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お葬式(日記エッセイ 5/26)

5月26日(火)
今日は葬儀。迎えのバスが9時に来てくださるのだが、私と義姉は喪服の着付けをお願いしているので家を7時半には出なくてはいけない。義姉も私も二人ともが長時間いないと母がめちゃくちゃ不穏になるので、義姉と相談して、着付けに行くタイミングで母も一緒に連れて行くことにした。母にいつものデイサービスに行く時間より若干前倒しで朝食や身支度をしてもらえばそんなに無理させなくても間に合うだろうし、着付けは一人ずつなので、義姉か私のどちらかは母についていてあげられる。

私から先に着付けをしていただいた。前夜に見よう見まねで自分で半衿を長襦袢につけておいたのだがそれが心配。いつも母にやってもらっていたけど(いい大人なのに恥ずかしいです)今ではそれも無理なので、昨夜YouTubeを見ながら付けたのだ。悪戦苦闘して出来上がった時には謎の達成感が湧き起こった。着付け師さんにそう話して不恰好を詫びると「ちゃんと付けてはりますよ。今は半衿そのものをご存知ない方もいらっしゃるくらいですから」とおっしゃった。私は和服に慣れないので苦しいし暑い。でもやはりいいものだなとも思う。なにより、父と母がせっかく持たせてくれたものは着たい。私の着付けが終わり義姉と交代する。母に「私が結婚するときに持たせてくれた喪服よ、お母さんありがとうね」と言うと嬉しそうに手で喪服を触りながら「〇〇さん(親戚の呉服屋)のところで作ってもろたんや。ええのを仕立ててくれてはる」と言う。その辺りの記憶はハッキリしているようだ。

控え室でお茶を飲みながら親族が集まるのを待っていた。すると母はふうーと溜息をつき「なんか…ぞうさななあ…」とつぶやいた。「ぞうさな」(形容動詞)というのは「億劫な」という意味の方言である。夫の葬儀に対して「ぞうさななあ」と、心の声がダダ漏れてしまっている。でもこの数日、家の中が大勢でガヤガヤしていて、普段着とは違う服に袖を通させられ、知らない場所へ連れて行かれ、もうたくさんという気持ちなのだろう。私はどう相槌を打とうか迷ったが否定せずに「ほんまやなあ、ぞうさななあ。家でゴロゴロしたいよなあ。でもお父さんを見送ってあげよな」と言った。

親族も集合し、参列する方々をお迎えする。会社の取引関係はほぼわからない人ばかりだけれど、懐かしいかつての従業員さん(小さい頃よく遊んでもらった)に会えて胸が熱くなった。そして私はある女性の姿が目に入った。私が小さい頃から結婚して県外に行くまでずっと習っていた音楽教室のA子先生ではないか。帰省したときにはよく遊びに行っていたけれど近頃は両親のお世話などであまり人に会いに行けてなかったので、A子先生とも数年ぶりだ。「A子先生っ!!」「あさひちゃん!!」と抱き合い互いに泣いた。私の第2の母のような人だ。

式が始まった。昨日のお通夜もそうだったのだが、今日も母にお焼香させるのが大変だった。義姉と私で両側から支え「これをつまんで、そうそう、ここへ入れて」とやっていたら、2日間とも自分自身はお焼香したのやらしなかったのやらよくわからなくなった。一応はしたけど、所作もなにもあったもんじゃなかったな。もうしょうがないよ、みんなそこはわかってくれたと思う。

読経が終わり、棺にお花を納め声をかける。母は「ぞうさななあ」と言っていたことが嘘のように滂沱して頬をべしょべしょに濡らしいている。やはり理解しているのだ。息子は「じいちゃん、野球は今日から交流戦やで」と声をかけていた。次に阪神タイガースグッズを入れてゆく。ユニホーム、メガホン、ペナント、旗、スポーツ新聞、ポスター…。亡くなる間際までその日の試合を観ようとしてた父だから喜んでれるだろう。出棺のときも葬儀場の人の提案で「六甲おろし」をかけた。にぎにぎしい出棺となったが、父らしくてすごくいい。

霊柩車には兄と母と私が乗った。車で15分ほどの場所にあるのだが、道中の田植えが終わった水田を見ながら母はもう何事もなかったように「ああ、田んぼが綺麗やなあ」と言って景色を眺めていた。ほぼドライブ気分である。目の前にあるものを見てその都度、気持ちが切り替わってゆくのだな。

母にお骨上げを母にさせるのもこれまた大変であった。横で支えつつ箸を持たせて、と、かなり難儀した。自分の番のときには、父のお骨を見て感慨に耽って骨壷に納める余裕はなかった。そしてまた葬儀場へ戻って喪服を脱いで洋服の喪服に着替え、今度は初七日法要をした。その後、精進落としのお食事の会場へ移動。こんなことを言ってはアレだが、そりゃ母も「ぞうさななあ」と思うほどの過密スケジュールですよね、葬儀の日って。

献杯の時の叔父(父の弟)のスピーチが良かった。正直言うと私はこの叔父が苦手でスピーチで何を話し出すかハラハラしていたのだが…。父と叔父は14歳も離れている。父と母が婚約中のデートへ当時小学6年生の叔父は一緒に連れて行ってもらって甲子園で高校野球を観戦したという話だった。今思えば大切なデートに小学生の自分がついていくのはお邪魔だったろうにその時の自分は楽しくて嬉しいばかりだった、そして帰りに生まれて初めてハンバーグというものを食べさせてもらってめちゃくちゃ美味くて感動したのを覚えている、と言っていた。歳の離れた小6の弟が嬉しそうにハンバーグを食べるのを目を細めて見ている父が目に浮かび私は涙が出た。叔父さん、たまにはええスピーチしてくれるやん、普段からもっとこういう話をせえよ。

長い一日が終わり、やっと帰宅した。母は遺影とお骨の前に座り込み涙を浮かべながら父に話しかけている。「ああ…もう一度会いたいなあ。でも無理なんやろなあ。悲しいけど、私はこれからも真面目に一生懸命生きていきます。見ててね」と実にしっかりと語りかけていた。認知症とは思えない、昔の母のような口ぶりだった。しかし普段着に着替えさせようと母の部屋へ一緒に行ったら「今日は懐かしいいろんな人に会えたなあ。ああ楽しかった」とニコニコと言う。落差に「えっ」と思ったけれど、「楽しかったん?よかったなあ、朝は『ぞうさななあ』って溜息ついてたけど、行ってよかったやろ?」と言うとにっこり「うん」と頷いていた。

危篤の知らせを受けて駆け付けてから激動の4日間であった。兄は無事に全てを終えた安堵感からかややハイになり「俺は!!やり遂げた!!」とうちの息子にハイタッチしてガッツポーズをしていた(笑)。私も母の面倒を見ることと並行していたので激疲れした。義姉は普段母の面倒を見ながら父の看病をしていてくれたわけである。ずっと感謝していたけれど、あらためて頭の下がる思いである。

さて私は明日も実家に残って片付けをするつもり。あと悔やみに来てくださるお客様を多いだろうし。もう少し頑張ります。こうして読み返すと日記エッセイというよりも記録だな。でもきっと後で読み返すと自分にとって貴重なものとなるので書き続けます。

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