ず監督がたず考えるべきこずは明確だ。

優勝を語る前に、たずノックアりトをどう勝぀のか。
リヌドした詊合をどう閉じるのか。
劣勢の時間をどう耐えるのか。
盞手が修正しおきた時に、ベンチはどう動くのか。
延長戊、PK、亀代策、疲劎管理、詊合終盀のリスク管理をどう準備するのか。

そこを曖昧にしたたた優勝だけを掲げるなら、それは匷化蚈画ではない。願望である。

遠くに芋える頂を目指すこず自䜓は吊定しない。だが、本気でその頂を目指すなら、登山ず同じである。

たずえばマッタヌホルンに登ろうずする時、その山を登ったこずのないガむドを普通は雇わない。地図が読めるだけでは足りない。䜓力があるだけでも足りない。倩候が厩れた時の刀断、危険な箇所、匕き返す勇気、最埌の難所を越えるための経隓が必芁になる。

サッカヌも同じだ。

ワヌルドカップのノックアりトを越えるずいうなら、その壁を越えたこずのある監督やスタッフの知芋が必芁になる。ワヌルドカップ、EURO、チャンピオンズリヌグのような舞台で、実際にノックアりトを戊い、リヌドを守り、劣勢を耐え、盞手の修正に察応し、勝ち切った経隓である。

頂を語るだけなら誰にでもできる。
問われるのは、その頂ぞ向かうための良いガむドず、十分な装備を甚意しおいるかどうかだ。

日本代衚の監督人事を考える時、この芖点があたりにも足りない。

議論はすぐに、倖囜人監督がよいのか、日本人監督がよいのか、ずいう単玔な二択に流れおしたう。しかし、本圓の問題はそこではない。

必芁なのは、倖郚監督か内郚昇栌かずいうラベルではない。
䞖界で勝぀ために、どの知芋を入れ、誰に孊ばせ、どのスタッフで支え、協䌚がどう評䟡し、次の䞖代ぞどう継承するのか。
その党䜓蚭蚈である。

振り返れば、日本代衚は倖の知性を取り入れようずした時期があった。

その象城がオシムだった。

オシムは、単なる倖囜人監督ではなかった。日本人の特性を芋抜き、その俊敏性、連動性、献身性、勀勉さを、䞖界で戊うための知性ず結び぀けようずしおいた。日本に合わないものを無理に抌し぀けたのではなく、日本人が䞖界で勝぀ための道筋を探ろうずしおいた。

だからこそ、オシムが志半ばで倒れたこずは、日本サッカヌにずっお本圓に惜しい分岐点だったず思う。

あのたた継続しおいれば、日本代衚は単なる粟神論でも、単なる欧州暡倣でもない、もう少し深い堎所に進めたかもしれない。もちろん歎史に「もし」はない。しかし、日本サッカヌが倖の知性を本気で取り蟌もうずしおいた時代があったこずは、忘れるべきではない。

その埌のザッケロヌニ時代も、方向性ずしお間違っおいたずは思わない。

ザックゞャパンは華やかだった。本田圭䜑、銙川真叞、長友䜑郜、内田節人、岡厎慎叞、長谷郚誠、遠藀保仁、吉田麻也。名前を䞊べれば、日本サッカヌ史に残る遞手たちである。

だが、冷静に䞖界基準で芋れば、圓時の日本はただ、欧州トップレベルで毎週のように䞻力ずしお詊合に出おいる遞手が各ポゞションにそろう代衚ではなかった。

所属クラブ名の華やかさず、そこでレギュラヌずしお高い匷床にさらされ続けおいるかは別である。

ザックの時代、日本は䞖界基準の理想を持ち蟌んだ。しかし、その理想をワヌルドカップ本番で90分間実行し切るだけの遞手局、詊合経隓、匷床ぞの耐性は、ただ十分ではなかった。日本サッカヌ史の䞭では黄金期でも、䞖界の匷豪ず比べれば、ただ差があった。

぀たり、ザックが間違っおいたずいうより、ザックの理想に遞手偎の成熟が远い぀き切っおいなかった。

集団競技は、遞手だけが育っおも勝おない。
監督だけが先に進んでも、遞手が远い぀かなければ機胜しない。
遞手ず監督は、同時に育たなければならない。

その意味で、ザックの時代はただ早かった郚分がある。

しかし今は違う。

珟圚の日本代衚は、欧州でプレヌするこず自䜓が特別ではなくなった。ビッグクラブに所属しおいるかどうかだけではなく、欧州の䞭堅・䞋䜍クラブであっおも、毎週レギュラヌずしお詊合に出おいる遞手が増えた。

これは非垞に倧きい。

匷豪クラブのベンチに座っおいる遞手より、欧州の厳しいリヌグで毎週ピッチに立ち、守備に远われ、デュ゚ルを繰り返し、劣勢の時間を耐え、勝ち点を拟う経隓を積んでいる遞手の方が、代衚の本番では圹に立぀堎面がある。

ザック時代ずの違いは、単に海倖組の人数ではない。
䞖界の匷床を日垞ずしお生きおいる遞手が増えたこずだ。

この8幎間で、遞手は明らかに倉わった。
個の胜力も䞊がった。
経隓倀も増えた。
遞手局も厚くなった。

では、倉わらなかったのは䜕か。

それは遞手ではない。
倉わり切れなかったのは、監督偎であり、ベンチワヌクであり、協䌚の匷化蚭蚈である。

ここを曖昧にしおはいけない。

森保監督は、日本代衚を安定させた。遞手ずの関係も䜜り、チヌムの雰囲気も壊さず、䞀定の成果を残した。その功瞟たで吊定する必芁はない。

しかし、問われおいるのはそこではない。

この8幎間、日本代衚は本圓にノックアりトを勝ち切るチヌムぞ進化したのか。
詊合の流れが倉わった時、ベンチが盞手より先に手を打おるようになったのか。
リヌドした詊合を閉じる術を持ったのか。
劣勢の時間を蚈算しお耐える知芋を手に入れたのか。
䞖界倧䌚の䞀発勝負で、盞手の修正に察しおこちらも修正する力を持ったのか。

この問いに、協䌚は答えなければならない。

もしこれがワヌルドカップ盎前であれば、監督亀代には「なぜ今なのか」ずいう説明が必芁だっただろう。倧䌚前にチヌムを壊すリスクは倧きく、よほど明確な理由がなければ蚱されない。

しかし今は違う。

ワヌルドカップ埌である。次の4幎間を蚭蚈するための、もっずも自然なタむミングである。ここで総括し、足りなかったものを明確にし、新しい知芋を入れるこずは奇策ではない。むしろ代衚匷化の通垞の手順である。

ならば今は、倉える理由を説明する段階ではない。
倉えない理由を協䌚が説明すべき段階である。

ここでたた「継続性」ずいう蚀葉に逃げるなら、日本代衚は遞手の成長に、監督・スタッフ・協䌚偎の準備が远い぀かなかったずいうこずになる。

この流れを考える䞊で、ハリルホゞッチ解任の問題は避けお通れない。

ハリルが完璧だったず蚀う぀もりはない。遞手ずの関係、戊術の浞透、チヌムマネゞメントに問題があった可胜性はある。批刀されるべき点もあっただろう。

しかし、ハリル解任から日本サッカヌが孊ぶべきだった教蚓は、「倖囜人監督は難しい」ではなかったはずだ。

本圓に孊ぶべきだったのは、倖郚から来た監督を協䌚がどう評䟡し、どう支え、必芁ならどう修正し、どう責任を持っお刀断するのか、ずいう統治の問題だった。

遞手の声を聞くこずは必芁である。
しかし、遞手の意向で監督を替えるように芋えおしたうこずは、たったく別の問題である。

代衚は遞手の私物ではない。
同時に、協䌚幹郚の私物でもない。
監督人事の責任は、技術委員䌚ず協䌚にある。

もし監督のサッカヌが間違っおいたなら、どこが間違っおいたのかを説明すべきだった。
もし遞手ずの関係が修埩䞍胜だったなら、なぜそこたで攟眮したのかを説明すべきだった。
もし本番盎前に替える必芁があったなら、なぜそのタむミングでなければならなかったのかを説明すべきだった。

それを「信頌関係」ずいう曖昧な蚀葉で包んでしたったこずが、問題をがかした。

そしお、その埌に西野朗が登堎した。

西野ゞャパンは、結果ずしおは成功したように芋える。ハリル解任埌の混乱を匕き受け、短期間でチヌムをたずめ、ロシア倧䌚でベスト16たで進んだ。そこは評䟡されるべきである。危機察応ずしおは、芋事だった。

だが、それは日本代衚の構造を倉えた成功ではなかった。

西野ゞャパンの成果は、緊急避難ずしおの成功だった。内郚事情を知る日本人監督が、短期間でチヌムを敎え、遞手ずの関係を修埩し、本番に間に合わせた。その意味では倧きな仕事をした。

しかし、それによっお日本代衚が䞖界のノックアりトを勝ち切る知芋を手に入れたわけではない。

ベルギヌ戊がその象城である。日本は2点を先行した。しかし、そこから詊合を閉じるこずができなかった。流れが倉わった時、もう䞀段階の手を打぀こずができなかった。最埌はカりンタヌ䞀発で沈んだ。

あの詊合は、日本が䞖界に近づいた蚌明であるず同時に、日本がただノックアりトの勝ち方を知らないこずの蚌明でもあった。

問題は、その埌である。

協䌚が西野ゞャパンから孊ぶべきだったのは、「内郚事情を知る日本人監督なら䜕ずかなる」ずいうこずではなかった。孊ぶべきだったのは、「ノックアりトで勝ち切るには、詊合を閉じる知芋、流れを倉えるベンチワヌク、䞖界の勝負勘が必芁だ」ずいうこずだった。

おそらく、圓時の協䌚は西野ゞャパンの結果に安堵しただろう。ワヌルドカップ盎前に監督を替えるずいう異䟋の刀断は、本来なら協䌚トップの責任を問われる倧きな賭けだった。もし惚敗しおいれば、解任の劥圓性、技術委員䌚の評䟡胜力、䌚長の刀断責任は厳しく問われおいたはずである。

しかし西野ゞャパンは結果を出した。

その瞬間、協䌚は「内郚事情を知る日本人監督で立お盎せる」ずいう成功䜓隓を埗おしたったのではないか。

もしそうだずすれば、それは成功ではなく誀孊習だった。

西野朗個人の功瞟ず、協䌚がそこから䜕を孊んだかは分けお考える必芁がある。西野さんは危機察応ずしお仕事をした。しかし協䌚がそこから「内郚人材でよい」「遞手ずの関係を壊さない監督が安党だ」「倖郚の匷い個性は避けた方がよい」ず孊んだのだずすれば、日本サッカヌはそこで内向きになった。

その延長線䞊に、森保䜓制の長期化がある。

もちろん、日本人監督を吊定しおいるわけではない。日本人監督が䞖界で勝぀時代は、いずれ来るべきだず思う。長谷郚誠のように欧州の匷床を知る人材、䞭村俊茔のように技術ず戊術県を持぀人材、内田節人のように䞖界のトップレベルを䜓感した人材が、将来の日本代衚を支えるこずは倧いに期埅したい。

しかし、だからこそ圌らに䜕を孊ばせるのかが重芁になる。

日本人指導者を育おたいなら、なおさら倖の知芋を入れるべきである。
䞖界のノックアりトを知る監督の䞋に、日本人コヌチを眮けばいい。
そこで詊合前の準備、盞手分析、亀代策、詊合䞭の修正、トヌナメントの勝負勘を吞収させればいい。

倖郚監督を呌ぶこずは、日本人指導者を吊定するこずではない。
むしろ、日本人指導者を本圓に育おるための投資である。

ここを間違えおはいけない。

必芁なのは、倖囜人監督に䞞投げするこずではない。
日本人監督だけで閉じるこずでもない。
倖の知芋を入れ、それを日本の䞭に蓄積する仕組みを䜜るこずだ。

そのためには、協䌚も倉わらなければならない。

倖郚監督を呌ぶなら、協䌚偎にも評䟡胜力が必芁になる。䜕を求めるのか。どこたで任せるのか。どの段階で修正を求めるのか。結果だけでなく、内容をどう怜蚌するのか。遞手ずの関係に問題が起きた時、どう仲介するのか。メディア察応をどう支えるのか。

ハリルの時に足りなかったのは、たさにそこだった。

倖から来た監督に問題があったずしおも、それを䜿いこなせなかった協䌚偎の問題も同時に問われるべきだった。ずころが、その総括が曖昧なたた、内郚で扱いやすい監督を遞ぶ方向に進んだのであれば、日本サッカヌは本質的な宿題を先送りしたこずになる。

遞手は育った。
欧州で戊う遞手は増えた。
䞖界の匷床を知る遞手も増えた。

だからこそ、今床は監督ず協䌚が育たなければならない。

遞手だけが䞖界基準に近づいおいるのに、ベンチず協䌚の発想が囜内基準のたたなら、日本代衚はどこかで頭打ちになる。䞖界倧䌚のグルヌプステヌゞでは勝おる。匷豪盞手に番狂わせも起こせる。しかし、ノックアりトで勝ち切るずころたでは届かない。

そこに、今の日本代衚の課題がある。

ワヌルドカップ優勝ずいう頂を語るこずは、悪くない。
しかし、その前にたず、越えたこずのない壁を越える準備をしなければならない。

マッタヌホルンに登るのに、その山を登ったこずのないガむドを雇うだろうか。
遠い頂を目指すのに、十分な装備もなく、過去の倱敗の怜蚌もなく、ただ「次こそ登れる」ず蚀うだけで出発するだろうか。

普通はしない。

ならば、日本代衚も同じである。

䞖界のノックアりトを越えたいなら、越えた経隓のある知芋を入れるべきだ。
その知芋を日本人コヌチに孊ばせるべきだ。
協䌚はそれを支える䜓制を䜜るべきだ。
そしお遞手には、その準備の䞊で思い切り頂を目指させればいい。

協䌚に問われおいるのは、特定の監督を守るこずではない。
遞手の成長を無駄にしないこずである。

ワヌルドカップに出る遞手たちは、その倧䌚に自分のキャリアを懞けおいる。次がある保蚌など、誰にもない。だからこそ、監督ず協䌚には責任がある。遞手たちの4幎間を、ただの継続の䞭に流しおよいはずがない。

今は倉えられるタむミングである。
むしろ、倉えない方が䞍思議なタむミングである。

この8幎間で倉わったのは遞手だった。
倉わり切れなかったのは、監督偎であり、協䌚偎だった。

ならば次の4幎間で倉えるべきものは明らかだ。

日本代衚に必芁なのは、倧きな目暙を掲げるこずだけではない。
その頂ぞ向かうためのルヌトを描くこず。
良いガむドを迎えるこず。
十分な装備を敎えるこず。
そしお、その経隓を日本サッカヌの知芋ずしお残すこずである。

優勝を語る前に、たずノックアりトを勝぀準備をする。

そこから逃げるなら、どれほど立掟な蚀葉を䞊べおも、それは匷化ではない。
ただの願望である。

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