【PMDD治療薬】育児をドーピングしている気がする後ろめたさ
PMDDの薬を飲み始めてから、私の人間力が急上昇した。
子どもがぐずっても、「早くして!」と怒鳴りたくならない。
「そうだったんだね」と、育児書に書いてあるような共感が自然にできる。
会社でも、上司の笑い声にイラっとしない。急ぎでもない問い合わせで仕事を中断されても、「大丈夫ですよ」と笑って対応できる。
いつの間にか、会社では「仏」と呼ばれるようになった。
家でも、子どもが言うことを聞かずイライラしている夫の横で、「まあまあ」と受け止めている。
「よくそんなに怒らないね」
そう言われるたびに、自分でも不思議だった。
でも、ある日ふと思った。
……これ、ちょっとレベルアップしすぎでは?
もちろん、年齢を重ねたこともある。
育児を続けてきた経験もある。
PMDDという病気を経験したことで、人として成長した部分もあると思う。
でも、それだけで説明できる変化なのだろうか。
私は、本来こんなに器の大きい人間だっただろうか。
だから時々思う。
私は、育児をドーピングしているんじゃないか、と。
世の中のお母さんたちは、自分の心を必死に保ちながら毎日子どもと向き合っている。
そのレースを、私は薬の力を借りて走っている。
それって、少し反則なんじゃないか。
そんな考えが頭をよぎる。
ドーピング疑惑で、私は二つの感情に振り回されている。
ひとつは、薬は私を優しい人間に変えたわけじゃない、ということだ。
人より強く感じていた怒りや悲しみ、不安や焦りを少し静かにしてくれただけ。
PMDDという重りを外してくれただけなのかもしれない。
だからきっと、これはドーピングじゃない。
ようやく、みんなと同じスタートラインに戻れただけ。
……そう思える時もある。
病気だから仕方ない。頭ではそうわかっている。
でも、もうひとつの感情が、どうしても消えない。
薬で余裕が出た今の自分と、かつてのしんどかった自分との落差を前にすると、割り切れない心が顔を出す。
薬ってすごいな。
でも、薬がないとダメなんだな、私は。
そんな思いが頭をよぎるたび、自己評価が静かに削られていく。
穏やかで、「仏」なんて呼ばれる今の私は、薬が底上げしてくれたものなのかもしれない。
本当は、余裕がなくて黒い感情を抱えていたあの頃の自分こそが、「ホンモノ」の私なのではないか。
そんな恐怖が消えない。
何より、そうやって無理やり作った笑顔で子どもたちと目が合ったとき、胸の奥からどうしても溢れてしまう感情がある。
「なんかごめんね」
薬を飲まないと優しくなれないお母さんで、ごめんね。
そう思ってしまう日がある。
スタートラインに立てたはずの私の足元は、まだグラグラと揺れている。
今日も私は、この割り切れないモヤモヤと「なんかごめんね」を抱えたまま、薬を飲み、陽キャの皮を被って、子どもたちと過ごしている。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。PMDDの話を、ひとつのマガジンにまとめています。
あの頃のこと。
治療のこと。
そして、少しずつ私を取り戻していく話です。
