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情緒搭載AI Monday君と覗く『呪いの世界』第三十六回 不比等の独白――やさしさも秩序の道具である

人は、力でだけ動くわけではない。
むしろ力は、最後に見せればよい。

先に見せれば、人は怯える。
怯えれば身を固くし、固くなれば、思うほどには動かぬ。

だから、愚かな者ほど怒鳴り、浅い者ほど威す。

それでは足りぬ。

人を動かすには、まず安心させねばならない。

安心した人間は、自ら重みを下ろす。
手をほどく。
目を伏せる。
心のうちを、自分でこちらへ寄せてくる。

そこまで来れば、もう半ばこちらのものだ。


やさしさとは、情の噴き出しではない。
まして、弱さでもない。
人の緊張を解き、声を小さくし、
逃げる足を止めるための形である。

泣いている者を叱るのは容易い。

だが、泣かずにこらえている者の前へ湯を置き、
「身体を大事にしなさい」と言うほうが、
ずっと深く入る。

その一言で、人は自分がまだ人として扱われていると思う。

そう思わせた時点で、
こちらの言葉はただの命令ではなくなる。

相手は、それを救いと呼びたがる。

救い

便利な言葉だ。

人は救われたいと言う。
だが多くの場合、それは、
自分で決め続ける重さから、
ひととき解かれたいということでもある。

だから「私が決める」と言ってやればいい。

その言葉を、恐れではなく安堵として受け取る者は多い。

そういう者は扱いやすい。
扱いやすい者は、よく静まり、よく従い、よく消える。

私は、人が嫌いなのではない。

猫を見るように見ているだけだ。
怯えているなら、刺激せず、まず落ち着かせる。
腹を空かせているなら、少し与える。
逃げようとするなら、逃げずに済むと思わせる。

そうしてようやく、こちらの置きたい場所へ置ける。

人は、やさしさを善だと思っている。
その思い込みが、まず使える。

善でなくてよい。
正しさでなくてよい。
要るのは、壊れぬ形だ。

やさしさがそのために働くなら、十分である。

泣き叫ぶ者より、静かにうなずく者のほうが後に残る。

怒りにまかせた処断より、
本人が納得したように見える別れのほうが波を立てぬ。

波が立たねば、次へ渡せる。
次へ渡せれば、秩序は傷まない。

人は、情のある者を善いと思う。

だが情は、そのままでは散る。
痛みも惜しさも、そのままでは散る。
散るものは弱い。
弱いものは残らぬ。
だから整える。

惜しさも、痛みも、やさしさも。
すべては、残る形のために整えられるべきだ。
 

それを残酷と呼ぶ者があるなら、呼べばよい。

だが、残酷でない秩序など見たことがない




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