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毎朝8時の贈りもの ― 5000人のみなさまへ

こんにちは、朝ドラ日和!です。

まず、お礼を言わせてください。このnoteのフォロワーが、5000人を超えました。始めたころ読んでくださっていたのは、10人ほど。それが5000人です。今も、どこか夢を見ているような心地でいます。本当に、ありがとうございます。

節目なので、今日はいつもの感想回とは趣を変えます。この場所のこと、そして朝ドラそのもののことを、少しだけ書かせてください。途中で明治の史実に軽くふれますし、『風、薫る』のこれまでの展開にもふれます。まだご覧になっていない方は、どうぞご注意くださいね。

お金にはならないけれど

正直に言えば、朝ドラの感想をいくら書いても、お金にはなりません。
もしnoteの副業で稼ぎたいのなら、選ぶ話題を間違えています。世の中には、もっと役に立って、もっと読まれるテーマが、いくらでもあるのですから。

若いころ、物書きに憧れて、ほんの少しだけライターの仕事をしたこともあります。でも、自分がとりたてて非凡な書き手ではないことは、よくわかっています。

正直に打ち明けると、AIの力を借りることも多々あります。それでもこの記事は、朝ドラを毎日見ていなければ書けません。あらすじを後から追うだけでは、たぶん同じものは書けないのです。自分の目であの15分を見ているからこそ、書きたいことが生まれてくる。手間のわりに実りは少なく、いわゆる「コスパ」でいえば、決してよくない書きものだと思います。

それなのに、こうして足を運んでくださる方がいる。お金の生まれないこの場所に、5000人も。その数字の一つひとつに、静かな好意がこもっているように思えて、それだけで胸がいっぱいになります。

朝ドラには、三つある

では、なぜお金にもならないのに続けているのか。理由は、朝ドラそのものにあります。

朝ドラには、うれしいものが三つそろっています。面白くて、学びになって、そのうえ毎日来る。この三つが同時にそろっているものは、思いのほか少ないのです。

今週の『風、薫る』でいえば――りんが新潟へ発ちました。看護婦としての大きな挫折を経て、大山捨松に紹介された女学校の舎監として、新しい暮らしを始めます。水曜には新聞記者の横沢公輔(井上祐貴さん)が現れ、東京では直美が文の看護を続け、金曜には久の母・サワが寮を訪ねてきました。

ここまでは、すべて物語の話です。けれど、この15分を追っているだけで、いつのまにか知識が入ってきます。トレインドナースとは何か。看護婦と看病婦は、どう違ったのか。誰も「勉強しよう」と思っていないのに、気づけば明治という時代が身近になっている。面白さと学びが溶け合ったまま、毎朝そっと届くのです。これがどれほど贅沢なことか、少し調べてみて、あらためて感じ入りました。

明治の人は、これを別々に買っていた

その贅沢さは、明治の新聞と比べるとよく分かります。

当時の新聞には、「大新聞(おおしんぶん)」と「小新聞(こしんぶん)」という二つの型がありました。大新聞は政治の論説が中心で、漢文調の硬い文章。書き手は士族出身の記者が多かったといいます。いっぽう小新聞は、三面の「雑報(はなし)」欄が呼びものでした。戯作者たちが事件や噂に脚色を添え、ふりがなつきのやさしい言葉で書く。値段も安く、部数はむしろ大新聞を上回っていたそうです。

つまり、学びは大新聞に、楽しさは小新聞に。当時の人々は、その二つを別々の紙で買っていたわけです。

ここで、ドラマに戻ります。シマケンこと島田健次郎は、活字工として働きながら、綿貫編集長のすすめで、女郎・夕凪が心中を図った一件を脚色して記事に仕立てました。それが評判を呼びます。これはまさに、小新聞の雑報そのもの。そして彼は、事実と違う記事が世の中を動かしていく様子を目のあたりにして、「文字の力」を思い知ることになります。

私たちは毎朝、この15分で、明治のメディアの歴史を丸ごと見せられている。それなのに、誰も「歴史を学んだ」とは思わず、ただ「シマケン、大丈夫かな」と気を揉んでいる。かつては別々に売られていた楽しさと学びを、朝ドラははじめから一枚に束ねて、届けてくれるのです。

そして、「毎朝8時」が生まれた

もう一つ、調べていて心を打たれたことがあります。「午前8時」という言い方そのものが、じつはそれほど古くない、ということです。

1872年(明治5年)、政府は暦をまるごと入れ替えました。太陽暦への改暦です。このとき、時刻の数え方も改まりました。一日を24時間に等分する、いまの数え方になったのです。それ以前は、昼と夜をそれぞれ分ける「不定時法」でした。夏と冬とで一刻の長さが違う。時間そのものが、季節によって伸び縮みしていたのですね。翌年の元旦から、かつて「辰の刻」と呼ばれた時間帯が、「午前8時」と呼ばれるようになりました。

決まった時刻に、決まったものが訪れる。私たちが当たり前だと思っているこの感覚を、明治の人々は、暦を入れ替えてまで手に入れようとしていた。そう思うと、毎朝の8時が、少し違って見えてきます。

面白いのは、その「8時」が、朝ドラにとってはむしろ新しいということです。放送が始まったのは1961年。第1作『娘と私』は、8時40分の開始でした。翌年から8時15分になり、そこから48年ものあいだ、朝ドラはずっと8時15分だったのです。8時に繰り上がったのは2010年、『ゲゲゲの女房』から。実に48年ぶりの変更でした。

(「7時45分だった気がする」という方は、たぶんBSの記憶です。かつてBS2は7時45分、BShiは7時30分から流していました。同じ15分を、いくつもの時刻で楽しめた時期があったのですね。)

なぜ、8時に繰り上げたのか。当時の報道によれば、働く女性が増えて朝が早まり、家にいる時間や家事の山が動いた――暮らしのかたちが変わったから、だといいます。

ここが、明治とちょうど逆なのです。明治政府は、暦を変えて、人々の生活のほうを動かしました。いっぽう朝ドラは、人々の生活が変わったのを見て、そっと自分の針を動かした。だから「毎朝8時」で大切なのは、たぶん「8時」という数字ではありません。何時であっても、決まった時刻に決まったものが来る――その形そのものなのだと思います。

一日が、整う

私は、朝ドラを見た日は、一日が整う心地がします。

長いあいだ、この感覚をうまく言葉にできませんでした。面白いから、というのとも少し違う。学びになるから、というのは、たぶん後づけです。ただ、見ないと一日の輪郭がぼんやりする。その「なぜ」が、自分でも分からずにいました。

けれど、明治の時計の話をたどるうちに、腑に落ちたのです。整うのは、時計が合うから。8時に始まり、8時15分に終わる。そのあいだに、りんの人生がほんの少し進み、こちらの一日も、そこから動き出す。うれしいことがあっても、しんどいことがあっても、8時は8時のまま、15分は15分のまま、変わらずそこにあります。伸び縮みしない。

面白くて、学びになって、しかも毎日、同じ時刻に訪れる。よく考えれば、そんなものは、そうそうありません。明治の人が暦ごと手に入れようとしたものを、私は毎朝、なんということもなく受け取っている。それはやはり、贈りもののようなものだと思うのです。

だからこそ、あなたに

最初の問いに、戻ります。なぜ、お金にもならないのに書くのか。答えは、もう出ているように思います。

朝ドラを楽しむ人が、一人でも増えたら、うれしい。その方と「あの回、よかったですね」と語り合えたら、これ以上のことはありません。本当に、ただ、それだけなのです。私が毎朝受け取っているこの穏やかな心地が、もっと多くの人に伝わって、感想を交わせたなら。それは、どんな見返りよりも豊かなことだと思います。

もし、まだ朝ドラを見たことのない方が、なにかのはずみでここまで読んでくださっているなら。月曜の朝、8時。15分だけ、いかがでしょうか。

現代の朝が忙しいことは、私もよく知っています。でも、大丈夫。いまは放送から1週間、見逃し配信を無料で見られます。通勤の電車でも、昼休みでも、眠る前のひとときでも、好きな時間に追いつけるのです。

「途中からでは分からない」と思われるかもしれません。それも、心配いりません。りんがどこの誰かも知らないまま見始めても、たぶん3日で、その行く末が気になっているはずですから。そういうふうに、できているのです。

そしてもし気に入っていただけたら、どうか感想を聞かせてください。それが私にとって、いちばんの実りなので。

来週から、第17週。今週のタイトルは「新風吹くころ」でした。りんの新潟での日々は、まだ始まったばかり。新しい風がどこへ吹いていくのか、月曜の8時が待ち遠しくてなりません。

あらためて、5000人のみなさま。ここまで一緒に歩いてくださって、ありがとうございました。

スキやフォローで、次の感想回にもお会いできますように 🌿

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