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インタビュー「若手蒐集家の〝生態〟を探る」貝沼大樹(美濃桃山陶コレクター)

 本年1月、人気番組「開運! なんでも鑑定団」(テレビ東京)に、一風変わったコレクターが登場した。安土桃山時代から江戸初期に焼かれた美濃焼のうち、織部焼と志野焼をコツコツと集める男性――。いかにも「なんでも鑑定団」らしいが、その男性の年齢は35歳(当時)。都内の会社員・貝沼かいぬまもとさんだ。

 出品したのは、織部焼と志野焼の香合こうごう(香を入れる容器)を合わせて8点。300万円の本人評価額に対して、鑑定士の中島なかじませいすけ氏が提示した鑑定価格はなんと500万円。総評では「深い教養と優れた審美眼に支えられた、実に見事なコレクションと言える」とのコメントが添えられた。

「教養」や「審美眼」と聞くと、日常とかけ離れた文化的な背景や環境を想像してしまうが、貝沼さんは昨年9月に第一子が誕生して以降、妻から〝陶器購入禁止令〟が出されていたという。つまり、普通の会社員の趣味が、中島氏をして「深い教養と優れた審美眼」と言わしめたのだ。

「アジアと芸術digital」では、これまでにさまざまなアーティストや専門家、編集者などのインタビュー記事を発信してきたが、コレクターが登場したことはなかった。しかし、アートの幅は広い。今回は若きコレクターの〝蒐集品〟と〝生態〟に迫ることとする。

取材・構成:大森貴久、高橋伸城
写真:水島洋子



入口は社会科の授業

―― アートのなかでも、古美術に対しては高いハードルを感じる人が少なくないはずです。はじめに、貝沼さんの蒐集の対象について教えてください。

貝沼 古美術の世界に「美濃桃山陶」という言葉があります。16世紀末から17世紀初頭までの桃山から江戸初期にかけて、美濃国(現在の岐阜県南部)で焼かれた陶器を指します。

 美濃焼には、おもに志野・織部・黄瀬戸・瀬戸黒などがあり、私が集めているのはそのうちの志野と織部です。特に好きなのは織部の香合です。

―― 貝沼さんって、どんなご家庭で育ったのですか。やはり、ご実家にも古美術品がたくさんあったのですか。

貝沼 実家に陶器はなかったですね。母方の祖父が少し持っていたくらいです。関心を持ったきっかけは家庭ではなくて、小学校の社会科の授業なんですよね。副読本に学習便覧ってあったじゃないですか。あれに備前焼のことが書かれてあって、あるときに母親に言ったらしいんです。「備前焼が欲しい」って。それで買ってもらったのが、この備前の徳利です。岩本いわもと哲也てつやさんという作家の作品です。

岩本哲也作 備前徳利

―― 小学生で備前焼の徳利……。

貝沼 ただね、私、下戸げこなんですよ(笑)。もしも酒が飲めたら、いまの蒐集も大変なことになっていたと思います。古い陶磁器のコレクターって、普段使いするために酒器を集めたりするんです。

 話を戻すと、小学生で備前の徳利を買ったわけですが、使い道はないわけですよね。だから、ずっと水を入れて眺めていました。お店で購入するときに、「備前は水を入れて使っていくうちに景色(色や斑紋など、器の表面に現れる表情)が変わっていく」って説明を受けたので。

 思えば、私はいまも織部や志野の香合なんかを使うことってなくて、ただ好きだから買うというスタイルなんです。鑑賞陶器の蒐集という趣味は、小学生の頃に初めて買ったこの徳利のときから一貫しているのかもしれません。


人間として深い……

―― 初めは備前の徳利ということですが、それがどうして美濃桃山陶に辿り着いたんですか。

貝沼 あまりはっきりとしたことは覚えていないんですよね。高校生の頃は貯めたお小遣いで、少しずつ備前焼を買い集めていました。ただ、その頃に買っていたものは価格で言うと、数千円で購入できるものでした。

 それが、大学生になると親の監視がなくなりました。私は愛知で生まれ育ったんですが、関西の大学に進学したので。その頃から、Yahoo!オークション(以下:ヤフオク)で数万円のものを買うようになって、いつの間にか美濃桃山陶に辿り着いていたという感じです。

 ヤフオクを見ていると、多くの入札があって高騰するものがありますよね。私が見ていた品物のなかに美濃桃山陶が多かったんでしょう。それでいつしか、古い美濃焼に関心を持つようになったんだと思います。そして、「いいものは価格が落ちないから、貯金と同じだ」という弁明のもとに、これまで蒐集を続けてきてしまったという感じです。

 日本で焼かれた古い陶磁器で言えば、他にも備前や唐津、伊万里なんかがあるんですが、私は美濃焼に絞っています。自宅に飾り棚があって、そこに収まらない量は買わないと決めているからです。美濃焼以外に手を出してしまうと、大変なことになってしまうんで。

 でも、不思議ですよね。私は一時期、麻雀をよくやったんですが、競馬や麻雀が趣味と言っても誰も尊敬してくれないのに、古美術の蒐集と言うと、途端に日本文化に貢献しているだとか、人間として深いだとか、褒めてもらえるんです(笑)。私はそんなに美しい生き方をしているわけじゃないんですが……。

―― ヤフオクの話が出ましたが、ネットでもよく買われるんですか。

貝沼 買いますよ。例えば、この桃山期から江戸初期にかけての赤織部の辻堂香合は、「古美術てつ」(東京・八王子市)というお店が、ヤフオクに出品しているものでした。古美術哲は美濃桃山陶の界隈では有名な美術商です。

赤織部 辻堂香合

 箱書や添状を見る限り、江戸中期の茶人である土岐ときさん(1639-1732)による箱書のようです。

 織部焼は桃山陶のあとにも、いわゆる〝写し〟がつくられ、よく知られているのは江戸時代末期の復興織部(再興織部)です。私がこの辻堂香合を古いものだと判断した理由はいろいろあるのですが、そのなかでちょっと面白いのが、箱にある「古織部」という書付です。もちろん、それだけで年代を判断したわけではありません。ただ、これは経験則なんですが、「織部」や「赤織部」ではなく、現在ではあまり見かけない「古織部」という呼び方が使われている。箱や添状の時代感なども含めて見たうえで、そこも一つの判断材料として、たぶん古いものだろうと踏んだわけです。

――「踏んだ」ということは、断言はできないわけですか。

貝沼 これについては断言はできませんね。いろいろな観点から「おそらく大丈夫だろう」という感覚です。もちろん、ネットだけで買っているわけではなく、老舗の古美術商で購入することもあるので、いろいろと勉強をさせてもらっています。ただし、いわゆる一流の古美術商の誰もが憧れる王道作品ばかり買うだけの財力はありません。ですので、一流には届かない作品や、例外的な作品も買ったりします。

黒織部 筒茶碗

 例えば、筒茶碗はそもそも珍しい器形なんですが、これは茶箱一式に納められている小ぶりな旅茶碗だったので、私でもなんとか手が届きました。黒織部の筒茶碗で、こうした小ぶりなものはかなり珍しいと思います。

 こういう作品のなかには、美術館の収蔵品や、大手出版社が刊行している大部の図録などに掲載されている〝評価が定まった王道のもの〟のみを見ている方からすると「ん?」と違和感を覚えるものも出てきます。私みたいに普通の会社員が美濃桃山陶という単価が高い分野の蒐集をする場合は、発掘品などを記載した図録などのニッチな資料にもしっかりと目を通して、選択の幅を広げておかなければいけません。

 ただ、資料を読めば読むほど、品物を見れば見るほど、多様なものが出てきてしまうので、よく分からなくなってきます(笑)。分かった気になっては、分からなくなるというのを繰り返しています。


ネットで買って大丈夫?

―― おもに香合を集めるようになったのには、何か理由があるんですか。単に好きだったからなのか、価格の問題や、競争率の問題があったのか。

貝沼 初めて美濃桃山陶の香合に興味をもったのは、古美術哲がヤフオクに出品しているものを見たときなんですが、集め始めたのはなんででしょうね……。もしかしたら、豆本や蓋物が好きな母親のDNAを受け継いだのかもしれません。

 あとは、価格の問題はありますね。香合はいま、全体的には相場が下がっています。だから私のような会社員でもギリギリ手が出せるんです。ちなみに、香合のコレクターは私以外にいないことはありませんが、それほど多くはないと思います。

総織部 州浜型香合

 織部の香合とひとことで言っても、いろいろな種類があるんです。例えばこれは全体にりょくゆうが掛かった総織部と呼ばれるものです。織部といえば、大胆な幾何学模様や、ユーモラスな花鳥の意匠が特徴的なのですが、絵付けがない総織部は皿などが多いです。総織部の香合は美術館所蔵の有名な作品もあるのですが、市場に出てくることは稀です。

―― ネットで購入となると、詳しくない人にとっては警戒心が大きくなるような気もします。怪しい業者に遭遇したことはありますか。

貝沼 桃山として売られている茶碗に、あとから付されたのではないかと思われる不自然な箱書が付いている出品は結構あります。ただし、そういう業者の出品物のなかにも、ときどきいいものがあるんです。それが難しいところです。

 私も偽物は普通に買っていますよ。特に最初の頃はだいぶやられました(笑)。でも、失敗したものをあとから本物や図録と見比べて、「何がおかしかったんだろう」と考えることも勉強になりました。

 これは実店舗の古美術商でも同じですが、「あの人(店)から買ったから大丈夫」と、自分で見ることをやめてしまうのは危ないと考えています。もちろん、来歴が明確で評価の定まったものを、信用ある美術商から買うという方法もありますが、それは資金的に余裕がある人にしかできない買い方です。私のような会社員コレクターは、玉石混交のなかから掘り当てないといけないので、いわゆる贋作についての知識もしっかりと持っておくに越したことはありません。

 あと、基本的には好きなものを集めているんですが、真贋という切実な問題に直面し続けると、だんだんとコレクターとしての信用を得るために体系的な蒐集を意識し始めたりします。真贋が定かではないものばかりにチャレンジして、王道のものをまったく持っていなければ、信用を得にくいですからね。


偽物が囚われる〝本物の枠〟

―― 先に、「古織部」という書付が古いものだと判断した一つの理由との話がありました。改めて聞きますが、香合の真贋を見分けるときのポイントはありますか。

貝沼 難しいですね。例えば、身(本体)の合口あいくち(身と蓋がかみ合う部分)が、しっかりと立ち上がっている香合は古くていいものが多いと思いますが、立ち上がっていてもダメなものもありますし、立ち上がっていなくてもいいものがあったりします。

 あとは、高台こうだいたたみつきの擦れ方なんかで長いあいだ使われてきた痕跡が見えたりすることもありますが、古いもののなかには新たに発掘されてとても綺麗なものもあったりもします。

 なので、最後はセンスというか、織部であれば「その意匠は思いつかなかった!」と思わされるかどうかはかなり大きいと私は考えています。偽物はどうしても〝本物という枠〟を意識せざるを得ないので、発想の自由度が低いように思うんです。もちろん、なかには大胆につくられたものもあります。ただ、そういうものは大胆さを狙いすぎて、器全体として破綻していることも多い。なので、単に自由であるかどうかだけではなく、その自由さが造形や絵付け、調ちょうときちんと噛み合って、器全体として成り立っているかどうかも大事にしています。これもかなり感覚的な話になってしまうんですが。

黒織部 沓形茶碗
見込み

 茶碗は胸を張れるものをあまり持っていないのですが、これはいい品物だと思います。例えば、見込みの絵付けを見ると、花が途中で切れてしまっていますよね。後世に〝本物らしいもの〟を意識してつくる場合、せっかく描いた文様を途中で切るような構成は選びにくい印象があります。一方、古作には、そうしたことを気にしないような大胆さが見られることがあるんです。あと、線を見てみても、ササッと描いている部分がある。こういうところに〝本物の枠〟に囚われていない自由さを感じます。

鳴海織部 香合

 ササッと描いている線という意味では、この香合もそうですよね。これは図録の所載品ということもあり、本物の香合の教科書的な意味も込めて購入したんですが、買ってからだんだんとその良さが分かってきました。この自由度は、分かりやすい本物の事例だと思います。

赤織部 香合

 これも自由度が高い。赤織部は形式に当てはめた作品が多く、この香合のように個性が際立つものは珍しいと思います。マリオのきのこみたいで、オリジナリティに溢れているというか、モダンな印象を受けますよね。

鳴海織部 変形向付
側面の絵付

 これは香合ではないんですが、鳴海なるみ織部のむこうづけです。鳴海織部は、白土と赤土を繋ぎ合わせてつくられるんですが、この向付は側面の絵付が見事です。自由な発想で、なかなか真似てできるものではありません。

 ところが、とある業者はこれを偽物だと言いました。いわく「赤土の色が違う」と。確かに、一般によく見る鳴海織部と比べると、赤土部分の胎土はかなり淡い色調です。ただ、美濃焼の土って、図録を読めば読むほど本当にいろいろあるんですよ。特に高台まで載せている図録を見ると、赤味の強いものもあれば、かなり淡いものもある。なので、王道の作例だけを基準にして「赤土の色が違う」という一点で偽物と判断してしまうのは危険だと思っています。

青織部 香炉

 この香炉は織部らしい文様ですが、珍しいのは胴上部にある勾玉のような透文とうもんです。こうした〝本物という枠〟に囚われない意匠の自由さも、釉調や胎土、作りなどと合わせて見たときに、私が桃山から江戸初期の古作ではないかと考える材料の一つなんです。

――「目利き」というのは、おもに真贋の判定ができるか否かという意味合いで使われる印象がありますが、貝沼さんの話を聞いているとそれだけではないということがよく分かります。王道からこぼれ落ちているものの価値を見定める目と言えばいいのでしょうか……。

貝沼 その話で言うと、この香合がピッタリだと思います。

織部 雁香合

 この香合は、江戸末期の復興織部の印象を受けやすい品なんですが、私は江戸初期につくられたしち織部の可能性も十分にあると考えています。それというのも、緑釉を垂らした感じが弥七田の特徴なんです。眼の意匠なども桃山陶の印象です。深緑で飴色の緑釉は野村美術館(京都市)の《織部ふくろう香合》にとても似ています。復興織部だとしても、これはとてもよくできた品です。

織部 陶片

 これはコレクターのニッチさを知ってもらうために持参したものなんですが、壊れてしまった陶器の破片です。「陶片」と呼ばれるもので、興味のない人からすると、「ただの史料なのでは?」と思われるでしょう。ところが、この陶片ばかりを集めるコレクターなんかもいたりして、陶片の偽物も存在します。


〝偽物の図録〟としても活用すべき

―― 蒐集をしていて貝沼さんが一番喜びを感じるときって、どんな瞬間ですか。

貝沼 探しているものが見つかったときも嬉しいんですが、なんでしょうね……。やっぱり、美術商をはじめとした詳しい人たちに認めてもらえたときですかね。

青織部 耳付香合

 例えば、これはパッと見では現代作家が作ったと言われても不思議に思わないくらいに古びていないですよね。だけど、これは紛れもない桃山陶の織部だと思います。王道というか、一級品に分類される品です。こうした確かな品は眼の基準をつくるうえでは非常に大切なんですが、あまりに出来がいいので、市場に出てくる判断の難しい品を見分ける練習とはまた少し違うんです。こういう品を美術商から紹介してもらって、「貝沼さんならこのよさが分かるでしょ?」って言われたときなんかは、とても嬉しかったですね。

 少し話が逸れるんですが、美濃桃山陶の世界の人々って、桃山時代を神聖視し過ぎている節があるんです。私もときどき言ってしまうんですが、「現代作家にこれは再現できない」とか「桃山にしかないセンス」とかって言ってしまう。ただ、実際には、現代作家の人々はとても優れた技術をお持ちなので、桃山時代の織部と見紛うような品をつくれるはずです。品物を見定める側の私たちは、その前提の上に存在していると思うんです。

 もしも、一流の現代作家が写しであることを表明せずに、贋作をつくり始めれば、ただでさえ難しいと言われている美濃桃山陶の真贋判定は困難を極めると思います。

鳴海織部 筒向付

 話を戻して、王道ということで言うと、V字の絵付けがなされたこの筒向付は、ザ・鳴海織部という感じです。この手の向付はたくさんあるのですが、筒向付のなかでは上作だと思います。

―― やはり、目を養うというのは簡単なことではないんですね。

貝沼 そう思います。勉強すればするほど、分からなくなるんです。史料などで勉強して〝本物に登っていく〟のもいいんですが、最近は王道のものを見て〝本物から降りてくる〟ことも大切だと思うようになりました。あるいは、偽物を体系化することも大切です。そのときに、玉石混交のヤフオクはとても活用できます。ヤフオクは、ある意味では〝偽物の図録〟なので。

 美術商や骨董商のなかには「ネットオークションはダメだ」とおっしゃる方がおられます。「実際に見て、触らないと分からない」と。確かにそれはその通りなんですが、だからと言って、ネットオークションそのものを敬遠するのはもったいないというのが私の考えです。最後の最後は実際に触らなければ分かりませんが、画像からも分かることは多いです。

織部 沓形茶碗
絵付けの上に垂れる長石釉

 織部焼には青織部や志野織部などがあります。青織部は一般に鉄絵と緑釉を組み合わせたもので、透明感のあるうわぐすりや、白泥を思わせるようなちょう石釉せきゆうが見られることが多いです。一方、志野織部は、大窯おおがまの志野から連房式のぼりがまへ移行するなかで、織部の影響を受けた志野系の陶器と位置づけられることが多く、初期のものには大窯の志野を思わせる、とろりと厚い長石釉が見られます。

 この沓形くつがた茶碗は、そうした志野的な長石釉をもちながら緑釉も掛かっているので、私は志野織部と青織部の境目のような作品ではないかと考えています。桃山から江戸初期の青織部茶碗は非常に少ないので、この茶碗の姿そのものに違和感を持つ方もいるかもしれません。ただ、『目の眼』では志野織部として紹介されており、私も志野織部の系統で考えるのが自然ではないかと思っています。これも、実際に触るに越したことはありませんが、絵付けの上に長石釉が垂れている様子は、画像でも判断できるはずです。

志野織部 香合

 一方で、この志野織部の香合は、実際に手に持ってみて初めて、いい香合であることが分かりました。触ると手に吸い付くような感覚があるんです。それは画像だけでは分かりませんよね。手びねりの茶碗なんかではよく、手に吸い付くといった表現を聞きますが、香合でそういう感覚を覚えるものは珍しいと思います。


家宝は売りに出されるのか

―― じつは今回、貝沼さんのほうで判読ができていない添状があるということで、事前に当方で釈文の作成と簡単な調査を試みた品があります。調査結果は別の記事にまとめますが、最後の品としてそれを紹介していただいてもよろしいでしょうか。

貝沼 私が美濃桃山陶を見てきたなかでは、伝来だけでなく、作品そのものの出来をかなり重く見る世界だと感じています。伝来が十分でなくても、本体が良ければ評価される余地があるというか。私は、そういうところが美濃桃山陶の世界のいいところだと思っています。

 なので、添状の判読は特に急いでいなかったのですが、今回、釈文の作成と調査をしていただき、近代以降の伝来が分かったのはとてもありがたかったです。

志野 つまみ香合 銘「鈴」
添状

 この香合は、現時点で私が持っているもののなかで最も重要な品です。あがり(焼き上がり)よし、絵付けよし、伝来よしで、非の打ちどころがありません。石川・金沢市の美術商「ひら寿じゅ商店」から購入したのですが、初めて値段を気にせずに買ったものです。平寿商店の方も「これまで扱った香合のなかで三本の指に入る品」とおっしゃっていました。

 織部の香合が好きなんですが、この志野の香合は、おそらくいくら積まれても売ることはないと思います。この出来の品は滅多に出ることがないので。

―― 結びにコレクターとしての短期的な展望と中長期の展望を教えてください。

貝沼 短期的には、皆が憧れるかまじるし(陶磁器の底や高台などに付けられた記号や文字)がある王道の黒織部茶碗を一つしっかりと所有して、体系的なコレクションにすることですかね。そのためには、信頼できる美術商から信頼できる品を買うのが手っ取り早いのですが、資金的にそれができるかどうか……という感じです。もちろん確かな品を買うことにも意味はあるんですが、答えが最初から分かっているものだけを買うより、自分で考えて探すところに蒐集の面白さを感じてしまうんです。

 中長期の展望は難しいですね。自分が亡くなったあとのことは、基本的には子どもに任せますが、高く買い取ってくれる業者はきちんと伝えておこうと思います(笑)。ただ、本音を言えば、志野織部の沓形茶碗と、最後に紹介した志野の香合は手放してほしくないですね。あの二つが現時点での我が家の家宝なので。

 でも、子どもからすれば、知ったこっちゃないという感じかもしれませんね。いくら美濃桃山陶の優品とはいえ、興味がなければただの土の塊なので。



貝沼大樹(かいぬま・もとき)
1991年、愛知県生まれ。美濃桃山陶コレクター。初めて買った陶器は小学生の頃の備前焼の徳利。大学生の頃から美濃桃山陶に関心を持ち、現在に至るまで蒐集を続けている。2026年1月に「開運! なんでも鑑定団」(テレビ東京)に出演。
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