人は、もらったやさしさを少し返したくなる
フォロワー500人に届いたので、このnoteのことを少し書きます
ありがたいことに、このnoteのフォロワーさんが、500人に届きました。
この「明日ドヤれる人間観察室」を見つけて、読んで、フォローしてくださった皆さま。
本当にありがとうございます。
500人。
数字だけ見ると、ひとつの区切りかもしれません。
でも、自分がひとりで書いた文章を、これだけの方が見つけてくださったと思うと、やっぱり不思議な気持ちになります。
仕事の休憩中に。
帰りの電車の中で。
寝る前の少し静かな時間に。
なんとなくスマホを開いたタイミングで。
このnoteが、誰かの日常のすき間に少しだけ置かれている。
そう思うと、うれしいような、少し照れくさいような気持ちになります。
そして、ほんの少しでも、
「あ、これ自分にもあるかも」
「ちょっと気が楽になったかも」
「明日、誰かに話したくなるかも」
と思ってもらえたなら。
それだけで、書いてきてよかったなと思います。
今日は、500人という節目に、感謝を込めて少しだけこのnoteのことを書いてみます。
このnoteで書いていること
このnoteでは、心理学、行動経済学、脳科学、職場の人間関係、日常のちょっとした違和感などを、できるだけやわらかく書いています。
難しいことを、難しいまま置いておくのではなく、
日常の中で「ああ、そういうことだったのか」と思える形にする。
そんな場所にしたいと思っています。
人間は、けっこう面倒です。
わかっているのに動けなかったり。
気にしないつもりで、ずっと気にしていたり。
平気なふりをしながら、心の中では小さく傷ついていたり。
でも、その面倒くささを「ダメなところ」と決めつけるのではなく、少しだけ観察してみる。
すると、自分にも、周りにも、少しやさしくなれる気がします。
このnoteの合言葉は、
読んで納得、明日ちょっとドヤれる。
でも本当は、ドヤるだけではなくて。
読んだあとに、少しだけ気持ちが軽くなる。
人の言葉や態度を、少しだけ違う角度から見られる。
自分の心にも、「まあ、そういう日もあるよね」と言える。
そんな記事を書いていけたらと思っています。
書くことは、自分を少し取り戻す時間でもある
普段の生活の中では、いろいろな役割があります。
仕事の中での自分。
家庭の中での自分。
誰かに頼られる自分。
ちゃんとしていなければいけない自分。
失敗しないように気を張っている自分。
どれも大事な自分です。
でも、ときどき思うことがあります。
役割をこなしているうちに、
自分が何を感じていたのか、少し見えにくくなることがあるな、と。
忙しい日は、感情に名前をつける前に次の予定が来ます。
モヤモヤしても、とりあえず飲み込みます。
疲れていても、「まあ大丈夫です」と言ってしまいます。
大人になると、平気なふりが少し上手になります。
でも、そのぶん自分の本音は、心のすみっこで体育座りしていることがあります。
このnoteを書く時間は、そんな自分の感情に少しだけ近づく時間でもあります。
自分は何に引っかかったのか。
なぜあの言葉が気になったのか。
どうして人は、わかっているのにうまく動けないのか。
そうやって書いているうちに、
誰かのために書いているようで、実は自分自身も少し整理されている気がします。
だからこのnoteは、ただの発信場所というより、
自分の中にある小さな違和感や気づきを、そっと置いておく場所なのかもしれません。
そして、それを読んでくれた誰かが、
「それ、ちょっとわかる」
と思ってくれたなら。
自分の中だけにあったものが、誰かの日常とつながったような気がします。
それは、少し大げさに言えば、
自分の存在が誰かに届いたような感覚です。
スキやフォローは、ちゃんと届いています
noteを書いていると、スキやフォローは数字として表示されます。
でも、書いている側からすると、ただの数字ではありません。
スキがつくと、
「あ、読んでくれた人がいたんだ」
フォローが増えると、
「また読んでもいいと思ってくれたんだ」
そう感じます。
文章を書く作業は、意外とひとりです。
目の前に読者はいません。
拍手も聞こえません。
反応がない日は、少しだけ心細くなることもあります。
だからこそ、スキやフォローがあると、画面の向こうに人がいることを思い出します。
そして、
「ああ、続けてもいいんだ」
と思えます。
これは、日々の仕事の中でいただく「ありがとう」に少し似ている気がします。
患者さんからの何気ない言葉。
同僚からの「助かりました」。
他職種の方からの「ありがとうございます」。
たった一言で、疲れが全部消えるわけではありません。
でも、少しだけ背筋が伸びる。
明日も頑張ろうと思える。
自分のしたことが、誰かに届いていたんだと思える。
noteのスキやフォローも、私にとってはそれに近いものです。
大きな感想でなくても。
長いコメントでなくても。
静かなスキひとつでも、ちゃんと届いています。
その小さな反応に、何度も背中を押されています。
山で交わすあいさつも、少し似ている
趣味で登山をすることがあります。
山を歩いていると、すれ違う人と自然にあいさつを交わします。
「こんにちは」
「ありがとうございます」
「お先にどうぞ」
「気をつけてくださいね」
ほんの短い言葉です。
でも、不思議とその一言で、少し心があたたかくなることがあります。
名前も知らない。
どこから来た人かも知らない。
もう二度と会わないかもしれない。
それでも、同じ道を歩いているというだけで、
ほんの少しだけ気持ちを交わす。
山のそういう習慣が、私はけっこう好きです。
強くつながるわけではない。
深く話し込むわけでもない。
でも、すれ違う一瞬に、
「あなたの存在に気づいています」
「どうぞ気をつけて」
という小さなやさしさがある。
noteのスキやフォローも、少しそれに似ている気がします。
長い言葉でなくても、
静かな反応ひとつで、
「あ、見つけてもらえたんだ」
と思える。
人はたぶん、そういう小さな合図に支えられているのだと思います。
フォローバックって、少しやさしい仕組みだと思う
noteには、フォローバックという仕組みがあります。
もちろん、フォローされたら必ず返さなければいけない、という話ではありません。
義務になってしまうと、少し苦しくなります。
でも、誰かが自分の記事を見つけてくれたとき、
こちらもその人のページを見に行ける。
どんなことを書いている人なんだろう。
どんな言葉を大事にしている人なんだろう。
どんな日々の中から、このnoteにたどり着いてくれたんだろう。
そうやって、こちらからも少し近づける。
フォローは、
「見つけました」
という小さな合図。
フォローバックは、
「こちらこそ、見つけました」
という返事に近いのかもしれません。
強くつながりすぎなくてもいい。
でも、完全に知らないままでもない。
言葉を通して、少しだけ近づける。
その距離感が、noteのやさしいところだなと思います。
もらったものを、少し返していきたい
心理学には、返報性の原理という言葉があります。
ざっくり言うと、
人は、何かをもらうと、少し返したくなる
という心の働きです。
親切にされたら、親切にしたくなる。
応援されたら、応援に応えたくなる。
読んでもらえたら、また書きたくなる。
このnoteも、たぶんその小さな返報性で続いています。
読んでくれる人がいる。
スキを押してくれる人がいる。
フォローしてくれる人がいる。
その反応を、少しずつ記事という形で返していく。
それが、今の自分にできるお返しかもしれません。
毎回すごいことが書けるわけではありません。
でも、読んだあとに少しだけ気持ちが軽くなる。
明日、誰かにちょっと話したくなる。
自分や周りの人を、少しだけやさしく見られる。
そんな記事を、これからも書いていきたいです。
フォロワー500人という節目。
読んでくださっている皆さまに、あらためて感謝です。
このnoteを見つけてくれて、ありがとうございます。
忙しい日常の中で、少しでも読んでくれてありがとうございます。
スキやフォローで、そっと背中を押してくれてありがとうございます。
500人は、ゴールというより、
「ここからも書いていいよ」と言ってもらえたような節目だと思っています。
これからも、
読んで納得、明日ちょっとドヤれる。
そんな人間観察をゆるく続けていきます。
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