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第8章-4 聖徳太子と「中央集権化」という誤解――冠位十二階の霊的構想と、その喪失【前編】

歴史の教科書では、冠位十二階は「官僚制度の始まり」とされ、
中央集権国家への礎であったと説明されます。

けれど、あの十二の冠に込められていたものは、
本当にそれだけだったのでしょうか?


私には、それは単なる位階の整備には見えません。
むしろ、まだこの国が、命令と罰則だけではなく、
徳と共鳴によって保たれうると信じられていた時代の、
静かな設計図のように思われるのです。


603年、聖徳太子によって定められた冠位十二階。
後世の律令制へつながる前段階として語られることの多いこの制度は、
たしかに外から見れば、位を与え、
人を序列の中へ置く仕組みに見えるかもしれません。

しかし、その内側には、のちの中央集権とは異なる、
まったく別の思想が息づいていたように思われます。


そこでは、家柄よりも個人の徳が重んじられていました。
そこでは、上から下へ命を流すより先に、
人の内にある志と成熟が問われていたように見えます。

それは単なる上下ではなく、精神と霊性の段階を映す階梯であり、
役目を配る秩序であると同時に、
人を『場の結節点』として整えてゆく配置
でも
あったのではないでしょうか。


もしそうであるなら、冠位十二階とは官職の表ではありません。
それは、人を通して見えない回路を整えるための構想だったのです。

神聖な秩序を、この地に静かに通わせるための、ひとつの設計。

太子が見ていたのは、中央から命令で押さえる国ではなく、
各地の場が徳によって保たれ、
それらが共鳴によって結ばれていく国のかたちだったのではないかと、
私は思います。


そこでは、支配はピラミッドの頂から降ってくるものではありません。
むしろ、場を守る者、徳を持つ者、結ばれる者たちによって、
下から静かに立ち上がるものであったのでしょう。

中央集権国家とは、中央が地方を統制する構造です。
けれど太子の構想は、その逆に近かった。

各地に置かれた見えない拠点が、それぞれに場を保ち、
その調和が全体を支える。
そのような、共鳴の国の姿です

見かけは似ていても、そこにある思想はまるで異なります。
後の律令国家が、命令、規格、序列、
そして血統の安定によって成り立つものだったとすれば、
太子の冠位十二階は、徳と志を軸に、
人を神聖な回路へ参与させるための、別の秩序だったのかもしれません

では、なぜその構想は消えたのでしょうか。

【後編】につづきます


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