未来ある子供の、小さな声に耳を傾けてかけがえのない命を守るために、われわれ大人ができること
「きえないで」
夏休み最終日の8月31日、葛西臨海水族園が公式SNSに投稿した言葉です。
休んでいい。にげていい。あなたにいてほしい。生きていてほしい。そして、2028年に開園する新しい水族園にも来てほしい。
短い言葉が続くメッセージでした。けれど、その一つ一つは重く、切実です。
投稿には2万7000件を超えるリポスト、17万件もの「いいね」が寄せられたそうです。この反響の大きさを見て、同じような思いを抱えた人が、それほど多くいるのかもしれないと考えてしまいました。
休んでいい、にげていい
あなたにいてほしい、あなたに生きていてほしい
私は、この言葉を素通りできませんでした。
「学校へ行きたくない」の奥にあるもの
長い夏休みが終わり、新学期が始まる。
多くの子供にとっては、友達と久しぶりに会える日でしょう。新しい授業や行事を楽しみにしている子もいるはずです。
同じ朝を、怖いと感じる子供もいます。
教室に入るのがつらい。友達に会うのが怖い。先生とうまく話せない。勉強についていけない。理由を一つに絞れないまま、体が動かなくなることもあるでしょう。
文部科学省は、児童生徒の自殺が8月後半から増え、特に長期休業明けの9月1日に多くなる傾向を示しています。
この事実は重いです。
子供が朝になって「学校へ行きたくない」と言ったとき、大人はつい理由を聞こうとします。「何があったの」「昨日までは普通だったでしょう」「とりあえず今日は行ってみたら」と。
心配しているから出る言葉です。仕事の都合もある。学校を一度休んだら、そのまま行けなくなるのではと不安にもなるでしょう。
「行きたくない」という一言は、子供がようやく外へ出せた、小さなSOSです。
本人にも、うまく説明できないことがあります。いじめがあっても言えない。誰かに傷つけられたとはっきり分かる話ばかりでもない。教室へ近づくだけで苦しくなる。それを大人が納得できる言葉にして話すのは、子供には難しいはずです。
理由を全部話せなくてもいい
まず今日は、休んでもいい
そんな言葉を先に渡せたら、張り詰めていた心が少し緩むかもしれない。私は、そこを大人が急がないでほしいと感じました。
水族館が逃げ場所になる
今回のメッセージは、園長一人の思いつきで作られたものではなかったそうです。
葛西臨海水族園の職員には、いじめや不登校を経験した人、うつや希死念慮を抱えた人もいました。園長が書き出した言葉に職員の意見を加え、約2週間かけて何度も推敲したといいます。
経験した人の声が入っていた。
だから、「頑張って」「きっと大丈夫」と簡単に励ます文章にならなかったのでしょう。「にげていい」「いまは」と書かれています。この「いまは」という言葉にも、私は温かさを感じます。
今は逃げてよい。今すぐ答えを出さなくてよい。ずっと同じ状態が続くと決めつけなくてよい。
逃げることは負けではなく、その子が自分の命を守るために選ぶ行動です。
学校へ行けない日、水族館へ行ってもよい。図書館で静かに過ごしてもよい。公園のベンチに座る日があってもよい。家の中で眠り、心と体を休ませてもよい。
家と学校だけが、子供の世界のすべてになったら苦しくなります。どちらにも居場所を感じられなくなったとき、逃げる方向が見えなくなるからです。
水族館には、生き物がいて、水が流れている
そこへあなたが来ることに意味がある
園長の言葉には、「あなたの居場所の一つになりたい」という、静かな意思があります。
9月1日の園内には、投稿を見て訪れた人や、制服姿の子供もいたそうです。実際に水族館へ来た子が、どのような思いを抱えていたのかは外から分かりません。
ただ、その日に水族館へ来られた。それでよいのだと思えます。
大人が先に答えを決めない
子供の未来を考えると、学校へ通うことや勉強を続けることに目が向きます。休ませることに迷いが生まれるのも、将来を心配しているからでしょう。
けれど、今日学校へ行かせることと、その子の未来を守ることが、いつも同じ方向にあるとは言い切れない。
出席日数より先に、子供の顔を見る。返事の声を聞く。食事の量や眠れているかを見る。「どうして」と問い詰める前に、「何かあったら、あなたの味方になる」と伝える。
答えを急がず、隣にいるだけの日があってもよいはずです。
子供の沈黙を「何もない」と決めず、その小さな変化を大人が受け止める。命を守る最初の一歩は、そこにあると私は見ています。
学校へ行く方法を探す前に、
今日を生きられる方法を一緒に探してほしい
水族館のメッセージは、子供たちへ向けた言葉です。同時に、そのそばにいる保護者や教師、地域の大人にも届いているように感じました。
「きえないで」という言葉を、子供が消えようとする直前だけの呼びかけにしてはいけないのでしょう。
元気がない朝。返事が少ない夜。部屋から出てこない休日。「学校へ行きたくない」と初めて口にした瞬間。
その小さな声が聞こえたときに、大人が何を言うか。
「頑張って行きなさい」より先に、「今日は休んでいいよ」と言えるか。
一日学校を休んでも、その子の未来は消えません。逃げてもいい。立ち止まってもいい。われわれ大人が何より守りたいのは、登校したという記録ではなく、その子が今日も生きていることです。

