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「許可をもらった」と「やっていい」は、同じではない

「禁止されていない」は、配慮しなくていい理由にはならない

ルールは守っている。

許可も取っている。

だから、

問題ない。

そう言いたくなる場面があります。

でも、

人間関係や公共の場所では、

「禁止されていない」だけでは足りないことがあります。

ふて猫は、「許可済み」と書かれた札の横に、小さく「でも、ここでやる?」と書き足します。

「人間は、“禁止されていない”と分かると、“気まずくないか”を考えなくなることがあります」

板野友美さんが家族旅行の様子をYouTubeで公開。

その中で、

高級ホテルの大浴場の脱衣所で、

娘さんの髪を乾かす様子が撮影されていたことが話題になりました。

板野さん側は、

ホテルから特別に撮影許可を得ていたこと、

ホテル側にも撮影協力をしてもらっていたことを説明しています。

一方でSNSでは、

「許可があったとしても、そもそも脱衣所で撮影するのはどうなのか」

という声が相次ぎました。

記事時点では、

貸切だったのか、

どのような条件で許可が出ていたのかなど、

情報が錯綜している部分もあります。

今日はこのニュースを入口に、

「ルール上OK」と「マナーとして違和感がない」は、なぜ別なのか

を考えてみます。

合言葉は、

読んで納得、明日ちょっとドヤれる。


「許可があります」は、かなり強い言葉

何かを注意されたとき、

「許可を取っています」

と言われると、

こちらは少し黙ります。

ルール上は問題ない。

正式に認められている。

そう聞こえるからです。

でも、

許可というのは、

何をしてもいい、

という意味ではありません。

ふて猫は、「許可」の札を裏返します。

「許可は、“何でもしていい”という免罪符ではなく、“どこまでならいいか”を確認するものです」

場所。

時間。

条件。

周囲への配慮。

誰がいるのか。

そこまで含めて、

初めて意味が出ます。


脱衣所は、「カメラが向いているだけで嫌な場所」

今回、

多くの人が引っかかったのは、

大浴場の脱衣所だったことです。

脱衣所は、

人が服を脱ぐ場所です。

たとえ自分が映っていなくても、

カメラがある。

撮影している人がいる。

それだけで、

不安になる人もいます。

ふて猫は、カメラのレンズを手でそっと隠します。

「プライバシーは、“実際に映ったか”だけではなく、“映るかもしれないと感じたか”にも関係します」

ここが、

普通のロビーや廊下とは違います。


「自分は困っていない」では足りない

撮影する側は、

他の人を映さない。

邪魔もしない。

許可も取った。

だから、

大丈夫だと思うかもしれません。

でも、

その場にいる他の人は、

違う感じ方をすることがあります。

ふて猫は、自分の足元ではなく、少し離れた人の表情を見ます。

「人間は、自分が困っていないと、その場に問題がないように感じやすいものです」

これ、

日常でもあります。

電車で大きな声。

飲食店での撮影。

子どもの学校行事でスマホを向ける。

自分は平気。

でも、

周りも平気とは限りません。


マナーは、ルールブックに書かれていないところにある

「撮影禁止」と書いてある。

なら、

分かりやすい。

でも、

世の中の全部の場面に、

注意書きがあるわけではありません。

ふて猫は、何も書かれていない壁を見ています。

「マナーは、ルールブックに書かれていない場所で試されます」

ここで撮っていいか。

ここで大声を出していいか。

ここで長時間場所を使っていいか。

書いていないからOK。

ではなく、

周りがどう感じるか。

そこを想像する。

それが、

マナーの部分です。


「許可を取った人」と「その場にいる人」は別

今回、

もしホテル側から撮影許可が出ていたとしても、

その場にいたすべての利用者が、

撮影を歓迎していたとは限りません。

ここが、

公共空間の難しいところです。

管理者がOKと言う。

でも、

利用者の感じ方は一つではない。

ふて猫は、「施設の許可」と「利用者の安心」を別々の箱に入れます。

「場所を管理する人が許可できることと、その場所にいる人が安心できることは、同じではありません」

もちろん、

管理者の許可は大切です。

でも、

それだけで周囲への配慮が不要になるわけではありません。


SNS時代は、「撮ること」が日常になりすぎている

今は、

旅行に行く。

食事をする。

ホテルに泊まる。

子どもと遊ぶ。

すぐスマホを出します。

写真。

動画。

Vlog。

それ自体は、

もう普通です。

でも、

撮影が普通になりすぎると、

「ここは撮らない方がいい場所」

を忘れやすくなります。

ふて猫は、スマホを構えたまま入っていこうとする人の前で、一度立ち止まります。

「撮ることが日常になるほど、“撮らない方がいい場所”を考える必要があります」

これは、

かなり今っぽい問題だと思います。


「悪気はない」だけでは、違和感は消えない

今回も、

誰かを困らせようとして撮影した、

という話ではありません。

旅行の思い出。

家族の様子。

ブランドの紹介。

そういう目的だったのだと思います。

でも、

悪気がないことと、

違和感が生まれないことは別です。

ふて猫は、「悪気なし」と書かれた札の横に、「でも嫌だった人は?」と置きます。

「人間関係では、“そんなつもりじゃなかった”と、“相手が嫌だった”は同時に成立します」

だから、

意図だけではなく、

受け取り方も見る必要があります。


ルールを守る人ほど、マナーも考えた方がいい

ルールを破る。

これは分かりやすく注意できます。

でも、

ルールは守っている。

それでも、

何か違和感がある。

そういう場面の方が、

実は難しい。

ふて猫は、「ルール違反なし」のチェック欄の下に、もう一つ項目を増やします。

「それでも、周りは安心できる?」

ルールは最低限です。

その上に、

マナー。

配慮。

空気。

があります。

全部を気にしすぎる必要はありません。

でも、

公共の場所ほど、

少しだけ想像する。

それで十分です。


明日ドヤれる一言

今回のニュースでは、

「撮影許可があった」

という説明と、

「それでも脱衣所で撮るのは違和感がある」

という反応がぶつかりました。

どちらか一つだけを見ると、

話は単純です。

でも、

人が一緒に使う場所では、

ルールだけで全部は決まりません。

ふて猫は最後に、

「禁止されている?」という質問の下に、

もう一つ書き足します。

「自分がされたら、どう感じる?」

そして、

今日の明日ドヤれる一言。

「マナーとは、禁止されているかではなく、“自分がされたらどう感じるか”を先に考えることなのかもしれません」

読んで納得、明日ちょっとドヤれる。

今日は、

板野友美さんのホテル脱衣所での撮影をめぐるニュースを入口に、

“許可をもらったことと、やっていいと感じられることは同じなのか”

というお話でした。

ルールを守る。

許可を取る。

もちろん大切です。

でも、

その先に、

周りにいる人の気持ちを少し想像する。

そこまでできると、

マナーになります。

そんな「ルールと人間の感覚のズレ」を、メンバーシップでも少し深く眺めています。

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