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涙で仕事の評価は変わらない。

少し刺激的なタイトルだと思う。

「無能な人ほど、よく泣く。」

もちろん、泣く人が無能だと言いたいわけではない。

悔しくて泣く人もいる。

責任感が強すぎて泣く人もいる。

本気で仕事をしているからこそ、涙が出ることもある。

問題はそこではない。

私が経営をしていて感じるのは、

仕事の問題を指摘された瞬間に、議論ではなく感情で場を支配しようとする人がいる

ということである。

できていない。

期限を守れていない。

同じミスを繰り返す。

周囲に負担をかけている。

それを指摘すると、泣く。

すると不思議なことが起きる。

さっきまで、

「なぜ仕事ができていないのか」

という話だったのに、

いつの間にか、

「この人を傷つけてしまった」

という話に変わる。

これが組織では非常に厄介である。

泣いた瞬間、論点が変わる

例えば上司が言う。

「この業務、3回目だけどまだできていないよね」

すると泣く。

周囲が気を遣う。

「言い方がきつかったんじゃないですか」

「本人も頑張っています」

「そこまで言わなくても」

そして最後には、

指導した側が悪者になる。

しかし考えてほしい。

最初の論点は何だったのか。

仕事ができていないこと

である。

そこを解決しなければならない。

泣いたかどうかは、本来別問題だ。

それなのに感情が入った瞬間、事実確認が止まる。

これを繰り返すと、

組織はどんどん弱くなる。

優秀な人は、泣く前に「次」を考える

仕事のできる人にも、当然失敗はある。

叱られることもある。

悔しいこともある。

しかし反応が違う。

「何が悪かったのか」

「次はどうすればいいのか」

「仕組みをどう変えるか」

「再発防止をどうするか」

と考える。

つまり、

感情を処理する前に、問題を処理する。

ここが大きい。

一方、仕事のできない人ほど、

指摘された内容よりも、

「自分がどう感じたか」

を中心に話し始める。

「悲しかったです」

「一生懸命やったのに」

「そんな言い方をされるとは思いませんでした」

もちろん感情は大切だ。

しかし仕事では、

一生懸命だったことと、

結果が出たことは別である。

「頑張りました」は成果ではない

これは経営をしていると、何度もぶつかる問題である。

「頑張りました」

「一生懸命やりました」

「私なりにやりました」

分かる。

しかし会社は、

努力量だけでは評価できない。

患者さんに薬を間違えて渡した。

でも一生懸命だった。

予約を間違えた。

でも一生懸命だった。

請求を忘れた。

でも一生懸命だった。

それで済むだろうか。

済まない。

仕事では、

努力はプロセスであって、免罪符ではない。

頑張っていることは評価する。

だが、できていないことは改善する。

この二つを分けなければならない。

泣くことが「防御」になってしまう人

もっと厄介なのは、

本人に悪気がなくても、

泣くことが自己防衛の手段になっている場合である。

失敗を認めるのは苦しい。

能力不足を認めるのも苦しい。

だから感情が先に出る。

すると周囲が慰めてくれる。

問題について深く追及されなくなる。

結果として、

本人は変わらない。

そしてまた同じミスをする。

これは本人にとっても不幸だ。

なぜなら本当に必要なのは慰めではなく、

成長するためのフィードバック

だからである。

短期的には優しく見える対応が、

長期的には本人の成長を止めてしまう。

経営者が涙に負けると、優秀な人が辞める

ここが最も怖い。

泣く人に配慮する。

できない人に仕事を減らす。

注意すると落ち込むから言わない。

すると誰がその仕事をやるのか。

できる人である。

「○○さんは苦手だから、あなたお願い」

「○○さんは傷つきやすいから、フォローしてあげて」

これが積み重なる。

その結果、

できる人ほど仕事が増える。

できない人ほど守られる。

そしてある日、

本当に優秀な人が静かに辞める。

これは最悪の組織である。

泣く人を守りすぎる組織では、泣かずに頑張っている人が報われない。

経営者はここを見なければならない。

本当に強い人は「泣かない人」ではない

誤解してほしくない。

泣かないことが強さではない。

泣いてもいい。

悔しくて泣いてもいい。

トイレで泣いてもいい。

家に帰って泣いてもいい。

大切なのはそのあとである。

「では、どう変えるか」

ここに戻って来られるか。

本当に強い人は、

感情がない人ではない。

感情を持ちながら、それでも事実から逃げない人

である。

上司も「泣かせた=悪」ではない

最近は指導する側も難しい。

少し厳しく言えば、

「パワハラではないか」

と言われる。

もちろん暴言や人格否定は論外である。

「お前はバカだ」

「使えない」

「辞めろ」

こんな言葉は指導ではない。

しかし、

「この仕事はできていない」

「期限を守れていない」

「同じミスが続いている」

「このレベルでは任せられない」

という事実を伝えることまで避けてしまえば、

組織は教育できなくなる。

人ではなく、仕事を評価する。

人格ではなく、行動を指摘する。

ここは明確に分けるべきだ。

会社は「感情を否定しない。しかし評価は変えない」

私はこれが一番いいと思う。

泣いている人に、

「泣くな」

と言う必要はない。

「つらかったね」

でいい。

しかし、そのあとで、

「では仕事の話に戻ろう」

と言う。

これが大事だ。

涙が出たことと、

仕事ができていないことは、

両方同時に存在する。

だから、

感情には配慮する。評価は事実で行う。

これが公平な組織である。

一番評価されるべきなのは、静かに改善する人

組織にはいろんな人がいる。

よく泣く人。

よく怒る人。

よく不満を言う人。

よく自分の頑張りを説明する人。

しかし経営者が一番見なければならないのは、

目立たず、

言い訳せず、

問題があれば直し、

昨日より今日、

今日より明日と、

淡々と良くしていく人である。

こういう人はあまり騒がない。

だから見落とされやすい。

でも、

会社を支えているのは、たいていこういう人だ。

涙ではなく、変化を見よう

無能な人ほどよく泣く。

この言葉は少し乱暴だ。

本当はこう言った方が正確かもしれない。

成長しない人ほど、事実より感情を前に出す。

そして、

成長する人ほど、

感情を抱えながらも事実を見る。

経営者が見るべきなのは涙の量ではない。

声の大きさでもない。

「頑張っています」という言葉でもない。

見るべきなのはただ一つ。

指摘されたあと、その人が変わったか。

泣いてもいい。

落ち込んでもいい。

悔しがってもいい。

ただし、

仕事の評価を変えるのは涙ではない。

行動である。

そして組織が守るべきなのは、

一番泣く人ではない。

一番改善し続ける人である。

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